第7回=外国移民の影響強いブラジル語

ニッケイ新聞 2012年3月29日付け

■影響力もったブラジル・ポルトガル語

【岸和田】=こっちの方が人口も多いし、経済力を握っちゃってますから。ポルトガル人は面白くないかもしれないけど。ブラジル・ポルトガル語(=ブラジル語)が中心になっている。
【小林】=ポルトガル語圏諸国で、そのオルトグラフィア(正書法)の統一をやった時に、やっぱりブラジル式表記が基準になった。
【岸和田】=例えば「アッサン」(acao)っていうのをね、昔はCを入れてたわけですよ。accaoという表記。ブラジルではそのCを取ったが、ポルトガルはまだCを入れてたわけですよ。今でもポルトガルには、「俺は絶対にその点は抵抗する」って人は一杯いますよ。
【深沢】=ブラジル式のポルトガル語に直すってのはやっぱり抵抗強いでしょうね。
【小林】=ポルトガル語圏諸国で合意して、ポルトガルでも新表記にのっとった辞書も発売されてますけど、実際にはね…。
【岸和田】=まあ新聞はある程度変わったけど、作家の文章なんかは変わっていない。だから例えば、ポルトガルなりモザンビークの作家の作品で、ポルトガルの出版社の表記と、ブラジルの出版社のそれとは実は違うんですよ。
【深沢】=だいたいアルファベットの数からして違うんですよね。ブラジルはK、Yとか、何か外国人移民の影響でポルトガルのポルトガル語では使わないようなアルファベットがありますよね。日本移民の名前も大いに関係していますが。
【岸和田】=例えばYは本来なかったので、最初の時ヨシダさんなんてのを、イヨシダ(Ioshida)って書いたりしたんですよ。Yなかったから。でも今はYを使います。
【深沢】=アマゾンに「Y・YAMADA」というスーパー網がありますが、まさにそうですね。サンパウロの電飾店「YAMAMURA」とか。それはやっぱり移民の影響を受けたブラジルをスタンダードにすると、そうなっていくということなんですよね。
【岸和田】=そうそう。言語って変わるもんだし。イギリス英語とアメリカ英語だって、残念ながらアメリカ英語の方が世界を席巻しちゃってるじゃないですか。
【深沢】=それは経済力の問題ですよね。文化の問題ではなくて。
【岸和田】=どっちがいいとか悪いとかじゃなくてね。いろんなポルトガル語の仲介役を担っているのが、ブラジルのノベーラですよ。ノベーラを見ることによって、ポルトガルやアンゴラやモザンビークの人がブラジルのポルトガル語を理解するようになった。
【小林】=ポルトガルの人はね、ブラジル人の話すポルトガル語がすごくスアーヴィ(編注=やさしい)できれいだっていう。あんまり批判する人いないですよ。
【深沢】=そうですか。
【岸和田】=我々が聞いてもやっぱりブラジルのポルトガル語の方が非常に耳に優しいです。シューって喋り方しないから。ポルトガルの方はね、単語の最後のsの発音がシューってなる。
 私の嫁さんは日系三世ですが、1984年にポルトガル行った時に、通じないんですよ。それで「あなたのポルトガル語通用しないじゃん」って冷やかした。
【深沢】=ブラジル人でも慣れるまでは、分からないでしょうね。
【岸和田】=でも慣れればどうってことないですよ。


■イタリア移民の影響

【深沢】=ポルトガルのポルトガル語では、挨拶のとき「チャオ」って言わないんですよね。
【岸和田】=「チャオ」はイタリア語からきてる。
【深沢】=ブラジルで日常的に「チャオ」っていうのは、イタリア移民の影響でしょうね。
【小林】=今はポルトガルでも言うかもしれませんが、もともと言わないはず。詳細は分かりませんが。
【深沢】=じゃあ、ブラジルから逆輸入みたいな…。
【岸和田】=イタリア移民の話になりますが、19世紀末以降、エスピリトサントでもリオでも、サンパウロもイタリア人の影響がある。一時期たとえば1910年頃のサンパウロの工場労働者の8割はイタリア人だっていうくらい多かった。サンパウロ市に住んでる人間の半分くらいはイタリア人。だから言葉もどどどっと入る。
【深沢】=ええ〜。
【岸和田】=サンパウロで電話する時、「もしもし」は「プロント」じゃないですか。これイタリア語ですよ。
【深沢】=あっ、そうなんですか。
【岸和田】=私なんか最初、ブラジルに来てノルデスチに入りましたから、ブラジルの田舎言葉を覚えたわけですね。それでサンパウロへ来て、「プロント」って聞いて、意味が分からなかった。だって普通は「プロント」って言ったら「レディー」(準備終了)っていう意味じゃないですか。で、何がプロントなんだって。
【深沢】=ははは。ノルデスチではプロントって言わないんですか。
【岸和田】=言わないです。サンパウロだけですよ。だからチャオもそうで、色んなところで言葉が。
【深沢】=パウリスタは言葉の最後に「メウ」(meu)ってつける人がいますけど、あれもイタリア語から来たんじゃないかとかって聞いたことあります。
【岸和田】=イタリアの影響を話し出すとそれだけで一時間以上持つんですけど(笑)。19世紀後半から20世紀にかけてのイタリアの影響はブラジル文化においてめちゃくちゃでかいですよ。(つづく)

写真=アマパー州都マカパーにある日系スーパー「Y.YAMADA」(本社=パラー州ベレン)。このような存在が「Y」をブラジル語に入れる大きな力となった



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