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日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(6)=50万人説は本当か?=乱暴な計算と怪しい根拠

ニッケイ新聞 2009年4月17日付け

 日本人奴隷に関して注意が必要なのは、その人数に諸説があることだ。
 インターネット(以下、ネットと略)上であちこちに「日本人奴隷五十万人説」がまことしやかに書かれている。
 その説の唯一の根拠となるのは、鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』(成甲書房、二〇〇六年)だ。一五八二年にローマに向け出発した天正遣欧少年使節団の報告からの引用として「火薬一樽と引きかえに五十人の娘が売られていった」などの扇情的記述と共に「五十万人」と書かれており、その部分だけがネットで幅広く流布されている。
 と同時に「その記述にはまったく根拠がない」「原典にあたったら、日本人奴隷が酷い状況に置かれていて驚いたとは書いてあっても、一樽五十人うんぬんはなかった」との反論が方々のサイトに掲載されている。
 ちなみに、鬼塚氏は大分県別府市在住で本職は竹工芸家。同市の事情に詳しい「今日新聞」サイト(//today.blogcoara.jp/beppu/2006/07/post_b2f5.html)によれば〇四年に自費出版した原著が、「自費出版後に太田竜氏が高く評価したのがきっかけでインターネットで話題となり、ことし(〇六年)一月末に五百部が完売」し、それに大幅加筆したものを成甲書房が出版したという。
 成甲書房は「異色ノンフィクション」をウリにする出版社で、鬼塚氏の原著を高く評価した太田氏自身が『地球の支配者は爬虫類人的異星人である』という奇妙なタイトルの本を出版している。そのような筋から〃高く〃評価されて出版されたこと自体、ある種の傾向を示している。
 「担々麺亭日乗」サイトの『「天皇のロザリオ」鬼塚英昭著を読みながら』(//d.hatena.ne.jp/jimrogers/20070405)という頁には、「鬼塚本人と良く話す者」という人物の書き込みがあり、次の計算が披露されている。
 「よく問題となる、本作の五十万人の数の件は、簡単に説明すると、概数、五十万人/期間/キリスタン大名数=年間の奴隷数となりますので、年間に一から二万平均で、月千人から千五百人前後で、一大名月間百人前後(私の推計)」
 とすれば、「十人のキリシタン大名が毎月百人ずつ日本人を奴隷として四十一年間売り続けると五十万人」という単純計算による乱暴な数字でしかない。
 しかも同書には、さも遣欧少年使節団の報告に「五十万人」の数字があるかのように書いているが、ネット上の数々の指摘によれば原著にはその部分がないという。どうも怪しい。
 ネット上では「日本にとって都合が悪い歴史なので、改訂版を出す時にわざと消された」などと、さも鬼塚氏の方が正しいと弁護する記述もあるが、通常の思考法からすれば、原著にないことが「引用」する時に書き加えられた可能性の方を疑うだろう。
 人数に関し、中隅さんは『入門』の中で、南蛮船一隻あたり二百人くらい積んだらしいと推測し、「南蛮船の来航は季節風の関係で、一年に一度しか来れない。南蛮船は五十年間に約百隻ぐらい入ったと推定されている。全部が全部、奴隷を積んでいったわけでもあるまいが、その外にシナのジャンクも入港して奴隷を積んでいるから、やはり二万人ぐらい出たと考えてよさそうだ」と計算した。
 日本人奴隷がいたことは間違いないが、誰にも正確な数字は分からない。少なくとも、南蛮船の物理的限界からして「五十万人」はありえない。となれば「数千人から数万人」という曖昧な数しか出せない。
 四百年以上前に異国に奴隷として売られ、働かされた日本人たちの思いはどんなものだったか。きっと「いつか日本に帰りたい」という強い望郷の念に駆られ、自分がどこにいるかすらも分からず、記録にも残されずに歴史から消えていったに違いない。(つづく、深沢正雪記者)

写真=奴隷船の内部図解



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