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寄稿特集 移民100周年どう迎える

各界から広く意見-学園構想やコロニア再建論も

 二〇〇八年のブラジル日本移民百周年を六年後に控え、何を思い考えるかコロニアから意見を募った。今回は各界代表だけではなく、比較的若い人を中心に日系人を含む一般からも広く作文を集めてみた。百年祭をブラジルの国家事業として実施すべきという意見から、日系社会の再建論、そのためのリーダー養成と日伯学園建設案、日系社会がブラジルに果たした各分野での役割を記録すべき、など議論百出した。赤阪清隆サンパウロ総領事のアドバイスによって先に発会した百年祭準備委員会に対し、コロニアの希望を伝えたい。

 

◇日本語の正課採用願う-主婦 新井知里

 二ヵ月ほど前、長野県人会の親睦旅行に参加してロンドリーナに行って来た。その折支部の好意でローランジアにあるパラナ州日本移民資料館を見学した。 この資料館は二〇〇一年六月十七日移民九十三年当日落成した真新しいものである。
 広大なパラナの大地にパラナ日系移民の力と努力がしみ込んだ近代的な素晴らしい資料館、その庭に空を突くような移民九十周年の高い塔があった。
 私達はその塔の前で写真を撮ったのであるが、その横になんと百周年の塔を作るために、ちゃんと土台が用意されていた。それを見てサンパウロからの一行は真底から脱帽した。
 サンパウロでも近頃百周年に向けての委員会が出来たようである。
 幼い孫四人を持つ一介の主婦の私の願いは、もたついている「日伯学園」建設もいいが、公私立のブラジル学校の授業の中に選択で日本語科を採り入れるよう、更に本格的に今から動きかけ、百周年を迎えた時には、そうした学校が増えていることを期待している。
 なんといっても移民として残さなくてはならない大切なものは、母国の言葉「日本語」だと思っているものの願いである。

 

◇日系あげて日伯学園を-日本語普及センター理事長 柳森優

 日系コロニアは二十一世紀二年目、二〇〇二年を間もなく迎えようとしています。明治初期から海外に移住した日本人は多く北米や中南米です。ブラジルは一九〇八年に始まり戦後は一九五〇年頃より六五年ごろまで続き、現在は皆無となり、移住事業は止まっています。アメリカ、メキシコ、ペルー等は既に一〇〇年を越えていて六世、七世も多くいると思います。 
 ブラジルの日本語教育に触れますと一九一五年頃より植民地に日本語学校が設立されて継続されていますが、第二次世界大戦が終り、この国に定住する考えとなり、戦前移民の故郷に錦を飾る帰国の考えはすっかり変り、落ちつき土地を買って地主となる人が増えました。そして一世は残り少なくなりました。このラテン・アメリカには移住国の先輩であるアメリカ、メキシコ、ペルー等には日墨学院(メキシコ)日亜学院(アルゼンチン)ラ・ウニオン校(ペルー)と有名な学校が設立されていて立派に運営されております。
 中南米で最も移住者の多いブラジルは出遅れているんです。これまでにも数回にわたり話は出ていますが成立されていません……。移民一〇〇年祭に記念事業として設立されますよう望んでいます。
 既に五世の人々が就学年齢にあります。日本語学校は多文化社会の最前線にあり、日本語教育の新しい役割を考えながら日系人の融和と団結なくしては成立できないと思考いたします。しっかりした計画のもとに文協始め各団体の再考をお願い、ブラジル日系団体のブラジル日本移民一〇〇年祭の最も大切な建前となりますよう日系コロニアあげて取組んていただくよう提言いたします。

 

◇日伯両国の絆強固に-国外就労者情報援護センター 立入喜久雄

 国連によりますと、十九世紀は移民の世紀、二〇世紀は難民の世紀と言われています。ヨーロッパ移民から一世紀遅れた一九〇八年に、日本移民がサントスに上陸したことは広く知られています。
 これから迎える移民一〇〇年を思いますとき、未開の地にあって異質な文明社会に適応され、日本固有の文化を守ってこられた先人に、私は畏敬の念を抱いています。
 訪日就労が言われてから、既に十五年が経過しました。最近の統計によりますと、日本に長期滞在するブラジル国籍者は、二十五万四千三百九十四人と発表されています。これらの人達は、間もなく一世紀を迎える日本移民の子孫とその家族であります。
 日本は現在、産業構造の転換を迫られています。その転換とは、過去に日本を世界第二位の経済大国へ押し上げた産業群が、生産拠点を東南アジアや中国へ移転したことに起因しています。そして産業構造の転換は雇用調整を伴います。二〇〇一年十月の日本の完全失業率は五・四%と過去最悪を記録しています。
 日本の新たな課題は、新産業の育成にあります。二〇〇〇年十月、日本ではIT基本法の成立を見ました。新しい時代には多様性が求められます。異なった環境で育ち、教育を受けた異質の才能を持つ日系人が、日本の新しい産業分野で活躍されることに、私は大きな期待を寄せています。また日本の社会には、異質の才能を持つ日系人を受け入れる寛容さが求められます。
 日本移民一〇〇年を控えて、両国の絆がより高いレベルで結ばれることを、私は願っています。

 

◇日本移民評価の記録を-サンパウロ人文科学研究所所長 宮尾進

 一昨年、ブラジル五百年祭の折にどこかに書いたのだが、日系人は五百年の五分の一に当たる百年を、この国の国造りに参加して来たのであるから、五百年祭は決して日系社会にとって、他人ごとではない。この記念する年を節目に、日本移民・日系人がこの国でどんな役割を果して来たかを記録し、日系後継者世代に語りつぐと同時に、ブラジル人一般にも広く知ってもらうべきである。われわれの果たして来た百年の成果の記録は、とりもなおさず、ブラジル近代史・現代史の一環をなす、貴重な記録となるものでもあるからである。というようなものだったが、何の反応もなかった。そこで、百周年を目がけて何をするかということで、それを再提案したい。
 その内容は、私たちは「八〇年史」で通史を書いたので、今回出すものは農商工あるいは文化面など各分野で、日系の果たした役割実績を深く掘り下げた記録になったらと思う。消えたコチア・南伯組合・南銀の果たした役割・貢献も、各分野の記録の中で示すことが出来るだろう。
 ただし、私たちの研究所もそうだが、ものをよく調べ、書くことの出来るものが、コロニア社会にはいなくなってしまった。頼まれてももう私たちには出来ない。そこで、百年祭にそうした事業を行うとすれば、二三世各界の学者・研究者などを中心としてやる以外にないだろう。いまやすべてがそうで、「日伯学園」も百周年を目がけて、是非実現したいものだが、もう一世中心ではことは成り立たないだろう。

 

◇団体統合し組織刷新-全伯講道館有段者会代表幹事 岡野 修平

 この様な観点から六年後に控えた日系移民百年祭を迎えるに辺り、次の事をご提案申し上げます。
(一)日本文化を尊重して次世代に正しく伝えて行く事。
(二)祖国日本に南米文化を常に発信し、日本に定着させる事。
(三)日系移民百年の歳月をかけて学んだ国際性を、思想として理論化し次世代に伝える事。
(四)日系移民の百年の歴史を山田長政の例えによるまでもなく、埋没させてはならない事。
 以上のように日系移民として我々に課せられた務めを果たして行く為には、次の百年に向けて日系社会の組織の在り方を刷新して行く必要があります。
 組織の刷新の第一として現文化協会始め日系文化団体を統合し、全伯及び南米アメリカ大陸の中心機関として位置付け、又日本国政府も海外に於ける出先機関を統合し、日系文化団体と共に日本文化の伝承と普及、及び教育事業も兼ね備えた南米大陸最大の日本文化の殿堂をこのサンパウロ市に構築し、若く優秀な人材を登用し、その役職にあるものは国家公務員として勤務し、心置きなく日本文化の伝承、普及に携わる体制を作るべきだと考えます。
 ヨーロッパ各国の文化への伝承と普及の熱意に比べ、祖国日本の外部への発信は常に弱々しく、世界観に基づいた日本国独自の主義主張が感じられません。もっと自信をもって日本文化の伝承と普及に堂々と取り組むべきではないかと考えます。
 最後に、百年をかけて日本文化をそれぞれの分野に植え付けて来た日本移民及びその子弟たちは、日本国及び日本国民にとって海外最大の財産であると認識しております。

 

◇新100年へ向け行動を-曹洞宗仏心寺元理事長 伊藤春野

 まず、もう六年もすると、ブラジルの日本移民が百周年になるにもかかわらず「なしえていない」ものを指摘します。それは、仏教の教えの普及です。日本人が九十四年も前に仏教をこの国に持ち込んだのに、年月の長さの割にブラジル社会には仏教の教えが浸透していないということです。
 昨年の花祭りのとき、私たちの曹洞宗が当番で、実行のお世話をしました。開幕あいさつのとき、私はこの点に言及しました。仏教関係当事者以外の一世の一人が「あなたはいいことを言った」と賛同してくれました。そう言われればそうだ、ということだと思います。
 なぜこのようになったかというと、仏教連合会などの指導的立場にある人たちが日系の殻に閉じこもって、日系ばかりにとらわれて、非日系人への教えの普及に積極的でなかったからです。日系を対象に、といっても、実は、二世、三世への布教の効果もあがっていない。百年祭が来るというのに、このままでは尻すぼみになってしまいます。
 曹洞宗だけをみると、これは、禅がある宗教なので、強く興味を持つ非日系人がいる。ブラジル国内に十カ所ほど禅堂があります。これらの指導者は全員非日系人です。非日系人が仏教の教えに関心をもっていることはわかる。そういう今こそその関心に応えなければならない。
 百年が経て尻すぼみなら、新しい百年のスタートにこそ、行動を起こそうと提唱したい。仏教連合会としても腕をこまねいているときでないと思います。

 

◇日本文化の伝承に努力-ブラジル日本文化協会青年部会長 嶋尾ジョルジ

 日本は何千年にも及ぶ豊かな文化を持ち、世界中にその文化を賞賛する人々がいる。なぜそんな素晴らしい文化を、我々日系人だけのものと隔離するのか。
 日系社会から抜け出し、ブラジル人に日本人の美しい伝統や習慣を紹介することが、我々の試練とも言える。
 すでにさまざまな日系団体や機関が実践しており、日本移民百年祭が、日本とブラジルの文化交流を深める橋となってくれるだろう。
 どんなに困難でも、みなが日本文化の普及を目指して努力をすれば、絶対にかなえられると思う。

◇全伯規模の100年祭へ-サンタクルス病院理事長 横田パウロ
 二〇〇八年の日本移民百年祭に当たり、多くの人々は記念イベントのメインテーマを決めようと意欲を見せているのではないか。
 ブラジルと日本両国の条約によって、日本移民が実現した。記念イベントにはブラジル人や日系人、日本人がともに、移民自身と移民がもたらした結果を振り返るべきではないか、とわたしは思う。このイベントを日系社会だけのイベントと限定すべきではない。
 ブラジルにおける日本移民の貢献を主要ポイントに置き、日本移民を世界史的観点から国際レベルで見ていく姿勢が大切だ。社会学、人類学的に日系社会を分析しているブラジルや日本の調査機関、また日系団体の協力を得て、現在の日本人移住者や日系人の新しい人口調査を実施し、現在「我々は誰なのか」「ここで何をしているのか」を見直す必要がある。
 日本人移民から受け継いだものの中でも、日系人たちの教育への熱心さは見逃せない。現在、多くの地元社会に完全に溶け込んだ日系人たちは、さまざまな分野で国際的に認められるほどの成果を上げている。日系人たちの美術への貢献も素晴らしい。
 多くの日系人は、日本文化の普及について真剣に考えている。日本人と日系人は、日本文化の普及に努力しているのか。ブラジルと日本両国の文化交流は満足できるレベルにあるか。日本人はブラジル文化を知っているか。百年祭までに論議すべきテーマだ。
 日本移民百年祭は、さまざまな世代や、ブラジル社会に幅広く参加している人々が一つになって祝うもの。尊敬すべき日本人が、保守的な考えをもって日系社会だけのイベントにしないことを祈る。(全文要約。本社編集部訳)

 

◇『コロニア文芸史』刊行-「コロニア文芸賞」委員長 安良田済

 もう六年すると、日本移民百周年を迎えることになる。一世紀という年月は沢山の、そして重い歴史を姙んでいる。百周年記念式典に際して、われら何を考えるべきか、何を企画すべきかが、いまわれわれに求められているテーマであろう。
 この、来る百周年に際して、私がつねづね考えているのは「コロニア文芸史」というコロニアで文芸が発生してから百年間の活動を史的に収斂し、一冊の本にして刊行するということである。
 私自身は、文化のない歴史は歴史ではない、という前提をもっている。そして文化の尺度は文学・芸術をもって計るものと考えている。つまり、コロニアの百年間の文学活動を収斂することによって、おのずから文化活動も顕現されてくるものと考えるのである。
 私自身は現在八十六歳の老人である。百周年記念式典を観ることはおそらくあるまい。だが、現在、自分の意志をもって、生命のあるかぎり、文芸史の資料収集にとりくんでいる。資料収集を完了するまで生きておれるかはおぼつかない。しかし、命あるかぎり収集しておけば、後日、誰かの手によって完結されるであろう、という希望をもっているので、決して無駄な仕事とは考えていない。
 私は十四歳のときに移民としてきた。現在はブラジル帰化人であるが、移民であることを忘れた日はない。移民の歴史についての執着はつよいのである。

 

◇有能な指導者出よ-サンパウロ日伯援護協会副会長 菊地義治

 私の夢物語をここから致します。現在、日系二世、三世で有能な指導者は、自分たちの先祖である一世移住者の祖父母、父母の苦労を偲び、現在と過去をみつめて感謝と報恩のできる真に目覚めた指導者の出現を待ち望んでいると思います。現状では識見、能力に欠け実行力や責任感の薄い指導者が見受けられますが、そんな中にも有識者や大学出の優秀な日系人がブラジル社会のあらゆる分野で活躍しており、日系社会を変え得る指導者がきっと現れる。また経済的に成功を収めている事業家も現れ、十万ドル単位の協力を惜しまない集金力のある人たちも集まれば百万ドルの資金調達が出来ようと言うものです。
 この夢が実現されればプラス循環というか、相乗効果を生んで想像もつかないような資金が決集されることになります。そうすれば人つくり百年の計を成す日伯学園(仮称)の建設や、老人福祉の問題解決も夢ではないのです。日本移民百年の大きな節目は、我が在伯日系人の次の一世紀後を目指すスプリングボードとしなければなりません。これを実行するための組織作りは理念を同じくする者の汗と泪を結集することで可能となるでしょう。これを実行するための組織作りは理念を同じくする者の汗と泪を結集することで可能となるでしょう。これが私の夢でありますが、実は半分くらいは正夢でして、本気でそう思い、願っていることをちょっぴり告白しましょう。成熟した移民社会の理想の姿を夢に描いたと思し召し頂き、私の初夢をご披露申しあげました。

 

◇小説選集の出版を-ブラジル日系文学会会長 梅崎嘉明

 日本移民のブラジル移住百周年祭への胎動が始まったようだ。県人会の仕事をやっていた頃、県連ビルの建設、日伯学園の構想などが持ち上がり、委員の端くれとして参加したことがあったが、いずれも実現しなかった。何故か。
 私の感じたところ提案者がいずれも他力本願で、私財を投げ出してでも完遂するという情熱にかけていて周囲の者が一丸となるまでに至らなかったように思う。
 提案だけなら誰でもできる。日伯学園の再構想もいい。後世に残る記念物建造もいい。しかし、これを完成させるには日系コロニアが一丸となってあたらなければならないが、六年先の百周年には主軸となる移民一世の人口はどの位になっているだろうか。当然二世の有志との共同事業となるだろうが、その融和もおろそかにできない。ブラジルの政界を牛耳るぐらいの二世の手腕家が欲しいところだし、ともに舵とれる一世の有力者も必要だろう。
 いずれにしても私などの関われる道筋ではない。
 私は、私たちが永年続けてきた「コロニア文学」「コロニア詩文学」現在の「ブラジル日系文学」また短歌誌、川柳誌、詩誌などが、コロニアの精神的文化財として残っていることを誇りと思っているし、せめて百周年祭まで継続できることを祈っている。また記念事業として「コロニア小説選集5」「コロニア随筆選集2」の出版を希望している。

 

◇琉球太鼓充実へ-琉球国祭り太鼓ブラジル総本部長 浦崎直秀

 日本移民が百周年を迎える二〇〇八年、ブラジル(の世の中)は、いまよりよくなっている。悲観的な見方が圧倒的に多い中、私は楽観論者である。一世の出番もまだまだあると思う。
 例えば、私が関係しているのは、ブラジルでの沖縄芸能保存・普及の仕事だが、ブラジル人に継承してもらうには、なお一世の力が必要。二世の指導者が育ってきているとはいえ、真の基礎を教え込めるのは、一世である。
 ブラジルの沖縄芸能の指導者たちは、生徒たちからいわゆる授業料をほとんど取らない。これは、たいへんなことで、だからこそ、二世、三世の担い手が増えていく。
 琉球国祭り太鼓についていえば、九二年から始めたが、丸八年を経て、現在、会員は二百三十人くらい。お陰さまで一般に受け入れられて好評だ。会員はサンパウロ市と近郊が中心。今後、南マトグロッソやブラジリアに手を広げて入会を勧誘したいと思っている。メンバーになりたい、と望んでいる若者たちは多いはずだ。ブラジルは広いし、時間がかかる。順調に行くと思うし、移民百年祭のころには規模的にもさらに充実しているだろう。
 琉球国祭り太鼓の今後の生かし方として、福祉団体、施設の慰問活動を考えている。日系、非日系にこだわらず、進めていきたい。それが、私たちの伝統芸能の保存、普及につながると思う。
 琉球舞踊はじめ沖縄の芸能が着実に担い手を伸ばしているのは、気持ちに余裕が出てきたからだ。私が、百年祭に当たる頃を「もっとよくなっている」と楽観視するのは、現在よりも沖縄の芸能が隆盛していると見通しているからだ。

 

◇温かい福祉実現-希望の家理事長 木多喜八郎

 二〇〇八年のブラジル日本移民百周年記念祭は、日系社会の注目を浴びるべき歴史的現実である。
 「希望の家」は、知的障害者を対象とした福祉団体。市川幸子園長が一九六三年、初めて入居者を迎えたが、正式には一九七〇年創立となっている。
 現在、十七歳から六十九歳までの障害者約八十人が入居しており、医師や歯科医、福祉士、療法士、発音の専門家、心理士、看護人、受付係などが持続的に二十四時間体制でサービスしている。
 我々は刻々と、ブラジル社会とつながる日系社会の中で存在の重要性を固めてきている。寄宿舎の空きがなく、福祉活動を必要としている人々を思うように受け入れることができない。
 希望の家のほかにも、障害者に尽くす福祉団体は多い。
 ブラジル日本移民百周年において、人間性あふれる福祉活動にスポットを当てるべきである。
 だが、福祉団体のサービスレベルを検査すると、いくつかの団体が必要条件を満たしていないことが分かる。このような団体のほとんどが、政府の援助が得られず、資金不足に陥っている。
 一方、民間企業の間で、貧しい人々を助けようとする企業が増加しており、福祉活動を重視する傾向がある。(本社編集部訳)

 

◇隣人愛の実践を-救済会第1副会長 左近寿一

 救済会は老人福祉を専門とし、憩の園老人ホームを運営しています。先日、救済会憩の園在日協力委員会の渋谷まさみさんから寄せられたレポートには、最近の日本では人の健康を満たす条件の軸として……人の生命を支える基盤となるものには、二〇%の近代医療と、八〇%の基本的環境として代替医療を始め、食・住・社会・人間関係その他が織りなす総合的環境がプラスされることが望ましいと言われるようになった。と記されています。八〇%の総合的環境を満たす上で、憩の園は実に恵まれた環境が与えられています。穏やかな笑顔で毎日平穏に暮らしている老人達を見ればそれが実証されます。近年憩の園周辺は急速に都市化が進み、豊かな緑、平和な小鳥の囀り、綺麗な空気はもう憩の園の敷地内だけとなりました。この自然の恩恵を二〇〇八年といわず永遠に維持して行きたいというのが第一の願いであります。 次に高齢化が急速に進む現状の中で、老人ホームの施設に限度がある以上、どうしても広く社会の人々に老人介護の知識、実技の指導を行うことが必要であります。そのために地域社会と連携し、憩の園がもつ専門的な知識、実技を解放し普及さすことが第二の願いであります。
 二〇〇八年には、老人をお世話する側、される側ともに大部分が二世、三世、ブラジル人になっているでしょう。あらゆる外的要素が様変りとなっても、なくしてはならないものは創始者ドナ・マルガリーダ渡辺さんが残された隣人愛を受け継いで行くことだと思います。

 

◇日語校舎の返還望む-サントス日本人会会長 上 新

 日本移民百周年祭を、ブラジル政府当局に戦時接収されたサントス日本語学校がわれらの手に戻る年、としたい。これなくして、サントス日系人にとって「戦時は終わった」といえない。接収は、一九四三年、海岸地域在住日系人の立ち退き処分命令が出されたとき行われた。以来、日系人のもとに返還されていない。現在は州軍警の管理センターとして使用されている。
 サントス日本人会としては、戦後、ずーとサンパウロ州議会、連邦議会に対し、知り合いの議員を通して働きかけ、返還運動を行ってきた。日本移民百周年を機に戻ってきたらすばらしいと思う。
 もう一つ、日本人会のつとめともいうべき仕事は、NHKラジオ体操のブラジル人への普及である。昨年、サントス市役所とラジオ体操普及のコンベニオを結んでから、非日系ブラジル人へのPR活動も以前よりよく行われるようになり、海水浴場、リゾート地ということもあり、スペイン人だのポルトガル人だの外国人参加者たちが増え、ますます国際色豊かになった。その人種的多彩さは、数ある国内のラジオ体操愛好者団体のなかで一番だろう。
 体操を終えて、すぐ海水浴をする人もいる。NHKのラジオ体操担当者が、現場をみたらびっくりするだろうし、わが意を得たり、と満足するのではないか。私たちは、ラジオ体操を行うボケイロンの海浜を国際親善増進の場、日本文化を普及するところととらえている。
 移民百周年のころには、毎日のように外国人の新人が加入してくるのではないか、と想像をたくましくしている。

 

◇日伯学園は不可欠-ブラジル日系文学会役員 遠藤 勇

 日本民族ブラジル移住百周年が目前に迫っている。百五十万に近い我が日系コロニアは真剣に。過ぎた百年を回顧し、次ぎなる百年に想いを馳せる時では無かろうか。
 移民では無く、棄民だと言われた創生期の移民社会に比べれば、現今の日系コロニアは概ね、ブラジル社会の中流と呼ばれる社会に属している様に思われる。
 望郷の念に涙し、生活苦に喘ぎながら、子弟の教育を最優先事項に、粉骨砕身の努力を重ねた一世移民の血と汗の労苦の賜に他ならない。日本人の同族相互扶助の良き習慣も大いに役立っている。
 私的な分野では、日系人は農業をはじめ、商業、工業、政界、軍部とあらゆる方面で活躍し輝かしい栄達の道を歩んでいる。しかし公的な立場で日系コロニア全体を見ると果たしてこれで良いのであろうかと。微かな危倶の念を私に抱かせる。
 日伯両政府間で合意を見た、日伯学園建学の構想は、まだ其の場所さえ決まっていない。日系コロニアの団結を目指して提唱された、全伯日本人会の統合一本化は、遅々として進まない。
 人種の壁を越えた、次代を背負う人材の育成に、日伯学園は不可欠のものと私は思う。
 日系コロニアより遥かに移民人口の少ない、他のアジア系移民の中から政治家が輩出しているのを見ると、我が日系コロニアも一致団結して、力を発揮すべきだと考える。
 次ぎなる百年後に悔いを残さぬ様、今こそ事を決めて一歩踏み出す時と思う。
高い理想を持ち、勇気のあるリーダーの出現を望む切である。

 

◇「新文化センター」建設を-ブラジル宮城県会会長 中沢 宏一

 ブラジル日本移民の歴史は、六年後の二〇〇八年に一〇〇年を迎えます。その記念行事はブラジルの各地で多くのものが行われると思う。その意味は一世紀間の回顧と清算であると同時に、一〇〇年以降の出発になる。
 異文化の中に移民として開拓に勤しみ、築いてきた記録を永遠に残し、後継者が誇りとしながら維持できる形と、この機会に記念行事として日本文化を伝えるためになにが必要なのか、多くの人たちの意見、提案に耳を傾ける必要がある。
 海外において最大の日系人口をかかえるブラジルで一〇〇年祭を祝うには、日系人が誇りと思える施設が必要と思う。私は今年初めて第四十二回海外日系人大会に参加し、一〇〇年祭の重要性を再認識した。
 次に迎えるであろう日系人の移民一〇〇年祭は、ブラジルではアマゾン地域、隣国のパラグアイでは三十五年後である。
 日本としても海外最大の日系人の住むブラジルの一〇〇年祭は重要視している。
 その意味から、入れ物としての全伯的な日系人の一〇〇年祭文化センターの建設と、日本での日系ブラジル人調査も含めた、日本人、日系人の調査を提案したい。全ての面でこれが最後のチャンスと思う。

 

◇出稼ぎ子女に教育を-CIATE理事長 二宮正人

 百年を迎えようとする移民の歴史のなかで最大の出来事は、日系人の日本への就労問題ではないでしょうか。
 戦前戦後を通じてブラジルへ移住した日本人の総数は約二十六万人でしたが、それとほぼ同数のブラジル人が現在日本に居住しています。また、すでに就労を終えて帰伯している人数は、一説によれば二十万人以上であると言われています。そうだとすれば、現在日本に居る者も含めるとブラジル日系人の三分の一が就労体験者であり、その波及効果は大変な意味を持っています。
 彼らの一部は日本に永住し、日本国籍を取得する者も出てきています。しかし、大部分は帰伯し、就労および生活によって得た経験でブラジル日系社会の活性化に貢献することが期待されます。しかし、彼らは多岐多様に渡る数多くの問題をかかえています。そのうち、もっとも憂慮されるが、子弟の教育です。かつてのブラジル日本移民の先駆者たちは、あらゆる努力をいとわずに子供を学校に通わせました。その結果として、今日のブラジル日系社会が築かれたと言っても過言ではないでしょう。
 今、日本では在日ブラジル人子弟の教育に関する数多くの問題が生じています。学校の授業について行けずに、不登校児となり、非行に走る子も多いそうです。あるいは、目先の収入を重視するあまり、進学せず、最も感受性が豊かで、知識の吸収力も旺盛な時期を犠牲にする若者が増えています。これは親にも責任があり、なかには、自分たちは日本に「稼ぎ」に来たのであり、子供を学校にやるためではないと言う人もいますが、大きな間違いだと思います。ぜひ、父母、祖父母の原点に戻って、子女の教育に重きをおく確固たる方針を持ってほしいと思います。そうでなければ、日本での体験は単なる「出稼ぎ」のそれになってしまい、何の希望もなくなってしまうのではないでしょうか。

 

◇日系社会の活性化を-ブラジル日本文化協会副会長 志村豊弘

 ブラジルでの日本移民百年祭をどのように実現すべきか。
 既に日系五世が存在する現在、日系社会の伝統的なイベントに興味を無くしている若い日系人が多い。
 百年祭に当たり、日伯学園の創設を叫ぶ声も見られる。だがそれ以前に百年祭では、若い日系人たちに日系イベントへ参加するよう促し、日系社会の活性化を図ることが必要だ。

 

◇若い日系人に誇りを-ASEBEX会長 町田エリザ

 日本移民百年祭にあたり、特に若い日系人たちが日本人の子孫であるという誇りを感じてほしい。「職場で必要だから」という理由だけでなく、個人的な好奇心から伝統豊かなこの日本文化を、言語や音楽を通して勉強してほしい。

 

◇ブラジルへの愛国心強化-元連邦下院議員 野村丈吾

 多くの日本人や日系人は、ブラジル・日本修好百周年と日本移民九十周年の記念祭に参加した。今度は移民百周年祭のプログラムについて討議し始める時期が来ている。
 時は流れ、日本移民の「汗と血と涙」のにじむ努力が、日系ブラジル人の間で忘れ去られようとしている。日系ブラジル人の先祖、日本移民は、献身的な労働や勇気によって「忍耐」を子孫に教えた。我々日系人は、人と人との信頼と各自の自信を育む「忍耐」を教えてくれた日本人に感謝と敬意を示さなくてはならない。これは、ブラジル国家の発達と未来に欠かせない要素であり、誇るべき「日本人(日系人)の特長」として受け継がれている。
 二〇〇八年六月十八日の百周年祭には、日本移民の戦いと勝利の歴史をたたえ、我々の先祖の祖国、日本の援助を受けた大国家ブラジルへの愛国心を強めたい。この心が、いつか教育や福祉、司法へ恩恵をもたらすことを信じて―。(前文略。本社編集部訳)

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