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創作予定でいっぱい=画家・彫刻家 大竹富江

新年号

04年1月1日(木)

 九十歳を記念する展覧会が開催中です(十一日まで。ファリア・リマ通り201、インスティツト・トミエ・オオタケ)。
 インディオの手工芸から現代アートまで、各時代のブラジル美術作品のなかにわたしの作品を併置させて関連性を探る企画。自分ごとですが、いろいろな絵を描いてきたなぁ、と。
 この十年間、活動のペースはむしろ上がっているんです。公共作品、彫刻と仕事の幅もどんどん広がっています。
 九十歳になったといって何も変わりませんね。同じ調子でいます。若いときからかっちりとは考えない性格。いまになって気張ることなんかないですよ。
 生家は京都の材木商。六人兄弟の末っ子で一人娘です。川でいかだに乗って遊んだり。オテンバでした。
 兄を頼って一人ブラジルに着ました。二十三歳でした。一年で帰る約束が翌年、日中戦争が開戦。帰国を果たせたのは一九五一年になってからです。
 母と対面したとき、「一緒にブラジルに連れていって」と頼まれました。すぐには無理よ、と答えたのですが、がっくりした様子でした……。訪日中に急逝してしまいます。
 絵を描き始めるようになるのはその後のことです。もともと好きな絵を自由に描けるかなぁ、と夢見て渡ってきたのがブラジルです。あの時代、京都で女が画家になるなんて考えられないことでしたから。
 でも、来伯してすぐに結婚したでしょう。二児に恵まれ家庭に全力を尽くすことを心がけました。「わたしの道」の方は、四十になってからでも遅くはないと思っていました。あせりはありませんでしたよ。
 初めての個展は一九五七年、サンパウロ近代美術館で。評判にもなりました。でも、まず家庭ありき、の姿勢でいましたから。描いたり描かなかったりの時期が長かった。
 九十歳になって美術界の第一線で活躍する作家は古今東西を見渡しても数少ない? そうですねぇ……アイディアは自然と沸いてきます。絵を描きたいという気持ちも以前よりも強いかもしれません。
 いま開かれている展覧会が集大成のようになって、この後、まとまった発表の機会なければ少しダウンするかも、と思っていましたが、今展の企画者が「二年後にまたやろう。どんどん描いて」といってくれました。これはうれしかったですね。
 仕事がない人生など考えられません。だからいつも健康百パーセントでいたい。ただ二年前に腰を少し痛めているんです。「トミエは毎晩家にいない」といわれるほど、いろいろな展覧会のオープニング・パーティーに顔を出していましたから。そのせいでしょうか。
 指圧治療の効果でいまは映画、ダンス、展覧会と再び外出する機会を増やせるようになるまで回復しています。なにより若い世代の人たちが誘ってくれるのがうれしい。「トミエは現役。話していて面白いから」と。やはり健康百パーセントでいたいものです。
 食事には気を使っています。朝食の定番は納豆パン、ヒジキ、コンニャク。青汁も飲みます。昼はバイーア料理なんかも。家政婦さんたちの郷土料理を一緒に頂きます。デンデ油を軽めにしてもらって。
 タバコは二〇〇〇年を機に止めました。いえ、健康のためというよりも、時代の変わり目に何か試みようかな、と思って。お酒は基本的に好きです。食事の際、水では駄目。やっぱりビールが料理にはよく合うな、と。
 これから? リベイロン・プレット医科大学構内に彫刻をひとつ。イビラプエラ公園に出来る劇場内の壁画も手がけます。来年は、サンパウロ市内の画廊で個展の予定もあります。
 故郷の京都で回顧展を開かないか、と誘ってくれるひともいるのですが、出来るだけサンパウロでの仕事の方を優先させたいと思っています。わたしはこの街が大好き。いまさら田舎に住みたいなんて気持ちはまったくないんですよ。

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