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「棄民だったのか」唇かむ原告=ドミニカ訴訟判決=賠償請求を棄却=国の責任認めるも

2006年6月8日(木)

 原告の請求を棄却――。七日東京地裁で判決が言い渡されたドミニカ移民訴訟。判決は国の責任を認めながらも、二十年の除斥期間を経過しているとして原告の賠償請求を棄却するものだった。日本のマスコミ各社もこの裁判を大きく報道している。五年を超える裁判期間。原告のうち十六人はすでに鬼籍に入った。奇しくも移住五十年の節目に下された司法の判断に、移住者たちは落胆を隠さない。

時効の判決下る

 【東京支社=藤崎康夫支社長】一九五六年から五九年にかけて、日本海外協会連合会(現国際協力機構、JICA)は、「カリブ海の楽園」という名のもとに、中米・ドミニカ共和国に二百四十九家族千三百十九人の移住者を送り込んだ。
 だが、そこは楽園ではなく不毛の地であった。しかも約束された無償の広大な土地も、所有権は認められなかった。
 当時の外務・農林両省が企画立案した政策は、無責任極まるものであった。
 移住者と遺族たちは「ドミニカ移民は、両省職員の余りにもずさんな調査による不正確な情報しか得られなかった。その結果、不毛の荒地に入植させられた。しかも約束された土地の配分も果たされなかった。その結果、日本人移住者は困難な生活を余儀なくされた」として、二〇〇〇年七月十八日、国に対し計三十一億八千四百万円の損害賠償を求める裁判を起こした。
 二十二回の口頭弁論が開かれた。長い裁判の中で、原告一七七名中十六名が亡くなった。
 そして判決の日。東京地裁の判決は、外務省の同国への移住政策の是非を問う、初の司法判断となり、国の責任が認められるか注目されていた。
 六月七日午前十時、東京地裁一〇三号室の傍聴席(約九十席)は、原告をはじめ記者、傍聴者で、全ての席が埋まった。席が足りず傍聴できない人たちもいた。
 金井康雄裁判長は、「みなさんにこの問題を理解していただくために、原告に判決理由の要旨を配布します」と言い、判決の言い渡しに入った。
 裁判長は「移住政策法的義務違反があった」として国の責任を認める画期的な判決を出した。だが一方で、「すでに除斥期間(二十年)が経過した後の提訴であり、原告の賠償請求権は消滅している」として、損害賠償については、棄却する判決を言い渡した。
 裁判長は、移住における国家責任の理由として、「海外移住は、移住者とその家族の人生に多大な影響をおよぼすものである。国は政策として実施していく以上、農地を備えた移住先確保への配慮が求められるべきだ」とした。
 そして当時の外務大臣や農林大臣、担当職員は、営農に適した土地であるかを調査し、移住希望者に適切な情報を提供する義務があることを指摘した。
 移住者は、営農や土地取得について制約を課される立場にあるので、移住の根幹にかかわる重要事項である。だが、担当職員はドミニカ共和国政府との間で、受け入れ条件について細部の詰めを十分にしないまま進め、募集要項には具体的な記載がなく、不十分である、とした。
 そして「当時の外務・農林の担当職員は、現地調査を十分に尽くしておらず、これに違反している」と述べた。
 そして国家賠償について裁判長は「原告のみなさんがドミニカに移住して、多くの辛苦を重ねたことは認められますが、法律的には除斥期間を適用することが、著しく正義、公平に反するとはいえない」として、時効の言い渡しをした。

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