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50年には4億人が移住か=昨年4730万人難民に=政変や不況、災害で激増

祝103周年 移民の日特集

ニッケイ新聞 2011年6月30日付け

 『世界難民の日』の20日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が、2010年末までに戦争や迫害で住む場所を失った世界中の難民や避難民の数は4730万人に上ったと発表した。前年比で40万人増え、過去15年で最多という2010年の場合、難民・避難民の1540万人が国外脱出者で、2750万人が国内避難民、亡命申請者も85万人という報道に、今年の難民・避難民数は更に増えると予想せざるを得なくなる。

政変や自然災害続く年

 昨年の国外脱出者を国別に見ると、反政府武装勢力タリバンが攻勢を強めて治安悪化に歯止めがかからないアフガニスタンが305万人で最多。以下、イラクの168万人、ソマリアの77万人などが続く。
 この報告書には混乱が続くリビアを逃れた人などの数は含まれていないが、今年の難民・避難民が増えるであろう事を予想させる要因の一つは、年頭から続く、北アフリカや中東での政変だ。
 北アフリカのチュニジアやエジプトで始まった政変は、今も空爆などが続くリビアやトルコへの難民続出が伝えられるシリアなど、各地に飛び火し、収まる気配が中々見えてこない。
 更に、日本の大震災と津波のような自然災害も、難民や避難民増加の要因となり得る。リオ州山間部での土砂災害なども、国内避難民を生んだ自然災害の例だが、国際移住機関(IOM)は2010年11月に、2008年に自然災害で移住を余儀なくされた人は約2千万人おり、今後は温暖化の影響で更に深刻化するとの分析を加えた報告書を発表した。
 同機関によれば、2009年の国外移民や難民などの世界の「移住者」は2億1400万人で、2050年までには現状の倍近い4億人超となる可能性があるという。

移住者はどこへ?

 UNHCRの報告によると、国外脱出者の8割は近隣の発展途上国に避難しており、多くの難民を抱える国は、パキスタン190万人や、イラン107万人、シリア100万人など。全難民の半分強は18歳以下の若者だという。
 難民の避難先の多くが発展途上国という現状は、難民の多くは十分な支援を受けられない事も示唆している。グテレス高等弁務官は「難民がなだれ込むという先進国の恐怖は度が過ぎている」「途上国が難民の避難先となっている現状を変えなければならない」と強調し、先進国に問題解決への協力を求めている。

外国移民排斥傾向は続く

 一方、難民受け入れに協力をとの国際的な要請に対し、新聞などで目にするのは、外国移民排斥傾向が依然続いている事を示す記事がほとんど。
 イスラム女性が顔を隠すのに使う「ブルカ」や「ニカブ」の使用を昨年禁じたフランスは、モスクに入りきらないイスラム教徒が路上などで集団で祈る行為も禁じようとしており、ドイツでも昨年、移民に知能指数検査を義務付けようという法案が提出された。
 米国では、アリゾナ州が不法移民取り締まり強化に向けた移民法を制定した一方、カリフォルニア州の国境警備が強化された2000年以降、アリゾナ州南部の砂漠を越えて入国しようとした不法移民が、異常な高温のために熱射病や脱水症状を起こし、死亡する例急増との報道もある。
 また、1月9日付エスタード紙は、冷戦終了後のドイツでベルリンの壁が崩壊した1990年以降、米国とメキシコ間、ギリシャとトルコ間、サウジアラビアとイエメン間、インドとパキスタン間の様に、外国からの移民流入を阻止するための壁の建設が増え、その距離は2万7千キロに及ぶと報じている。
 更に、政変下の北アフリカからの難民を乗せた船が地中海で立ち往生したのに欧州同盟(EU)諸国は救助の手を差し伸べようとせず、死者も出たとの報道や、イタリアからの労働者流入を嫌うフランスが大陸間鉄道の乗客検査を始めたなどの報道も、外国移民排斥の動きが今年も続いている事を物語っている。

グローバル化に逆らって

 域内住民の移動自由化を前提としていたはずのEU諸国でその移動を制限しようとする動きが生じ、世界各地で移民流入を阻止する壁の建設が行われている事は、開放や自由化、均質化などを謳うグローバル化の流れに反するものだが、壁建設や移民法強化などを行う国々はグローバル化や、難民や移住者の動きをどう理解しているのか。
 自国民の生活や雇用を保障しようとする国々もかつては貧しさの中で移民を送り出していた事があるのだから、やって来る人々を温かい目で迎えよう、移民を受け入れる事で文化や経済、生活が豊かになった事を思い出そうとの呼びかけは様々な形でなされている。しかし、失業者の増加や犯罪発生率の高まりなどに直面した国では、移民や難民の受け入れを拒否する事で問題は解決すると考えている向きさえある。

国内の人口移動も同じ

 ここまでの流れは、国際的な人の動きを中心にしたものだが、労働力の移動も含む人口移動の問題には、国内外で共通する側面も多い。
 その第一は、経済力や社会事情が移動の方向を決める事。経済力のない国の人がある国に流入するのはグローバル化の原則の一つだが、国内での人口移動を見た場合、北伯や北東伯の開発が進んできた事で、南、南東伯への人口流入が減少し、北、北東伯の人口流入が増える傾向にある事は周知の事実だ。
 経済活性化計画(PAC)関連事業などで人口が急増した地域では犯罪も増えたという報道は、国際社会でも起きるマイナス面の国内版だが、リオ山間部の土砂災害被災地などでは、地元での生活を諦め、新天新地を求めて旅立つ人々が出た事も記憶に新しい。
 麻薬密売者が支配していたファヴェーラに平和駐留部隊(UPP)が設置された事で、新たな経済活動などが定着し始めたリオ市なども、政変や紛争で難民流出が起きた国々の歴史と重なる。

自分も受け入れられた

 東日本大震災と原発事故という思っても見ない災害に見舞われた被災地では、日本が大好き、お世話になった日本人に恩返ししたいなどの理由で日本に止まり、救援活動に身を投じたブラジル人も多いが、人種の坩堝であるブラジルで、米国ほど強い外国人排斥の動きが見られないのは何故だろう。
 その理由の一つはブラジルの国土の広さや資源の豊かさだろうが、それと共にブラジルも移民立国である事も重要だ。国民の多くが移民を先祖に持つ事が、国内外からの移住者受け入れを容易にする素地を作っているというのは短絡的な考えではないだろう。
 第2次世界大戦当時、日本人が強制移住させられたりした歴史は伯米共通だが、勝ち組、負け組問題で日本移民排斥の動きが起きた時、ブラジル議会は日本移民への門戸を閉ざさないで居てくれた事を思い出す日本人、日系人には、ブラジルの懐の深さは経験済みだ。
 国内の人口移動問題同様、国力や社会事情を反映した社会の縮図としての難民・避難民や移住者の流れは、将来も続く事だろうが、周囲の人やその動きをいかに受け入れいかなる関係を築いていくかに個々人や各国家の懐の深さがそのまま表れ、他者から受け入れられた経験のある人や国は難民や移住者を受け入れられるといったら、買いかぶりすぎだろうか。

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