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日伯音楽交流史を本に=坂尾氏がコーディネーター役で参加

1月9日(金)

 親日派音楽家ジョルジ・カヌートさんが提案した、日伯音楽交流史を一冊の本にまとめるプロジェクトが、このたび文化省のルアネー法(Lei Rouanet文化投資免税法)で認可された。「商業ベースとは関係のない、公平な日伯音楽交流史として記録する意義がある」。ブラジル音楽を日本に紹介したパイオニア、坂尾英矩(ひでのり)さんは、そう力説する。
 このプロジェクト名は「BANZAI BRASIL」。約二百ページの音楽CD付き、日ポ両語の本となる。サンバやボサノヴァが日本に普及するきっかけとなったアーティストたちの証言を、ベテラン著述家のムリロー・リスボアさんが取材する。七月には刊行予定。主な取材対象となるのは、六〇年代、七〇年代に渡日したアーティストたち十五人。
 坂尾さんは同プロジェクトのコーディネーターとして前書きを執筆したり、訪日した音楽家のリストアップや、今までに集めた膨大な資料の中からポスターや写真などを提供する予定。
 坂尾さんは言う。「日本人の移住は百周年になろうとしているが、音楽面での交流は遅れて出発した。日伯の音楽交流はボサノヴァから始まったと言ってもいい。特に一九六〇年以降、ブラジル音楽に興味を持つ日本人は大変増えた。その交流を支えたアーティストたちの功績を記録するのは、今しかない」。
 坂尾さんによれば、最初に訪日した有名歌手は〃サンバ・カンソンの女王〃と呼ばれたマイーザ・マタラーゾだった。一九六〇年、レアル航空が日本への初航行を記念して招待し、NHKのインタビューに答えて「一曲くらい歌っていたかもしれない」そう。
 日本で最初にボサノヴァのライブショーを行ったのは、六一年訪日のトゥリオ・タンバタジャだった。関西毎日放送に招待され、六カ月も滞在した。
 そしてクラウジアも六九~七〇年頃に訪日した。「歌手としては歴史上五本指に入る。エリス・レジーナと同格」と坂尾さんは評する。渡辺貞夫の全国ツアーに同伴し、当時のトヨタの新車CM曲まで収録したそう。「ブラジル人アーティストを日本人に親しませたパイオニアだね」という。
 その他、一九七〇年の大阪万博に招かれてボサノヴァを日本に広めたソーニア・ローザ。彼女は日本人と結婚し、以来三十年以上日本に住んでいるそう。オスニー・メーロ、ダミヨンなど日本に惚れ込んで住み続けている音楽家は数多い。
 提案者のカヌートさんは「この二月までにルアネー法に基づく企業からの投資を集めたい」と意気込んでいる。同法によって、企業が連邦政府に払うべき税金を、プロジェクトに投資することで免税となる。カヌートさんとの連絡は11・9767・6976、または11・3088・7737まで。

 

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