ホーム | 連載 | 2009年 | 『日伯論談』=様々な問題を俎上に | 日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第46回=名波正晴=共同通信社リオデジャネイロ支局長=人の往来自由化で交流拡大

日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=第46回=名波正晴=共同通信社リオデジャネイロ支局長=人の往来自由化で交流拡大

2010年4月17日付け

 デリーからロンドンまでユーラシア大陸をバスで旅する日本人バックパッカーの軌跡をつづった沢木耕太郎氏の紀行文「深夜特急」に刺激された方は多いだろう。私もその一人で、かつて世界各地を安旅で歩き回った。今、特派員として南米全体を管轄する身にあり、ブラジル以外の国々にも長く滞在し、若き沢木氏を彷彿させる若者に出会す機会も多い。この地を闊歩するフリークたちにとって、ブラジルは「行ってみたい国の一つ」だ。ところが、いざ訪問となると、おしなべて二の足を踏む。「査証(ビザ)が必要なのが難点」なのだと。
 ▽観光熱に水
 観光省によると、この国を訪れる外国人観光客は年平均500万人。2008年の日本人は8万1270人と、過去5年間では33・6%増となった。前年比でも28・2%と高い伸びだが、08年は移住百周年の各種記念行事が行われ、これが呼び水になった可能性が高い。緩やかな右肩上がりにある程度と受け止めるべきだろう。
 07年にスプリシ観光相=当時=にインタビューした際、年間1600万人前後の日本人が海外旅行する現状を踏まえて「年間90万人の日本人を誘致できる可能性がある」と分析、当面は年間10万人に引き上げるのが目標だと語った。日本人の平均滞在日数は12~14日で、大半がパッケージツアーとの点が特徴という。「日本との距離とかハンディは感じないか」と私が問うと、同相は「日本の場合は(両国の)特性的な制約もある」との言い回しで、査証が必要というネックを示唆した。
 日本人にとって南米で今一番ホットな国はペルーだろう。アンデス山脈の高峰にそびえるマチュピチュ遺跡やナスカの地上絵などが、歴史と蘊蓄好きな日本人ツーリストの心をつかんだ。08年の日本人観光客は4万2745人と過去5年間で56%増という驚異的な伸びを示し、米州大陸諸国を除き日本は第5位の観光客送り出し国になった。かつて極左テロの嵐が吹き荒れ、日本大使の公邸までもが占拠されるという負のイメージは完全に払拭された。
 ペルーもブラジルも日本からの距離という点で大差はなく、イグアスの滝やアマゾンの大河など雄大な自然に加え、歴史的な街並みなど、ブラジルの観光資源はペルーにひけを取らない。この観光熱の違いには航空路線や物価水準などの要因はあるものの、査証の要否が大きな比重を占めるのは旅行業界の定説だ。
 ▽免除協定の不在
 日本の外務省によると、観光目的などに限り相互に査証を免除しているのは現在計61カ国・地域で、中南米ではアルゼンチンやチリなど計14カ国。観光誘致の目的から一方的に査証を免除する国もあり、日本人はこの地域ではブラジルとキューバ以外は査証なしで渡航できる。キューバの場合、友好国メキシコの空港チェックインカウンターでツーリストカードを買えるので、査証取得という煩雑な思いを強いられるのは事実上ブラジルだけだ。
 なぜ、ブラジルと日本の間に査証相互免除協定がないのだろうか。観光客を装ったブラジル人が日本で就労しそのまま居座る事態を避ける、日本側にそんな思惑があると揶揄されがちだが、これは正しくない。前述した14カ国のうち、協定取り決めが最も遅かったのはバルバドスの86年。ほとんどが60~70年代に結ばれており、日本が外国人に労働市場として注目を浴びる以前の時代、むしろブラジルが「未来大国」として輝きを放っていたころだ。その当時、日本がブラジルに協定締結を呼び掛けなかったとは考えにくい。
 ブラジル外務省筋によると、近年、両国間で協定交渉が議題に上ったことは一度もない。査証免除は「人の往来の自由」を双方が国として保証する措置で、両国の信頼関係が前提だ。100年を超える民間人の往来史の一方、国レベルとなると、国家としての思想の違いもあるのか、深読みすれば決定的な信頼感に欠けるともいえる。
 ▽「裾野」を育成
 ブラジルには6世を含む推定150万人の日系人が居住し、日本にもその子孫ら31万人が定住。これだけコアな日本支持層を擁する国は他にない。では、コアな「中核」以外の部分、いわばマージナルな「裾野」部分はどうか。こうした支持層が育つ素地があるのだろうか。
 未知の国を旅する者は、その国の民が味わう物を口にし、奏でる楽器の音色に耳を立て、その国の空気に溶け込む。冒頭の「深夜特急」からは、感性豊かな若き旅人の先々の国への礼儀が伝わってくる。この小説の醍醐味は、言葉も満足に伝わらないごく普通の人々とのやりとりが温かく描かれていることに尽きる。作者は「旅人は人の親切心を食うもの」とシニカルに表現するが、だからこそ旅する国々、人々への愛着が随所に散りばめられている。その感情はやがてその国に対する熱い想い、国と国との付き合いの中では支持へと変りうるものではないか。観光客は経済交流に比例するといわれる。素朴な愛着に端を発した小さな水源は、やがて交流という大河を運ぶ、それは決して極論ではない。ブラジルと日本の交流拡大に向けた妙薬の在処は、意外と灯台下暗しなのかもしれない。

名波正晴(ななみ・まさはる)

 静岡県出身。ベトナム、メキシコで特派員経験後、2007年11月着任。46歳。

image_print