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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年11月4日付け

 日本を思い出し、涙を流すー。電話もでき、簡単に行くことができる現在、望郷の念に駆られて涙腺が緩むという元移民は少ない。むしろ最近の状況をよく知ったうえでの批判が始まることも▼先月31日にあった日本留学研修員ブラジルOB会(ASEBEX)主催の「日伯留学・研修制度50周年式典」に足を運んだ。小松ジェニ会長を始め、何人かに話を聞いたのだが、目頭を熱くする人が多いのは少々意外だった▼両国の留学制度は、戦後移民が始まって間もない1956年の文部省研修生―このOBをモンブッシェイロ(Monbucheiro)と呼ぶ―が嚆矢。ASEBEXは全国に先駆け、1959年に始まった岡山県の第1回県費留留学から起算して節目を祝った。OBの栢野定雄氏(文協副会長、日本カントリークラブ元会長)は、「船で45日かかった。新幹線もなく、まだ戦後の傷跡があった」と壇上で語った▼戦前二世と最近の三世では、訪日で感じる思いや感覚は大分違うだろう。しかし、父祖の国日本で若い一時期を過ごした共通の体験が生み出す連帯感は、「ASEBEXの活動を応援していきたい」と締めくくった栢野氏に送られた時の空気が物語る▼小松会長に聞けば、「1千人以上のOBがいるが、完全に把握していない」という。事務所移動のさい、資料が散逸したこともあるとか。デカセギは日本嫌いになる人が多い一方、研修・留学OBらは、親日派、知日派が多数派。そんなASEBEXが親睦団体で終わってしまうのは実に惜しい。将来、期待される日伯経済、文化交流の懸け橋となる体制づくりができないものだろうか。
 (剛)

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