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日系代表団体の年頭あいさつ

ニッケイ新聞 2008年1月1日付け

日本祭りで交流を
ブラジル日本都道府県人会連合会会長 松尾治

 謹んで新年のお慶び申し上げます。
 旧年中はいろいろとご支援をいただき、心より感謝申し上げます。
 海外最大の日系人集団地であるブラジルの皆さんに、ニッケイ新聞を通じ年頭のご挨拶を申し上げます。
 今年は、日本移民が初めてブラジルに来て百年という節目の年であり、一年を通じていろいろな行事が企画されており、また、県人会におきましても記念式典が催されるところが多いようです。
 昨年はサンパウロで第十四回パンアメリカン日系人大会と第四十八回海外日系人大会が合同大会として開催され、国外から多くの人が来伯され、交流を深めることができました。
 今年も県連では、このような交流を民間にも広げ、七月十八・十九・二十日に行われます郷土芸能、郷土食の祭典であるフェスティバル・ド・ジャポン(日本祭り)に、母県から伝統ある郷土芸能方々、また郷土に永く伝わり郷愁を呼ぶ郷土食をブラジルの地に残すことが、県との交流を深めることになるのではないかと考えます。
 また外国から来られた日系人の方々にブラジルの県人会活動を知っていただき、新しい交流が生まれることを期待します。
 開催期間中には、皆さんと郷土料理を食べながら、また歌や踊りを見ながら日本の心をブラジル人の方々にも伝えたい。そこにはただ単に日本に郷愁を感じさせるだけのものではなく、この催しを通じて二世、三世、そして四、五世へと父母、祖父母の祖国日本の郷土食、伝統芸能が受け継がれることを願っております。
 このブラジル日本百周年という節目を機会に、ブラジル日系人の姿を、同胞の方々に見ていただくネットワークを結ぶことが必要です。
 そのため、最大の努力をしたいと思います。読者の皆様には、海外最大の日系人集団地であるブラジルで、皆さんと祝うために、大いなるご理解と協力、支援をお願い申し上げます。

年頭に当たりお願い
ブラジル日本文化福祉協会会長 上原幸啓

 ニッケイ新聞をご愛読の皆様、新年あけましておめでとうございます。
 旧年中はブラジル日本文化福祉協会に対しまして温かいご支援、ご協力を頂きまして大変ありがとうございました。
 新年を迎え文協関係者一同、一層心を引き締めて文化活動に邁進してゆく所存でございますので、旧年にましてご支援ご鞭撻を頂きたく、年頭に当たりお願い申し上げる次第でございます。
 二〇〇八年の記念すべき年を、読者の皆様お一人お一人が大きな希望と新たな想いを描きながら新年をお迎えしたことと思います。
 昨年四月三期目の文協の運営を託されて以来、会員の皆様、評議員の皆様、文協関係者の皆様と力をあわせて努力をしてまいりました。
 特に昨年末には第一回文協フォーラムを開催いたしまして、サンパウロ州はもとより遠くマナウスの文協からも参加して頂き成功裏に終了致しました。今回の文協フォーラムを通じて各地域の文協が持つ悩み、問題点を共有することによって一層の連携を強め日系社会のみならず、ブラジル全土に文協が何をなすべきかを考え、実施してゆく大きな共有基盤ができたことは大きな成果であったと考えております。
 一九〇八年六月十八日に笠戸丸がサントス港に接岸、ブラジル日本移民が開始されて以来百年の年月が流れました。この間多くの先駆者がブラジルの地を舞台に縦横無尽に活躍し、時には挫折の苦渋を味わいながら、この大地にしっかりと根をおろし、今日の日系社会の繁栄の基礎を築かれました。移民百周年の記念すべき新年を迎えるにあって、まず先駆者への感謝とお礼の気持ちを忘れてはいけないと思います。
 今年のブラジル日本移民百周年記念は、百年の歴史の集大成であるとともに、新たな日系社会のスタートの年であると再確認し、新たな時代に向かって何をするか、皆様と一緒に文協は考え、行動してゆきたいと思っております。
 「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事」は万葉集巻二十に書かれている大伴家持の和歌ですが、ここブラジルの元旦には雪こそ降りませんが新しい年の真っ白なページによきことが降り積るごとく多かれと心より念じるものでございます。
 最後になりましたが、ニッケイ新聞社の益々のご発展とニッケイ新聞愛読者皆様の本年のご多幸をお祈り致しまして、新年の挨拶と致します。

新しい時代の始まり
サンパウロ日伯援護協会会長 森口忠義イナッシオ

 明けましてお目出とうございます。
 日系社会の皆様には、ご健勝にて新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 旧年中はサンパウロ日伯援護協会の社会福祉並びに医療事業に温かいご理解、多大なご支援を賜りまして、深く感謝申し上げます。お蔭様で予定通り事業をこなし、社会福祉団体としてその使命を遂行出来たことは私共にとって大きな喜びであります。
 特に日伯友好病院では、最新精密医療機器の導入を実現した他、利用者の増加に備えた診療所の拡張・改修に着工、又、福祉活動の活発化・充実化を目的とした病院福祉部の拡張など活発に活動を展開した年でした。
 新たな年、二〇〇八年を迎えブラジル日系社会にとって移住百周年という大きな節目となる大事な年を迎えました。種々の記念事業もさることながら、歩んで来た道程、この両国で何をなしえたかを再認識し、次の百年を展望した日系社会の在り方を考える良い機会であると思います。
 ブラジルの日系社会にとって二〇〇八年は移住新世紀を迎える年、新しい時代の到来と云えると思います。
 移住百周年を記念する事業として、当協会では社会福祉センターの建設、ブラジル社会における日系医師の足跡についての本の発行、日本から講師を招いた講演の開催を企画しました。又、忘れ去られてはいけない先駆者達に敬意を表し、六月に一カ月間、高齢者を対象に無料検診キャンペーンの実施を予定しております。
 移住社会にとって本年は新しい時代の始まりとも云えますが、ブラジルの福祉・医療面においても新しい時代となっており、当協会にも当然それにふさわしい事業展開が迫られています。日系社会を取巻くブラジル社会をも視野に入れた、広い活動の展開に踏み出すべき年だと思います。
 本年、当会としては福祉センター建設の着工に始まり、病院ではUTI(集中治療室)、救急診療所、中央手術室の拡張、種々の最新医療機器の導入の他に、施設では市役所との提携事業の推進があり、多忙な年となりますが関係者一同が一丸となって努力する所存であります。
 本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

百周年は新たなスタート
ノロエステ連合日伯文化協会会長 白石一資

 日本移民百周年の新年を皆様と共にお迎えする事ができました。誠におめでたい事と心よりお喜び申し上げます。
 日本移民がこのブラジルの地に渡り来たって百年の年月を重ねてきました。
 この移民百周年はブラジル日本移民にとって百年を総括し、新たなスタートラインにつく年であると思います。
 一世による苦難の開拓時代が過ぎ、やがて迎えた発展期を越え、現在ブラジルの日系社会は二世三世による開花、結実の時代を迎えております。このような時代のさなかに移民百周年を迎える事となりました。
 ブラジルの日系社会は、一世二世の教育熱心な日本人としての国民性を現し、高い教育レベルを持ち、又、社会的にも、その協調性、仕事熱心、家庭的にも、昔の日本の良き面を残し、どこの家庭でも、親孝行は当然の事として自然になされています。
 このような良き日系社会の伝統を私達は受け継ぎ、引き継いで参りたいと思います。とりわけ日本文化の最たるものは日本語であると思います。
 このような素晴らしい日本語を持ち、素晴らしい日本人としての習慣を持つ私達は、それらを大切にしながら、百周年以後の日系社会を作り育てていきたいと思います。

総力結集して百年祭成功を
リオ州日伯文化体育連盟会長 鹿田明義

 新年あけましておめでとうございます。
 ニッケイ新聞、読者の皆様には良い年を迎えられた事と謹んでお喜び申し上げます。
 昨年、世界中で気候温暖化が進み、各地で弊害が起きており温暖化対策が重要視されています。日本では長く続いた小泉政権から安部総理に替わりましたが、年金問題、相次ぐ閣僚のスキャンダル、都市と地方の格差問題等が国民の反発を招き、参議院選挙で自由民主党は過半数を割る大敗を喫しました。その結果、安倍政権から福田政権へと替わりましたが、参議院では野党が主導権を握るひずみ国会で重要問題の審議が進まず混乱しています。
 ブラジルは二期目のルーラ政権ですが、貿易が好調でレアル高にも拘らず外貨準備が順調に伸びており、米国で起きた金融問題でもブラジルでは影響が少ないようですが、上院議長の問題で重要議題が審議されず停滞しています。
 今年はブラジル日本移民百周年を迎えます。皇太子殿下のご来伯が決まり、各地で記念式典の準備で大変な事でしょう。
 リオデジャネイロでもブラジル銀行文化センターでの「大日本展覧会」を始め、マリナ・ダ・グロリアの「農産展」、ラゴア・ホドリゲス・フレイタス、畔カンタガロ公園内に「イッペ樹の植樹」、コパカバナ海岸での「浜松の大凧揚げ」、「リオ州日本移民史編纂」等、数多くの企画が順調に準備を進めております。
 リオはサンパウロ、パラナ州に比べ日系人は少数のため、カリオカ(リオ市民)は、日本文化に接する機会があまり有りません。今回の企画はカリオカに日本文化を知ってもらう、良い機会だと考えております。
 日本人がブラジルに移住して百年、今では六世も誕生しています、その歳月の間に日本人はブラジルに大きな貢献をしてきましたが、特にブラジル人の食生活を変えて来ました。
 それらの事をカリオカに認識して貰い、これからの百年に向かって益々日伯交流が順調に進むための起爆剤になることが出来れば、この百周年記念行事も意義ある催しに成ると思います。
 日系コロニア全員で総力を結集して日本移民百周年の行事を成功させようではありませんか。二〇〇八年が皆さんにとって最良の年になりますことを祈念します。

今世紀最大エベント「百年祭」
パラナ日伯文化連合会会長 西森ルイス弘志(パラナ州議)

 皆様、新年おめでとうございます。
 新しい年、二〇〇八年は、私達ブラジル日系社会にとりまして日本移民百周年という節目の年で、誠に特別な意義深い年でございます。
 この一世紀の日系社会を振り返って見ますと、移民並びに日系人は、各分野において、ブラジルと日本の架け橋となって日伯の交流、発展に大きく貢献して参りました。
 ブラジルに移民として来られた皆様は、言葉、習慣、文化の異なる地での生活は、言葉に言い尽くせないご苦労があり、大きな犠牲者も多く出ておりますが、先輩の皆様は、子弟の教育に熱意を注ぎ頑張ってきてくださいました。日系人の精神と思想がここに育ってきたことは、間違いございません。
 そのお蔭で今日の日系社会の土台が築かれ発展して参りましたのは事実で、今では、日系人も国や州、市の重要職に就き活躍しておりますし、各分野でブラジル発展の為に活躍されておられます。茲に改めて心からの敬意と感謝の念を捧げるものであります。
 百年祭は、そうした先人の皆々様を想い起こしご顕彰申し上げる年でありますし、日本移民のブラジル社会への大きな貢献をアピールする機会でもございます。また、ブラジル国への感謝の場でもございます。特に私達が、受け継いできました日本文化、思想、精神を次の世代に伝え、これからの新しい日系社会の構成を考える年でもあります。
 昨年五月に私は、パラナ経済使節団長としてパラナ州知事ご一行と宮内庁はじめ外務省、兵庫県、企業を訪問し、移民百周年へのご招待状を持参、各企業を参観いたしましたが、日本側は、ブラジル国に対し、エタノール、鶏肉、大豆、トーモロコシ、柑橘類などに大きな関心を抱いているのが感じられました。
 パラナ州への日本企業の誘致をはじめ、これからの日伯貿易を考えて行くチャンスでもございますので、経済協力が、デジタル放送に始まり益々活発化することに確信を持っております。
 教育文化面の交流により、継続性のある日本文化の優れたものを学び、ブラジルはじめ外国の文化の優れたものとを併せもった、国際的感覚を備えた新しい日系人の誕生を期待しております。
 パラナ州の百年祭は、六月二十二日(日曜日)にローランジャ移民センターで式典が挙行されます。記念事業といたしましては、同センター内に〃夢〃テーマパーク・プロジェクトが、ブラジル政府より一千万レアル(六億円)の支援を頂き建設されます。
 また、マリンガは日本公園、ロンドリーナは中川トミ広場、ロンドリーナ技術大学建設、クリチバでは百周年記念公園、他に六十市町村に記念碑の建設などが予定されております。
 日系人にとりまして、今世紀最大エベントでありますブラジル日本移民百周年祭は、一世紀に渡る日本人移民の足跡、ブラジル国への貢献、次世代への日本文化、精神、思想の伝承、新しい日系社会の構成などを考え、次の百年へ向けての第一歩としての祝典と考えております。
 新年が、日系社会にとりまして、一層希望に輝いた年でありますようお祈り申し上げ、私の抱負といたします。

農業で大活躍する北東伯
バイア日伯文化協会連合会会長 赤堀猪鶴

 本年ここに日本人ブラジル移民百周年を迎えて思う時、移民された方々の目的は何であったかは個人的に差があり、それぞれが固い意志のもとに、その夢の実現のために渡航されて来られたものと思います。
 今でこそ世界はせまくなり、外国どこへでも簡単に旅行したり、仕事に出かける事の出来る時代でありますが、百年前、南米大陸がどこにあるのか、どんな人種が住み、どんな言葉を使い、どんな生活をしているのか、何も判らない人達が大部分の時代に、その強い意思のもとに移民されて来られた方々の言葉には云い表せない数多くの苦難があったものと思います。
 その苦労も歳月の流れと共に良い思い出に変わっておられるものと思います。
 私自身「僕の前に道はない。僕のうしろに道は出来る…」と云う信念のもとに自分の運命をブラジルにかけ、その夢の実現の為に移民として渡伯し、早五十年近い歳月が流れてしまいました。
 近年数回に渡り母国を訪問して、ここ二十年近い日本とブラジルを見比べてみる時、日本には日本の良さが沢山ありますが、個人的には渡伯して来てほんとうによかったとつくづく思います。この大国には全ての分野に於いてまだまだ活躍出来る無限の利点があります。
 他の地方においても同じですが、当地北東伯での日系人の集団地は都市(サルバドール、アラカジュー、レシフェ等)を除けば、ペトロリーナ、ジュアゼイロ地区、バレイラス団地、J・K植民地、タペロア、イツベラ、ウーナ、そして南バイア地区、全てが農業専門で約五十年余の足跡を残しております。
 バレイラス団地の大豆生産、南バイア地方のメロン、パパイアーの一大産地を作りあげ、現在でもマンガ、ウーバ等の果樹生産にサンフランシスコ河流域の日系人が頑張っております。
 今年ここに移民百周年を迎えて、当地ではその記念事業としてサルバドール市内の公園の一面に日本庭園の設園、野口英世博士の胸像建設、そして日系移民館の建設等を計画しており、またその他に日本文化のジブルガソンとして折紙、日本料理、舞踊、盆栽、生産物展示会等数多くの催しが各地方毎に一年間に渡り計画され実行される予定になっております。
 最後になりましたが数多くの先駆者の方々に対し、今までの御指導と御尽力に感謝すると共に、数多くの先亡者の方々の御冥福を祈ります。

MENSAGEM
Marcos Paulo Tiguman
Presidente

As vesperas das comemoracoes do Centenario da Imigracao Japonesa no Brasil devemos relembrar das dificuldades enfrentadas pelos primeiros imigrantes, quando se juntavam o suor do trabalho extenuante, as dificuldades na comunicacao e costumes, as lagrimas de saudades da terra natal e dos familiares e a certeza de estar construindo uma nova historia.
Hoje com o trabalho e o destaque de nossa comunidade em varios campos de nossa sociedade sentimo-nos orgulhosos por estarmos colhendo, hoje, o trabalho e o sonho de nossos antecessores.
Que as proximas geracoes, espelhadas no sacrificio dos imigrantes japoneses, mantenham sempre viva a memoria em nossa comunidade e perpetuem a nossa cultura e as nossa tradicoes.
Somos brasileiros e temos extremo orgulho em dizer que somos descendentes de japoneses.
Que o Natal que se aproxima seja o anunciar de um 2008 radiante e repleto de grandes realizacoes.
Feliz Natal! Excelente 2008! E inesquecivel Centenario da Imigracao!

盛りだくさんの百周年事業
ミナス日伯文化協会会長 馬場直哉

 日系団体はじめ関係者の皆様におかれましては、百周年に向けた準備を進められていることと存じます。
 われわれミナスの日系社会でも、節目の年に向けた準備が着々と進められています。
 ミナス州では昨年十月十六日、州知事をはじめ、市、Fieng、リオ総領事館、ベロ名誉領事、ウジミナス社長、日系企業等の出席のもと、ミナス州百年祭の各機関の協力の調印式が行なわれました。
 そして現在、文協会館の建設、日本庭園造成、多目的記念館の建設などの記念事業に取組んでいます。
【文協会館建設】
 ミナス日伯文化協会本館会館の建設工事は順調に進み、現在、仕上げ工事の段階にあります。今年の敬老忘年会、百年祭のミス・ニッケイコンテストのミナス州代表選出予選も、この会館で行なう運びとなっています。
 二〇〇八年早々には会館の落成式を挙行します。ミナス州日系による種々の百年祭事業、例えば、カラオケ大会、日本の夕べ、映画上映、コーラス、太鼓演奏、日本の踊り、柔道親善試合、などがこの会館で行なわれる予定です。
【日本庭園建設】
 種々の難問がありましたが、ウジミナス、Camargo Correa、CBMM、セニブラ、大同キミカル、ボトランチン・グループ、三菱、V&M tubes等の企業のご協力の成果で、ベロ・オリゾンテ市立動植物園内に、五月の完成をめざし、現在突貫工事で建設が進められています。
 この日本庭園の開園式には皇族のご臨席が期待されています。
【多目的記念館】
 ベロ・オリゾンテ北部のパンプーリャ湖の埋め立て地内に、多目的記念館の建設が予定されています。この建設にあたってはルアネー法の恩典からの資金が予定されており、現在承認を待っているところです。
 また、これらの記念事業のほか、ベロ・オリゾンテ市の二〇〇八年年度カーニバルで一ブロックに出る予定です。さらに、六月を中心に、ウジミナスをはじめ、ミナスの企業で大規模な日本週間も予定されています。
 こうした各種エベントの開催予定日については、随時お知らせしていきたいと思います。
 日本移民百周年を迎える〇八年は、ミナス州においても記念すべき年です。
 この豊かで、壮大な地に受け入れられ、この百年の間に残されて来た文化、知識を、われわれが子孫に残す記念の節目の年でもあるのです。

巡回診療を充実させ孤老の叫びを察したい
南日伯援護協会会長 鈴木貞男

 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。ブラジルに日本人移住が始まって百年の節目である二〇〇八年の新年を迎えるにあたり、皆様のご健勝とご繁栄を心からお祈り申し上げます。
 〇六年、我々は南伯移住五十周年を盛大に催し、今だその余韻に浸っております。南伯にも戦前から住んでおられた少数の日本人、先輩移住者がいます。百周年の機会に、その過酷な苦労の歴史を振り返って偲び、これからの日系社会のあり方を考えながら祝いたいと思います。
 ポルト・アレグレ総領事館は現在、駐在館事務所となりましたが、移住者にとっては、以前にも増してきめ細やかや対応をして頂いております。
 移住者の高齢化、デカセギの日本永住などが進み、コロニアも急変しました。
 我々、南日伯援護協会も一層巡回診療を充実させ、地方に散在する孤立した老移住者たちの、声に出せない心の叫びを察しなければならないと痛感しているところです。
 次世代に対する日系社会の継承を立派な二世たちの活躍に期待し、新しい歴史の始まりともいえる本年の百周年を共に祝いたいと思います。
 皆さまのご健康とご繁栄を再度、祈念したしまして新年のあいさつと致します。

百周年は第一歩
聖南西地区及びリベイラ沿岸地区ブラジル日本移民百周年祭実行委員長 山村敏明

 皆様、新年明けましておめでとうございます。ブラジル日本移民百周年の年、二〇〇八年を迎え、身の引き締まる思いが致します。
 聖南西地区及びリベイラ沿岸地区の三十三に及ぶ日系団体が一致協力して「日本移民百周年祭」の準備をして参りました。一九一三年にイグアッペにこの地方最初の日本移民が入植し、その後、聖南西の各市町村にも多くの日本移民が新天地を求めて移住して参りました。
 この二つの地域が一つの大きな目的達成の為に団結し、友情、交流を深める事は大変意義深いものと思います。当地では、この「日本移民百周年」を記念して数々の記念行事を計画致しました。
 レジストロに高さ十メートルの鉄筋コンクリートの記念塔建設、ヴァルゼン・グランデ・パウリスタの高速道路の陸橋の命名式とその付近の庭園造り、野球、柔道、卓球、相撲の記念大会、先亡者の霊にたいする合同追悼法要、ミス日系レジオナル・コンテスト、皇太子殿下のレジストロのご訪問(未定)そして最後に約八百人の出席者の下に祝賀会を催す事になっております。
 ここで申し上げたい事は、私達の団結、友情、交流はこの「百周年記念祭」で終わるのではなく、これからも日本文化の普及と継承の為、全地域の皆さんが手に手を取り合って、同じ道を歩む第一歩と考えているという事です。
 終わりに、全伯で企画されているブラジル日本移民百周年記念行事が全て成功裏に終わる事を念願いたします。

節目の元旦を心から祝福
ブラジル中西部日伯協会連合会会長 秋本満敏

 新年明けましておめでとうございます。ブラジル日本移民百周年を迎えます二〇〇八年は日伯交流年であり、両国、私達日系社会にとっては有意義かつ記念すべき年であり、皆々様はご健勝のもとに素晴らしい元旦をお迎えられたことと、謹んでお喜び申し上げます。
 今年は移民百周年という節目で、この一世紀に亘って私達の今日の地位と基盤を築いて頂いた先駆者、移住者各位、祖父母、父母の母国日本と遠く離れた、異国における汗と涙の努力の結晶に敬意を示し、心から感謝し、尊き歴史を後世に継承することを誓う重要な年であると確信致します。
 従って、百周年記念のお祭り、催し事、種々式典は記念するに最も重要である事は云うに及びませんが、唯、それが全てではありません。
 この節目に於いては、ここ最近二十数年に亘った、八〇年代のブラジルの経済危機、九〇年代の日本経済成長の停滞による日伯両国関係の劣等化を如何にして活性化するか。
 また、日本にて雇用機会を求めて出向している三十数万人のブラジル日系で、日本にて教育を受ける子弟の帰国後の日系社会における受け入れ方、祖国日本文化の継承、戦前、戦後移住者〔純粋な日本語〕から二世、三世〔日系コロニア日本語〕、四世層〔ポルトガル語主体〕へと日系団体の運営が時の経過と共に止むを得なく移り変わる今日現在を踏まえ、今後の日系団体の在り方を真剣に考える事等が私達が担わなくてはならない宿題であると深く認識する大切な年であることを、私の年頭所感とさせて頂きます。
 そして、日本の約二十三倍の面積を有す、広大なブラジル連邦共和国の北から南、東から西に於いて存在する四百以上の日系団体の会員の皆さん一同と共に日伯交流年の元旦を心から祝福し、素晴らしい百周年を記念し、その喜びを満喫するとともに、新たな百周年に向かって元気に行進しましょう。

2百周年への原点
南マット・グロッソ州日伯文化連合会会長 小野享右

 日本移民百周年を顧みて、ブラジルの大地に挑んだ初期移民の汗と涙の上に、現在の我々日系人があることを心から感謝いたすものであります。
 ブラジルが近代国家として最も輝かしい発展を遂げつつある現在、この国家の興隆期に日系人も、その進展に大きく貢献してきたことを自負し、今後の役割、責任の重さを自覚して進まねばと心を新たにするものであります。
 私は戦後移民でありますが、先日、日本からのジャーナリストを案内して、かつてドウラードス地域に入植した松原移民を初め、多くの戦後移民を迎えたイタウン駅を五十三年ぶりに訪れました。
 しかし、当時のあの堂々とした頑強な建物、黒光りする鉄路が草原を蛇行しながらパラグアイの国境に続いていたあの面影はなく、廃屋となった駅舎、夏草の生い茂る中に赤黒く錆びた線路が影さえ留めないほど寂しく横たわっていたのでした。
 一九五三年のあの日と同じ白い雲が流れる草原に、同じ鉄路が荒れ果てた草間を這うようにして延びているのであろうその前途に、巨大なサイロが真夏の太陽に銀色に照り輝き何基も建っておりました。
 そのコントラストに胸がいっぱいになり、自分の人生、そして日本移民の未来がこのような駅舎や鉄路に象徴されてはならないと、改めて日系人としての誇りと責任を自覚した次第でありました。
 日系社会も先輩が後世に残してくれた南米銀行、コチア産業組合、南伯産業組合等々の牙城は、グローバル経済の前に脆くも崩壊していき、地方の日系社会も日本への就労、次世代の農業離れ、人口の大都市への集中化、また融合と同化が進んでおります。日系移住地が地方の小都市では人口の空洞化により消滅していく現在、何としてもこのような現状に歯止めをかける対策を立てなければと祈る思いであります。
 こうした思いは日系社会を代表するリーダーの方々はみな同じでしょうが、日本移民百周年を機に日系社会もブラジル社会と共に動き、時代と共に前進し、しかもある面においては一歩も二歩も歩みを前に進めて時代をリードする気迫が欲しいと思います。
 加えて、今こそ日本サイドはブラジルという大国に大きく目を開き、日系移住者の能力を最大限に利用し生かすことが国策に沿うことではないかと思います。
 現実において新進気鋭の人材を育てた日系コロニアは、前途に広く果てしない青空の下に大きな文化遺産をどう残すか、守るか、創造していくかということを目標に、百年で成し遂げられなかった事業を百周年を原点として新たな気持ちで再構築していくことが大切ではなかろうか。
 それには百年の計を人材の育成にかけ、二百周年記念を立派に成し遂げようという意気込みと努力が肝心であると思います。

Centenario da Imigracao Japonesa em Santa Catarina
Presidente Seigo Tsuzuki
Federacao das Associacoes Nikkeys de Santa Catarina (FANSC)

O Estado de Santa Catarina e um estado pequeno em extensao territorial, com vocacao para agropecuaria (e o maior exportador de frango do Brasil), turismo, por suas belas paisagens e cuja imigracao predominante foi dos europeus (alemaes, portugueses, etc.).

A populacao japonesa e pequena se comparada com a de outros estados (Sao Paulo, Parana, Mato Grosso, etc.), e esta espalhada em algumas cidades do interior do estado, como Sao Joaquim, Frei Rogerio e Joinville. Juntamente com a associacao Nipo-Catarinense de Florianopolis, fundou-se ha um ano a Federacao das Associacoes Nikkeys de Santa Catarina (FANSC), cuja finalidade e apoiar e coordenar as atividades, festejos e eventos programados para 2008, ano do Centenario da Imigracao Japonesa.

Queremos dar um destaque especial a fato historico que ocorreu em nosso estado ha 205 anos atras. Tal fato registrado no volume 12 do “Kankai Ibun (documento antigo no Japao) e no livro “Ilha de Santa Catarina-relatos de viajantes estrangeiros dos sec. XVIII e XIX”, revela que o solo brasileiro ja havia sido pisado por japoneses no ano 1803, portanto ha 205 anos. Esses japoneses faziam parte da tripulacao do navio Nadiezheda, procedente da Russia e que aportou a ilha de Nossa Senhora do Desterro (atual Florianopolis) no dia 29 de novembro de 1803, permanecendo aqui 71 dias para reparos e abastecimento. Os japoneses, em numero de quatro (4) eram pescadores que foram resgatados apos naufragio, e que ao voltarem ao Japao, relataram em manuscrito suas impressoes sobre nossa terra.

Porem, a imigracao comecou oficialmente com a chegada do navio Kasato-Maru, trazendo a primeira leva de japoneses para trabalharem no Brasil.
O estado de Santa Catarina recebeu poucos imigrantes no inicio. Para ca vieram mais os descendentes nisseis e sanseis, naquilo que consideramos fluxo migratorio. Muitos se dirigiram para o interior afim de trabalhar na lavoura (plantacao de frutas como, maca, pera, kiwi, flores ornamentais, cebola, alho), outros vieram para a capital Florianopolis para completar seus estudos e ingressar em universidades, ou em busca de trabalho no comercio, instituicoes como Banco do Brasil, Eletrosul, etc.

Considerando esses fatos, achamos interessante divulgar a comunidade nikkey de Santa Catarina, o que estamos fazendo atraves de um documentario mostrando como vivem estas colonias do interior catarinense, suas atividades, seus costumes e suas festividades, mantendo a tradicao japonesa. Esse documentario esta em fase final de producao e devera ser exibido no proximo ano, tendo contado com o apoio parcial da JICA.

Portanto, a comunidade nikkey de Santa Catarina esta levando os festejos do centenario, com bastante seriedade, para que possamos mostrar que embora em pequeno numero, comemoramos com dignidade tao relevante data.

A FANSC, criada ha um ano para coordenar as atividades de seus filiados, programou alguns eventos em Florianopolis:
a) inauguracao da escultura comemorativa dos 200 anos da chegada dos imigrantes ao Brasil, doada pela renomada artista plasticaTomie Ohtake;
b) desfile carnavalesco com a escola de samba Copa-Lord, com o tema centenario da imigracao;
c)corrida dos cem anos;
d) apresentacao do grupo de chorinho 4×0;
e) apresentacao do grupo teatral 1980, do Japao;
f) apresentacao do grupo Araumaza, do Japao.

Alem disso, as atividades tradicionais das associacoes do interior se revestirao de um brilho especial para a comemoracao do centenario.
A FANSC conta ainda com o apoio incondicional do Consulado Geral do Japao.

As associacoes nikkeys participam de eventos e atividades promovidas pelos organismos oficiais, ou mesmo pela iniciativa privada brasileira, contribuindo para a divulgacao da cultura japonesa aqui no nosso meio.

Desse modo, a comunidade japonesa de Santa Catarina quer colaborar com sua parcela, embora modesta, no engrandecimento da relacao Brasil-Japao.

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