ホーム | 特集 | ブラジル日本移民百周年 | 編集部座談会「ざっくばらんでいこう」=各地の百周年式典を総括

編集部座談会「ざっくばらんでいこう」=各地の百周年式典を総括

ニッケイ新聞 2008年7月5日付け

◆座談会参加者の紹介
深=本紙の編集長ながら、最多のブラジリア、サンパウロ、パラナ、ベロ・オリゾンテを取材。若手記者を大きく引き離す奮迅の活躍ぶりを見せた。
神=邦字紙記者歴四十余年、唯一過去の周年行事を取材。サンパウロ・サンボードロモ式典会場には、朝から張り付き、全体の流れをその深い経験と高い視線(推定身長185センチ)で見渡した。
ま=サンパウロ、サントス、パラナを担当。取材中にはほぼ食事を摂らず、右手にカメラ、左手に「プリングルス」で乗りきったものの、数キロ痩せたとの噂も。
剛=ブラジリア、サンパウロ、リオデジャネイロへ赴くが、寒いリオは損した気分になることを発見。かなり動いたつもりだがショッピ(生ビール)のせいか体重が増えた。
池=サンパウロ、サントス、パラナを担当。わき道に逸れない真面目な性格ゆえか、取材後のエピソード、こぼれ話にいちいち事欠くため、本座談会での発言も少ない。
坂=サンパウロ、リオデジャネイロを担当。昼食を食べる時間もなく、不満が溜まる。今回の取材のいい思い出は、リオに出発する前にコンゴーニャス空港のマクドナルドで食べた「ピカーニャ・バーガー」の味のみだった、と回想。

■お色気も日本ブーム?

深(参加者一同が席に着くのを確認、日系人女性二人が表紙を飾った大人向け雑誌をおもむろにテーブル置きながら)いやあ、これ見てよ。すごいことになってるから。
 (一同身を乗り出し、各人各様の声を上げる)
深 どうですか神さん。日系女性がこんなことになってます。今回の百周年で日系女性の価値が高まった、と思いますよ。
神 これは…双子だね?
深 そう。記事によると、親が日本に出稼ぎに行って、この二人も四年間生活した。その経験が今っぽいですよ。さらにこの撮影場所がリベルダーデ。すずらん灯が写ってるしね。
剛 撮影してるところを取材したかった。しかし…読み込んでますねえ、編集長(笑)。
深 今回の百周年は、ブラジル社会から祝われているのが大きな特徴、しかも幅広い層からのものだと言いたい。
剛 その雑誌を例に出すまでもなく(笑)。
深 ちなみに、ゲイ関係のサイトでも肉体改造後の三島由紀夫が鉢巻巻いて、力こぶ見せてる写真が出てた。
ま (笑)さすがチェックが幅広い。
剛 後ろから前から(笑)。
深 KAISER(ビールの種類)が百周年を記念して、特別バージョンを出すんだけど、パッケージにはサブリナ佐藤(日系バラドル)が水着姿で笑ってる。
神 なるほど(大きく頷く)。
深 サブリナ佐藤のおかげで、日系人女性に対するセクシーなイメージが高まったのは確か。
剛 他の雑誌でも、日系のモデルが取り上げられていて「背が低い日本人のイメージを覆す」みたいな扱われ方だった。
深 なんか日系人がセクシーの対象に入りつつある。ダニエラ鈴木(女優)はそこまでいかないけどね。
剛 でも、日本的なセクシーさより、あくまで西洋的なセクシーさを持っている日系人という感じでしょう。つまり、腰巻チラリがいいというところまではいってない。
坂 あの…話を戻しませんか。
ま そもそも本題にすら入ってない(笑)。
深 (雑誌を大事そうにしまいながら)そういう感じで、出版物はいっぱい出てる。十種類以上出てるんじゃない。
ま それどころじゃないでしょう。本当に色んな雑誌が特集してる。日本移民を知るための雑誌もある。
剛 ラテン・アメリカ最大の出版社「ABRIL」なんか社を挙げてやってるからね。
ま 広告効果はすごいもんだよね。

写真=十種類以上の雑誌や本が百周年を扱った

■サンパウロ式典

深 その場に居合わせた立場から言えば、かなりインパクトのあるものだった、というのは認めたい。
ま 演出的にはね。
深 そう。空軍の飛行機が式典会場上空を飛んだのにはビックリさせられた。
剛 あれ松尾治執行委員長に聞いたら、本当は空軍に頼んだけど、断られた。でも、来賓席に座ってた斎藤準一空軍大将が動かしたらしい。さすが大将だよねえ。
ま しかも二回。
剛 惜しむらくは、一回目は紅白、二回目は緑と黄色の煙を出して欲しかった。(航空自衛隊の)ブルーインパルスみたいに。
ま 千人太鼓も見た目には、壮観だった。
深 あの迫力はたいしたもの。見た目も迫力あるし、音もね。
坂 JICAシニアボランティアの簔輪敏奏さんが頑張りましたよね。
深 パラナも見たけど、サンパウロの方がきっちり音があっていて凄いなって思った。出場者もかなりテンション高かったと思うよ。そもそも祭典の出だしがラジオ体操だった。あの白い集団でびっしりサンボードロモが埋まった。普段サンバを見慣れている場所で、ラジオ体操。すごいエキゾチック。
剛 ラジオ体操協会の本部がある日本でもやってるんですかね?
深 もちろん。一千人や一万人集まって。だけどブラジルだなあと思ったのは、見世物としてやってる。健康のためにやるものじゃなくて、見世物としてね。日本的には「?」って感じだけど、まさに〃日系文化〃。
ま 神さん六十周年から式典を見続けて、なんか違いありましたか? 八十周年のビデオを見ましたけど、わりと粛々としてますよね。
神 演出の派手さよね。なんたって派手。
剛 ビデオでは、大統領と礼宮殿下(現秋篠宮)がオープンカーで回るのがクライマックスだけど、後は小さい舞台ですよね。
ま 民謡の人とか唄ってるけど、客席の上の人たちは点にしかみえないと思う。
深 昔だったらテロン(大型スクリーン)なんてないからね。
剛 双眼鏡貸し出す商売とかあったのかな。

写真=1000人のラジオ体操は壮観の一言

■やっぱり円形だった!?

神 競技場のトラックにオープンカーに乗って、ブラジル大統領と皇太子御夫妻(当時)とかね。そういうのがやっぱり良かったよねえ。
ま 今回はお年寄りの人たちは一番下に座っていたから、騎乗兵とかが邪魔で見えなかった。車も曇りガラスだったし。やっぱり、パパ・モーベル(ローマ法王の乗っていた透明の車)じゃないとね(笑)。
神 オープンカーで円形のところでやるべきだったね。七十年祭に比べたら全員で盛り上がる部分がない。オープンカーで皇太子ご夫妻(当時)が入場した時は凄かったよ、うん。
深 確かに、みんなが立ちあがって拍手したりとか、そういう一体感はなかったですね。
神 百周年記念の音頭「海を渡って百周年」も円形のトラックでやったほうが、うんと映えた。まぁ結果論だけどね。
深 君が代などの場面は?
神 それも円形のほうが良かった。パカエンブーがふさわしかった。
剛 そういえば、「さくらさくら」歌ったね。
深 三千人のコーラス。
剛 でもあそこは「ふるさと」でしょう。聞きたかったなあ。三千人の「ふるさと」。皇太子殿下を感動させないと! 少なくとも僕は泣いてたね。
(一同無言)

■縁の下の宗教団体

深 今回は、千人太鼓とか合唱団なんて三千人並ぶしさ。テロンがあった方が盛大な感じがする。
ま 蛯原忠男さん(芸能担当委員長)の練習の成果ですよ。
深 彼はいい仕事したよね。出入場から、きちんとやってた。
ま 本番前の不安の声が大きかっただけにね。
深 ボランティアなんかも創価学会、生長の家、天理教が宗派を超えてやってくれた、みたいなこと言ってたね。
坂 でもセクションは別。食事は天理教、入場が生長の家、出場者が創価学会だったかな。
神 ヤキソバは高かったけどね(キッパリ)。
深 宗教団体だったから、オルガニザード(管理)されてた。普通のボランティアじゃあんなことは絶対できない。
ま 集まった時点で態勢ができてるからね。
神 完全に二世、三世が主導権握ってね。ああいうの上手だよね。
剛 それ言えば、八十周年の人文字も創価学会だった。
深 底を支えてるのは日系新興宗教っていうのが興味深いよね。

■混乱はなし? チケット問題

神 パレードは効いたよね。あの会場を有効的に使ってるよね。
ま でも端の方の人は何か釈然としないような。
剛 なんで端に座ったの? 真ん中の方結構空いてたよ。わざわざ端に座らなくても。
神 チケットの区分で分けられたんだよ。
剛 あれだけ苦情が噴出した入場券に関して混乱はなかったんですよね?
神 まあなかったよね。だって押し着せだから、仕方ない。あなたのはこれ、だから。でも何回もあっち行ったり、来たりしてたよ。ポルトン(入場口)で。
神 サンパウロの場合、入場に関しても、早い時間からやったから整然としてたね。
深 やっぱり二、三時間前からアトラクションを始めて、式典にあわせてやるってのは成功だった。初めから四時だと大変だった。
神 あれはうまかった。
坂 入場券が千枚消えたとかいう話も。
深 消えた?
坂 誰かが持っていったという噂ですよ。
剛 配布の時の混乱で怒って、行かなかった人がいることを考えるとやるせないねえ。

■点かなかった友情の灯

剛 消えたといえば、未確認情報だけど、友情の灯のトーチが消えたらしいね。まあ予備があったからいいけどね。しかし、友情の灯の場面は最悪だったねえ…。
池 それまではよかったんですけどね。色んな民族の代表とか、スポーツ選手が灯をリレーして。
深 カフー(元サッカー代表選手)にはビックリ。柔道のバニア石井とか、卓球のウーゴ・オヤマは常連だが、あのカフーだもんね。
神 よくカフー来てくれたよね。
深 一世の移民と日系純血六世の優太君にバトンタッチされたまではよかったんだけど…。
剛 固唾を飲んだ。
坂 音楽も止まった。
池 寒かった。
神 火はつかず、と。
ま 失笑が漏れた。
剛 詰めが甘い(怒)。そこまでしたんなら、六世の優太君が点火できるよう台を作って手を添えて一緒にすれば良かったんだけど、その一世のおじいさんがトーチを着火口にガンガン突っ込んでた(笑)。
一同 「あれはないよね~」
剛 結局、火点けたのはそこにいた作業員。すぐ消えたけどね。ブーイングが起きてもいい状況だった。神戸からわざわざもってきた〃友情〃の灯だよ。点かないってシャレじゃ済まないよ。
深 本当だよねえ。あれだけのために来たんだもんねえ。
剛 重田エウゾ祭典委員長に聞いたら、「雨で濡れました」って。そんな基本的なねえ(笑)。
神 呆れたね。
池 ちなみにその火種は残ってるの? 
ま ACAL(リベルダーデ商工会)が持ってるはず。皇太子さまが通ったときみんなで火を点けてた。
剛 リベルダーデにモニュメント「百周年の灯の塔」とか作って、火を燃やし続けるとかすればいいのに。一回じゃ勿体ない。今思いついたけど、これいいアイディアだね(笑)。
ま もしくはイビラプエラ公園の慰霊碑前にそのモニュメントを設置して、その火で線香つけるとかどうかな。

■名前を呼ばれなかった来賓

深 式典では来賓の名前を全く呼ばなかった。
池 あれはひどかった。
深 日本からの祝電も紹介せず。小泉純一郎元首相の祝電すらね。いくら何でもひど過ぎる。
ま 日伯議員連盟会長の麻生太郎議員が横に座っているのに紹介しなかったしね。
剛 観客もさ、「あれは誰だ? 皇太子殿下のガードマンか?」みたいな状況になってよね。外交上、非礼極まりない。
ま ブラジル側だって斎藤準一空軍司令官、上田雅三連邦高裁判事、高山ヒデカズ連邦議員などなど、後は分からなかったけど。すごいメンバーですよ。
神 日本側は皇太子さまの次に誰か紹介されたの?
ま 誰も紹介されていない。県知事だってかなり多かったでしょ。
神 変な話だね。百周年協会の担当者は、誰だったの?
剛 儀典担当の福原カルロス氏。
深 だってあれ、祭典のプログラムを早めに切り上げて、余裕を持ってはじめたよね。
剛 午後一時の予定を、十二時半から始めたもんね。
深 そうそう。皇太子さまを待ってる時間があったから、その間に紹介できた。しかも途中で、来賓がバンデランテス宮殿の夕食会のためにごそって抜けて。皇太子さまがいるにも関わらず、主賓がいるのに、来賓がごそっといなくなるプログラム。スケジュールの問題もあるけどねえ…。
剛 でも皇太子さまはかなり時間オーバーして滞在された。
深 三十五分。あれは皇太子さまがご発意で残られたと理解したいよね。

■悲哀に満ちた第三部?

坂 カーニバル形式でやった第三部はちょっと悲しかったですね。
ま パラナへのバスに乗るために会場を後にしちゃったんだけど、どんな風だったの?
坂 やはり本当のカーニバルと比較しちゃって。山車とか小さいし。
剛 バテリア(打楽器隊)も小人数だった。踊り手もねえ。ビラ・マリア(サンパウロのエスコーラ・デ・サンバ。今年のカーニバルで日本をテーマに取り上げた)のメンバーはほぼいない。
深 いなかったの?
坂 全然ですよ。
剛 推測で断言しますけど、カーニバルのとき、期待してた日本企業とか日系社会が協力しなかったからでしょう。
坂 日本移民の歴史を説明するテロンはまだ良かった。チカラ(百周年のキャラクター。ブラジルを代表する漫画家マウリシオ・デ・ソウザ氏が制作)が喋ってたやつ。
剛 ケイカ(女の子のキャラクター)はあまり出なかったね。しかし、フィナーレに参加者全員が出てみんなで踊ればよかったのにね。
坂 レプレーザの阿波踊りの人が出てましたね。
ま 花火はどうだった?
坂 メインスタンドからは見えない。
剛 アルキバンカーダ(客席)が邪魔で見えなかった。みんな上まで上がって見てたね。花火の高度もなかったんだろうけど。十二月に予定されている隅田川の花火大会はあそこでするらしいけどね。
神 百周年協会はどう評価しているんだろう。
池 松尾執行委員長は、「式典は及第点を貰いたい」って。自己採点では七十点らしい。
剛 祭典委員長の重田エウザ氏は九十点だった。
神 そうだろうか?
剛 神さん、点つけるとすれば?
神 やっぱりああいうのは、円形でやるべき。
剛 おぉ、またそこに戻りますか(笑)。
神 円形で、テロンつければ最高。一体感ができる。端っこもない。実際パレード向きにしか考えていなかった。
ま パレードを生かした点では上手かったけど。会場の一体感という意味では弱かった。
深 本来は、第三部の移民パレードのためにあの会場を選んだはず。
坂 それなら、もっと盛大にやってほしかった。
深 まあ、選んだ当時の人はもういないしね。

■日系パワーをアピール

深 神さん、七十年祭と比べて心がこもってた、とか、式典として思いが反映されてたところは?
神 それは劣らないと思うよ、最後盛り上がったし。
深 まぁ、確かに、三万人埋まったしね。
剛 入場者の日系と非日系の割合ってどうでした?
神 八割が日系人だね。
深 あの場所で、あれだけの規模のイベントをやったってことは、完全に二世の時代って感じだよね。一世の祭典ではなかった。場所選びから式典運営まで。
神 いわゆる感覚が違うってやつだね。
深 飛行機飛ばすとかは一世の発想じゃない。もう別の段階。あれを見たブラジル人は「日系人はかなりやるぞ」と評価したと思うよ。だって、実際のカーニバルの規模と同じものだもんね。
ま 中身は違うけど、次から次へと統制のとれた演目をやった。あれを見たブラジル人はすごいなと。思っただろうね。
剛 事故に関しては、サンボードロモ、日本文化週間ともに、怪我や喧嘩は一件もなかったって。
深 まさにブラジルを象徴する場所で、日本文化を盛り込んで、規律もあったし綺麗に見せたってのはすごい象徴的。

■沿道を埋めたリベルダーデ

ま リベルダーデ(ガルボン・ブエノ通り)を皇太子さまが通過したとき、広場で老移民の人たちが待ってた。素通りしたのは可哀相だった。
神 なるほどね。
坂 沿道を人があれだけ埋めたんだから、せめて窓をあけてほしかった。
ま まあ開けなくてもいいけど、もっと透明なものでもねえ。
剛 九七年のとき、天皇皇后両陛下は空けてたよね。だからどうだって話だけど。
ま 老ク連(ブラジル日系人老人クラブ連合会)の人も垂れ幕持って待ってた。市井の移民が皇太子殿下を見るチャンスってリベルダーデしかなかったわけだから。
剛 USP(サンパウロ大学)の生徒との懇談も大事だけどね。まあ、リベルダーデ広場危ないもんね。でっかいビルあるし、何か上から降ってきたら大変。
深 小泉純一郎元首相がヘリでグァタパラに降りたようなハプニングは期待できないよ。広場で止めてもらうような交渉が事前に必要。準備してたら有り得た。USPご訪問は文協がまず決まってだったし。
剛 ACAL(リベルダーデ商工会、池崎博文会長)の責任だよね。びしっときめたらよかったのに。中国、台湾、韓国系に押されてる今、いいタイミングだったのに。惜しい。
深 ACALがこれっていうのをやってなかった。カミーニョ・デ・インペラドール(天皇の道)も中途半端にしか進んでいなかったし。
ま 割れた日伯両国旗は何だったんだろう。
深 でも、今回の百周年でリベルダーデのバロール(価値)はすごいあがったと思うよ。
神 そのわりには報われなかった。
深 お金にもならなかった。結局、ブラジルメディアはリベルダーデを大きく扱ったのに、日系には跳ね返らなかった。もったいなかったね。

■パラナ、ローランジャ式典

ま パラナの式典は、一時間半くらい予定をオーバーした。ロベルト・レキオン州知事が通訳いれたら、四十五分くらい話したからね。
池 でも、歴史的背景も含めて、良いこと言ってましたよね。
深 良かった。すごいいい話だった。あのスピーチ原稿欲しいね。色々なところであいさつ聞いたけど、レキオン州知事のが一番熱がこもってた。
池 感動しましたよ。樋口アウド(ポルトガル語編集長)が泣きかけてて、僕の肩をポンポンって叩いて「エリ ファラ ムイトベン」(彼はいい事言ってる)って言ってましたよ。
深 でもあれ、パラナ州の教育テレビで生中継してた。百周年の名目だからいっぱい喋っても良いだろうっていうね。自分のおかげで生放送してるんだしね。あとから、聞いたら、本当は七分間の予定だったらしいよ。
池 へえ、そうだったんですか。
深 翻訳分をテロンで映す予定だったのに、州知事は演説原稿を二つ用意してきて予定していなかった方を始めたもんだから、通訳をその場でいれて、時間が二倍になってしまったというのが真相らしい。それでも、一人で二十分間はしゃべったんだけど。まあ、内容はいい話だったから、個人的には感動しながら聞いたけど。
ま おかげで、アレンカール副大統領があおり喰らった。
深 副大統領の時は誰も聞いてなくて。隣りの子供が飽きて地面に絵を書いてた。「俺はルーラの名代で来てるんだから、もっとちゃんと聞け」って言って(笑)。
剛 そこまで言ったの?厳粛さのかけらもないね。
深 「後一頁で終わるから」って言ったにも関わらず、「あ…もう一枚あった」って(笑)。
ま・池 (声を合わせて)そうそう(笑)。
剛 それ面白い。式典のクライマックスだね。
深 副大統領にああいうことを言わせるってすごいこと。「ここパラナか東京か」とか訳分からんこと言ってた。
剛 間違いなくパラナ。
神 サンパウロ式典で上原幸啓・百周年協会理事長のアドリブもみんなどっと沸いたよ、あいさつの時、スピーチ用の紙を落として。
ま エモシォナンチ(感激のあまり)。通訳がなかったって批判もあったけど、テロップが出る予定だった。
深 だけど、調子が悪くて、出ないから、ジルベルト・カサビサンパウロ市長の時に急きょ、その場で二宮正人弁護士に通訳をお願いしたんだって。その後、たまたま二宮弁護士と一緒になった時に「いやー、あの時は困りました」って言ってたよ。
ま 上原理事長的にはちょっと釈然としないかな。こういう言いかたはなんですけど、西森ルイス百年祭式典委員長(パラナ州議)は自分でも両方やってた。
深 西森委員長の場合は、長い話の一部だけ日本語にして。
池 要点はついてたしね。周りのブラジル人記者がびっくりしてた。「ニシモリはあんなに日本語話すのか」って。そりゃそうだよね。

■大変だった皇太子報道

ま しかし、今回の皇太子殿下の報道ね。大変だった。
剛 ブラジル人記者に聞かれたのは、「皇太子殿下の目を見てはいけないって本当か」とかね。クラッシャー(記者証)の後ろに取材に関する注意書きがあった。皇太子殿下を横切るな、話し掛けるな、とかね。
池 ブラジルの文化に反してる。
深 ブラジルの新聞にも記事として扱われてた。今まで(の皇室来伯で)そんなことありました?
神 クラッシャーに書いてるのは初めて。
剛 でも、僕はそうするべきだと思った。そういう理屈じゃない存在が日本にあるっていうのを知らしめるべき。それが文化だから。ブラジルにはないからこそね。
深 むしろ演出だよね。
ま でも、サントスの取材では、皇太子殿下が埠頭に立ってるんだけど、カメラマンが遠くに追いやられて。取り巻きが邪魔で撮れない。イライラしたカメラマンたちが「プリンシペー(皇太子)、ナルヒト~イラッシャイマセ~」とか叫んでた(笑)。
坂 皇太子さまも日本では分からないけど、リオのポン・デ・アスーカルでも英語で「テイク・ア・ピクチャー(写真撮って)」とか取材陣に言われて、ポーズ取られてましたよ。
剛 宮内庁担当の随行記者に言わせれば、日本では有り得ないらしいけど、「今回の訪問は、かなり上機嫌ですねえ」とも言ってたよ。

■厳しかったパラナの規制

深 しかし、パラナのスケジュールはきつかっただろうね。
ま そうですよね。しかも三都市ばらばらだった。
深 ロンドリーナの中川トミ広場で移住者が二列になってたけど、二列目まで握手されてた。
ま それいい絵ですねえ。あそこでは、マスコミがすごく遠くに追いやられて。思ったけど、一般の人の方がいい写真を撮ってるよね。
深 そういう場面は結構あった。
ま 途中から、日本とブラジルメディアが分けられたりね。想像だと思うけど、イビラプエラ公園の慰霊碑の場所取りが原因だと思う。ブラジル側が先に入ってポイントを抑えてて、後からプレスバスで来た日本随行記者団の場所がなくて。慰霊碑の門が閉められてた。
坂 あれは県連の園田昭憲副会長が閉めた。
ま 一人は入ったと思うけど、APの写真使ってる新聞もあった。
深 異例だね。いつも締め出される側の邦字紙からすると、園田さんよくやった、といいたい(笑)。
神 いつも喧嘩になるよね。
坂 そういうのもあってか、ポン・デ・アスーカルでも、先に日本メディアの場所を決めて、後からブラジルメディア。
神 それもいつもやるね。
剛 邦字新聞に優先権が欲しいね。日本もブラジルもいいけど、今回の主役である移民の人に読まれる新聞なんだから。リオの領事なんてね「邦字紙はちゃんとしますから」って言ってたのに、取材に行ったら、リストに名前がない。事前に名前と身分証明書番号まで入れて、電話で確認までしたのに。サンパウロ新聞記者なんか「THE サンパウロ新聞」って書いてたから、こっちも「ニッケイ新聞見参」って書こうかと思ったよ。
ま 夜露死苦(ヨロシク)ってね(笑)。
ま マリンガなんてブラジルメディアは、完全にシャットアウト。
池 あれは酷かった。
ま クラッシャーに印がついてて、アウトリザード(許可)されてる記者が二人だけ入れた。
池 僕なんか体格の良いおばちゃんに腕つかまれてつまみだされた。脱臼するかと思いましたよ。
剛 しなかったの?(残念そうに)
深 ACEMA(マリンガ文化体育協会)は入れなかったの?
ま 追いつけなかった。パルケ・ド・ジャポンに行ったら、もう動けない。ACEMAで、皇太子さまはミスパラナと写真を撮ってたらしい(悔しそうに)
ま 皇室関係にとっては、過去最大に予定が狂ったんじゃない。一時間半だもんね。
深 九七年の天皇皇后両陛下の時はどうでした?
神 少しずつ、ずれてたけど一時間っていうのはない。
剛 まあ、あの日程はハード過ぎるよ。随行記者団なんて、外務省にクレーム出したとか言ってた。
坂 リオなんて、一日だけで七つもスケジュールあるんですから。結局最後は追いつけなかった。
剛 コパカバーナを出て、ブラジル銀行行くのに信号待ちしてたら、皇太子さまの車が目の前横切っちゃった。護衛のために車止めるから大渋滞になって。最後タクシー降りて、荷物もって一キロくらい走ったよ。もう無茶苦茶。
坂 でも剛さん、ジーコと一緒に写真を撮ったんですよね。僕がコメント取ってる時に…(恨めしそうに)。
剛 (無視して)日本の人の記者団も「皇太子さまと何を話されたのですか」ってジーコを囲んだ取材が終わるや否や、みんなマイクとペンを握ってた手で握手求めて、みんなで、写真を撮ってた。すごい人気だね。
ま だてに十五年も日本で生活してない。
剛 みんな真面目な顔してクタクタの様子だったけど、ジーコと写真撮ったあとは「ブラジル来て良かった」だって。あれで報われたね(笑)。
神 みんなミーハーだね(笑)。
剛 リオのご接見はよかったね。五十人のうち、百周年協会からのこのこ三十人も出席したサンパウロのお手盛りとは違った。
坂 あれは福川正浩総領事の相槌や助け舟が上手かったですよね。でも、浜松の凧揚げは残念だった。風がなかったし、たぶん皇太子さまは、見えていなかったですよ。
剛 あれは、暑い時にやるべき。ビキニのおねーちゃんとかにも手伝ってもらって一緒にやったほうが絵になった。めちゃめちゃ寒かったもん。プライア(ビーチ)なんて誰もいなかったよね。
坂 全然居なかった。でも中日新聞によると、一応皇太子さまが前を通過された、と報道してた。
坂 揚がる前の凧を。
剛 運んでるところね(笑)。

■日本企業からの援助なし

剛 神さんに聞きたかったんだけど、七十、八十年祭に対する日本企業からの協力はどうだったんですか?
神 会議所を通じてドンとあったよね。
剛 そうですか。今回は日本企業からは少なかったみたいですよね。
深 そうそう。式典、日本文化週間にも連邦政府からルアネー法(企業が文化事業に支援することで免税措置を受けられる)が下りてたのにね。
剛 日本週間には六百六十万レアル。祭典と合わせたら一千万レアル(約六億円)を超えた。一説によると、過去最大の認可額だったらしい。〇〇年の「ブラジル発見五百周年」や今年の「ポルトガル王室ブラジル到着二百周年」なんか比較にならないとか。
ま 他地方の事業に下りたものを入れたらすごい額になる。
神 商議所も企業個々の意思に任したって感じだったね。
深 今回に関しては商議所とは最初からボタンを掛け違えた感じがするね。とはいっても、修好百周年基金は関連事業に回ったわけだけど。
ま 百周年協会(サンパウロ)の動きが鈍かった、というのもあるんじゃないかな。予算も当初のものから変わって、確定したのはずっと最近になってからだしね。ただ、進出・コロニア企業を問わず百周年をPRしていたんだから、もう少し理解があっても良かったかな、とは思うね。
剛 日本文化週間で、モニター提供、もちろん使って返すってことで日本の電気メーカー三社に相談したら全部蹴られたらしい。日本週間の始まった日にNHKのハイビジョン展がシネマテッカであった。そこには出してる企業とかあるからね。
神 やっぱり企業が個々にって感じだね。昔は割りふりがあったし、額も大きかった。
深 昔は南米銀行があって、資金集めとかね。
ま コロニア企業もまだ強かったしね。
剛 皇太子さまの車もトヨタのセルシオじゃなく何故ベンツなのか、って冗談言ってた人もいたね(笑)。

■日本側での百周年報道

剛 百周年関係の日本側の報道は、凄かった。全国紙はもちろん、かなりの数の地方紙が連載で取り上げた。映像でも結構あっただろうね。
ま とりあえず皇太子さまって感じだけどね。
剛 皇太子さまご訪問はいいんだけど…ある意味本末転倒な部分がね。
深 そうそう。皇太子さまばっかりになっちゃって、移民とか、日系社会に対しての焦点がぼけちゃった気がする。
ま サントスで思ったけど、皇太子さまが旧日本語学校を訪れられたというのは、歴史からみれば凄いこと。
深 戦争で接収、返還運動、六十三年経って日系社会に戻って、地元の人からすれば「ようやく戦争が終わった」と。
剛 戦後の混乱時は「日本から出迎えの船が来る」ってデマが流れて、日本人が港に集結したのが社会現象としてニュースにもなった。そこに皇太子さまご訪問だから。すごいドラマだよね。
ま だけど、その道程が記事では、皇太子さまのおまけになってる。
深 そういうのは残念。
ま ただ、出たってことは大きいことだけど。
剛 いずれにせよ、日本的には六月で完全に終わりでしょう。
ま これからは洞爺湖サミット、北京オリンピックでしょうね。
深 ブラジルでは、年末まで色々目玉があるけどね。
剛 今回の百周年報道を通して、在日ブラジル人のこととか身近なことを考えるいい機会にしてほしいよね。
ま かなり矯正されたと思うよ。ブラジルへの目線は。キワ物ばかりじゃなくて。
剛 アマゾン、カーニバル、サッカーに加えて、日本移民も入った?でも読んでなかったら、意識に残らないしね。サンパウロの式典で日本からの慶祝団で「皇太子さまが退場されたから、自分たちも帰ろう」っていう人が実際にいた。皇太子さまはなんのために来てるのかを考えて欲しい。それなら、わざわざブラジルまで来なくても新年一般参賀に行けといいたい。そういう人が大半ならば、悲しい限り。
ま 随行の人たちももっと取材とかしたいのかも知れないけどね。
深 本人が書きたくても短い記事しか載らないとかいうしね。
剛 「こんなに皇室が歓迎される国はない」ってみんな感動して、すごいブラジルファンになった人もいたけど、書けないジレンマがある。だからこそ、日本のメディアが書けないことを邦字紙が書いて発信しなきゃいけない。移民新聞は移民がいなくなったら終わりっていうけど、日本に伝える使命があることを感じたよね。今年の百周年は。

(二〇〇八年六月二十七日収録)

 

image_print