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注目浴びる響ファミリー=苦難乗り越え脚光浴びる=15日からディナーショー

ニッケイ新聞 2008年7月15日付け

 「たかがブラジル人と日本で思われているのをぶち壊したい」と威勢のいいセリフを吐くのは日系三世、響彬斗(27・ひびきあきと)さん。自らが座長をする大衆劇団「響ファミリー」を率いて今年初めて、本格的な里帰り公演をブラジル各地で行い、大盛況の盛り上がりをみせているが、最初から順風満帆だった訳ではない。大衆芸能にかける思いを聞いてみた。
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 「僕は日本語が書けないから日本では差別されるんです」。北海道で生まれ、リベルダーデで育って日本舞踊、和太鼓、歌などの素養を身につけていた彬斗さんは、本格的に芸事を勉強しようと思い立ち、二〇〇〇年三月に訪日した。
 色々な芸が活かせる場として大衆演劇の世界に踏み込んだ。本名の松井滋樹にちなんで「ブラジルしげき」と芸名を付けられ活動した。〇三年には弟、一真(かずま、23)さんも後に続いた。でも肌合いが合わず、最終的には退団…。「あの世界は人間関係が難しい」と多くを語らない。
 数カ月間、佐川急便の倉庫やレストランの厨房で働いたり、アルバイトを転々とした。「日本語が書けないから、いい仕事はみんな断られる」。いくら日本語がペラペラとはいえ、ブラジル育ちの日系三世だ。読み書きまで日本人並みになるのは難しい。
 そんな時、妻・悠嘉さんが近くの店で何気なく談笑していて「夫が大衆演劇をやっている」というと、店主の奥さんは「それなら老人ホームでやってよ」と頼まれた。
 これが転機だった。
 〇五年七月、東京都足立区友愛の里という老人ホームで三日間公演した。「初日を見たある老女が二日目には口紅をつけ、三日目には綺麗な服を着てきて感動した」と振り返る。「すごく純粋な反応で感動した」。
 その時の成功がキッカケとなり、口コミで公演依頼が次々に入るようになった。「多いときには月に十七公演という時がありました」。老人ホームを中心に公演することで、従来の大衆演劇とは一線を画した独自の活動となった。
 「リベルダーデで育ったから今の自分がある。これがなければ、ただのブラジル人。日本で、たかがブラジル人と見られているイメージをぶち壊したい。着物を付けたとき立ち姿とか、ここで習ったものを活かしてアピールしたい」。
 今回の来伯は百周年と重なり、十八日のブラジリア下院議会での慶祝セレモニーでも注目を浴びた。
 〃たかがブラジル人〃と思われている日系三世が、日本の伝統的な大衆文化を武器に、ブラジルで評判を呼んでいる。
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 二十七日に帰国するにあたり、十五~十八日まで実家であるレストラン「喜怒哀楽」(11・3207・8569)でディナーショーを行う。一晩三十人限定、懐石割烹料理と響ファミリーのショーで一人百二十レアル(飲み物別)。

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