ホーム | 特集 | 【祝 福博村入植80周年】世界が舞台の剣道部=谷口氏が創設、林氏が強化

【祝 福博村入植80周年】世界が舞台の剣道部=谷口氏が創設、林氏が強化

ニッケイ新聞 2011年10月22日付け

 福博村会剣道部(福博剣道協会)は1957年、関西大学国文科卒で剣道錬士5段の谷口又夫さん(当時33歳、現在、谷口園照の名でスザノ金剛寺住職)が日本語学校の教師として入村、校舎で剣道を始め発足した。毎週3回、すり足もできないレンガ床の上でけいこし、1959年には早くも、けいこ着なしで、幼々年、幼年団体の部で優勝、全伯にその名をとどろかせた。
 この時代、村会から寄贈された防具は5組しかなく、部員約20人が交代で使用、時には取り合いになることもあった。
 1961年に、林義宣、秋山正俊さんが初めて有段者となり、62年には全伯大会で幼々年、幼年、少年、有段者の部で優勝を果たす。
 以後、1976年のイギリス、79年の日本、82年のブラジル世界大会に福博からブラジル代表選抜選手を平均3人送っており、85年のフランス世界大会には幼年から鍛えられた福博村生え抜きの権堂ケンジ(19歳)、林幸男(18歳)の2選手がブラジル代表として選抜され、団体決勝戦で日本と戦い、林選手は敢闘賞に輝いた。
 その後の世界大会でも88年の韓国大会に2人、91年のカナダ大会に3人、94年のフランス大会に2人、97年の日本大会に4人、2000年の米国大会に2人、03年のスコットランド大会に2人、06年の台湾大会に3人の福博村会剣道部出身選手をブラジル代表として送り込んでいる。
 2009年に開かれた全伯幼少年大会では、福博の林ユキ選手が少女の部で史上初の3連覇を果たし、弟の林隆一選手も幼年男子の部で2連覇に輝き、邦字新聞をにぎわした。
 師範の林義宣さん(7段教士)は剣道部が発足した1957年18歳の時、谷口さんに農作業で曲がっていた腰が直り「姿勢が良くなる」と言われ剣道を始めた。昼に農業をし、夜に日本語学校に通い、そのうち週3回は剣道のけいこが行われた。試合の前には千本素振りし、全伯大会で7回個人優勝を果たした。うち1964年から67年には4連覇、団体戦でも福博チームは6連覇を実現した。あまりの強さに「勝つための剣道は止めろ」と言われるほど強かった、というエピソードが今に残っている。
 谷口さんからは最近「後進の指導が甘い」と言われるが、林さんは「余り厳しくするとブラジル人の子どもが道場に来なくなる」とブラジルにおける剣道指導の難しさを語る。防具の面を30分以上付けたままでけいこさせると、生徒は嫌気が差してしまう。「やめないように、面白くけいこするように努めている」と言う。子どもを励ますよう親に協力を求め、大会の後は祝賀会を催して激励する、など細かく気を配りながら福博剣道の伝統を守っている。現在、部員は約60人いる。

image_print