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87年前の移住の思い出

ブラジル日本移民104周年

ニッケイ新聞 2012年6月23日付け

 1925年、先に移住した上地寛吉さんの花嫁として22歳で渡伯した。旧姓は与那嶺。寛吉さんは同じ真喜屋出身で家も近所だった。南麻州カンポ・グランデの鉄道会社と契約し、ノロエステ線の敷設工事に携わっていたという。
 サンパウロ州カタンドゥーバ市に移って結婚し、コーヒー園で契約労働をしていたが、数年後、州内のアルバレス・マッシャードに移転。そこで約30年間綿、落花生、とうもろこしなどを栽培し、町で売って生計を立てた。
 寛吉さんの逝去後は長男進吉さんと農業を続けたが、1960年初期、58歳の頃サンパウロ市に移った。そして仕事を引退し、自宅で家事や孫の世話をするようになった。
 長年経済的余裕がなく、初めて帰国したのは70歳を過ぎてから。「人間は自分のルーツを知らなければ」と子どもによく語っていたというマツさんは、先祖の系譜を調べ、それを記した仏壇を持ち帰った。その家譜によれば先祖は源為朝、息子の進吉さんは14代目にあたるそうだ。

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