最終回=100年後に価値が出る=各県人会で取り組みを

ニッケイ新聞 2011年12月27日付け

 祖先シンポの中で、ブラジル沖縄県人会の与那嶺真次会長も、当地独自の取り組みを熱く講演した。位牌をどうするかは子孫にとって重要な問題と考え、長男が受け継ぐ伝統が揺らいでいる現実をかんがみ、沖縄文化センターに集めて保存し、共同供養する計画が進められている件を発表した。
 「位牌だけでなく、香炉の灰にも歴史がある」そう与那嶺さんは強調する。「おじいちゃんが沖縄から持ってきたのは位牌だけでない。香炉もそう。そこに積もっている線香の灰にはご先祖さま何代分もの想い、祈りがこもっている。この灰を専用のカプセルに入れて渡航者氏名、船名、渡伯年月日などを書いて、保存する。次の100年でどんな偉い人が出ても、移住して来た初代の歴史が文化センターに来れば残っているようにする。偉い人が出れば出るほど、初代の価値が出るような、そんな施設にしたい」。
 先祖崇拝を県人会が代行し、ルーツ意識を継承させるための拠点にする。これも一つの県人会のあり方かもしれない。
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 上原幸啓さんは文協会長(当時)である百周年の頃、「日系団体で最初に無くなるのは県人会」と公言していたが、実際に県人会によっては定期総会を開いても10人も集まらないところがある。47県人会が揃っている日がいつまで続くか、誰にも保証できない時代だ。
 それぞれ県人会で子孫意識の活性化ができれば、会消滅を避けられる可能性がある。ならば沖縄の事例は、他の県人会でも参考になるはずだ。
 どの県も、県民と海外子孫がお互いの存在を有益と思える「万国津梁」のような良いイメージを持てれば、関係は活性化する。郷土性を重視しつつ50年先、100年先を考えた一つのモデルだ。
 ただし各県ごとに歴史は異なる。それぞれに県人性を深く掘り下げる作業が必要だ。県史の中に移住が果たした役割、移民による母県への貢献とは何だったのかを解釈しなおす必要がある。
 その上で、その歴史を分かりやすいフレーズに置き換え、県民と県人子孫がそれを共有できるよう、繰り返し演劇、音楽、芸能などを通して周知徹底する必要がある。
 その中で海外子孫にも継承させるべき県民性とは何かをふり返る考察が生まれ、母県でも広く知られるべき移民の物語、イメージが発掘される。
 現代の日本において「国際的」であることが真剣に問われているのは外交という高等なレベルではない。むしろ、工場の中や隣のアパートという国民の日常生活そのものだ。外国に住んでいる県人会の会員は〃外国の日常を良く知る県人の集まり〃であり、「国際化」の最先端にいる。
 沖縄県が世界の県人会と組んで短期留学の仕組みを作ろうとしているが、どの県でも可能なことだ。互恵関係を発展させる上でも積極的に進めていい方向性だ。
 農業高校生などが来伯する県もあるが、受け入れ先は農家だけでない。県人家庭で使う言葉の状況、日本語学校、各地文協の催しはもちろん、スーパー、薬局、病院、レストラン、高速道路など日常生活全てが異文化経験そのものだ。県人会員が日常考えている「文化、言葉、考え方の相違」は貴重な外国体験として、母県の若者に伝える価値がある。
 その中で、日本がいかに得がたい生活環境を提供しているかが母県の若者に実感され、日本語だけで会話できることのありがたさ、日本での食生活の豊かさ、安全のありがたさ、外国人との意思の疎通の難しさの片鱗でも体験できれば成功だ。最終的には、彼らに「日本人であること」の自覚が深まれば、それに優る成果はない。
 県庁も県政の一環として長期的な戦略のもとに取り組む必要があり、それに対応して地元企業、地元大学、国際交流団体などが一致団結して協力して行くからこそ、県民への影響力が生じる。
 そのような取り組みの結果として、地域にしっかりと足場を固めつつも、多文化環境を理解する国際人が輩出されるに違いない。(深沢正雪記者、終わり)

写真=与那嶺真次会長

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