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「ブラジルに原発いらない」=盆子原さん北東伯で講演=(下)=「広島から何を学んだか」

ニッケイ新聞 2012年1月13日付け

 「カーチンガのど真ん中で、1〜2メートルの潅木以外何もないようなところ。いわばその昔ランピオンが活躍したカンガセイロの地です。あんなところが原発候補地になっているとは・・・」と実際に現地を見た盆子原さんは驚いたという。
 ブラジルでは現在、リオ州のアングラ・ドス・レイスに2基の原発が稼働しており、その横にもう1基建設中(14年稼働予定)だ。さらに4基の建設計画が進められており、その40カ所の候補地の一つが人口4千人余りのペルナンブッコ州イタクルバ(Itacuruba)だ。海岸沿いの州都レシフェまで466キロという内陸に位置する。
 北東伯諸州をぬって流れる大河で、地元では「シッコ・ヴェーリョ」と愛称されるサンフランシスコ川沿いにあり、その水を使って原発を冷却する計画だという。
 イタクルバとその近隣4市で昨年10月末の4日間、ペルナンブッコ連邦大学のエイトル・コスタ教授らが中心になり反原発キャラバンが繰り広げられた。「ここに原発ができて放射能漏れ事故がおきたら、ブラジル第2の大河の流域全体が大変な汚染被害に遭う」という危険性を訴え、学生ら26人がキャラバンをした。
 盆子原さんも招待されて参加し、毎日4回ずつ被爆体験談を語った。
 87年にゴイアニア州で起きた放射性物質セシウム137漏れ事故の写真パネルも会場に張られた。暗闇で青白く光るセシウムが人体を蝕む放射能を放っているとは思わず、親戚や家族まで呼んで見せているうちに近隣住民約250人が被爆した事件だ。その時に汚染されて放射能を出し続けている住民の服や家財を地下10メートルに埋め、地上を有刺鉄線で囲った場所を、昨年7月に盆子原さんは訪れた。
 「ここは人類の英知が造った墓場ですよ」。盆子原さんがその埋立地を見て語った感想が、朝日新聞11年8月4日付け記事冒頭に紹介されている。福島原発の1号機棟から4号機棟までがずらりと並ぶ姿もまた、人類の英知が造った巨大な墓標として、彼の中ではゴイアニアに重なって見えているに違いない。
 キャラバンでは風力発電や太陽光発電などの代替エネルギーに関する講習も行われ、計1300人の反対署名も集まった。「納税番号を持ってきた人だけ署名してもらった。署名に協力を申し出た人ははるかに多かった」という。
 盆子原さんに印象深かった出来事を問うと、「日本では定期検査でどんどん原発が稼働中止になり再稼働していないというと、会場から拍手が沸いて『二度と稼働させるな!』と歓声が挙がった。あの時は自分の気持ちが通じたと嬉しくなった」と思い出す。
 一行が寝泊りしたのはカトリック教会の宿舎だった。北東伯は伝統的に解放の神学が強く、反政府的な活動への抵抗感が少ないようだ。それに当日は、近隣のインディオ集落の酋長5人も集まってきた。「サンフランシスコ川の自然環境を守るという考え方に共鳴して集まってくれたようです」という。
 盆子原さんは、「原爆はただの兵器ではなく、世界中に放射能を振りまく。福島の事故が起きてしまった今こそ、僕らは声を大にしてその危険性を叫ばなければ」と強調した。
 「福島の子供たちが可哀想でならない。あの中から4、5年もしたら僕が子供時代に苦しんだような症状を現す子がたくさんでるかもしれない。日本政府は一体、広島から何を学んだのか」と静かに問いかけた。
 当地で広がる反原爆原原発運動に、戦後移民の存在は欠かせないものとなり始めている。(深沢正雪記者)

写真=ペルナンブッコ州で現地の子供に囲まれながら熱心に説明する盆子原さん(写真提供=盆子原さん)

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