ホーム | 連載 | 2012年 | YOSAKOIソーラン10周年 | YOSAKOIソーラン10周年=第7回=それでも続ける大会出場=「日本の文化守りたい」

YOSAKOIソーラン10周年=第7回=それでも続ける大会出場=「日本の文化守りたい」

ニッケイ新聞 2012年7月18日付け

 金銭的なハードルや専門的な指導者の不足もいとわず、YOSAKOIを続け大会に挑む団体は、踊りにどのような意義を見出しているのだろう。
 毎年欠かさず出場している一心のリーダー、松田フーベンスさん(三世、32)=サンパウロ市=は、「大会に出て他のグループの踊りを見るのはいい刺激になるし、大会があるからこそもっと上手くなろうと頑張る」と生き生きした表情を見せる。
 日本でYOSAKOIを見た北海道協会の青年部部長がビデオを持ち帰り、2000年から活動を始めた。サンパウロ市文協青年部も加わり、サンパウロ州を中心に様々な祭りに参加してきた。YOSAKOIの周知と共にグループの知名度も上がり、07年頃から祭りの多い時期は毎週末、イベントに呼ばれる。
 「自分たちの所もプロはいないから、ダンスや振り付けの好きなメンバーが振り付けを作る。難しいけど、毎年何とか乗り切ってきた」。日本文化を守ることが一番大事との考えで、必ず猟師の動きを取り入れている。彼らは、移民の願いを受け継いだ若者たちなのだ。
 「時間を守るのはすごく難しいけどね」と苦笑いをしながらも、「有名になった『一心』という名を保つためにも頑張りたい」と気概を見せた。
 06年、パラー州ベレンに誕生したユイ・ソーランは最も遠方から訪れるチームの一つだ。「日本文化を通して若者に責任感、規律、団体精神を教えたい」と宮本アデリア(二世、48)さんを始め5人の日系人がチームを立ち上げた。現在のメンバーは30人で、内8割は非日系人が占める。
 「陽気な曲や喜び溢れる感じ、特に観客とのエネルギーのやり取りが好き。他のチームとの交流も出来るし、経験を積んで成長できる」。資金集めや団体での移動は大変だが、それ以上の収穫を得ることが出来る。また、「大会は日系社会に活気を与え、2国の文化を繋ぐ架け橋となっている」と確信を込めて語った。
 平成学院では「若い子に日本文化を伝えたい」との想いから、花柳流舞踊の名取でもある浜崎みゆき校長(46、三世)自らがチームを結成した。生徒170人のうち40人が所属しており、日・非日系人は半々程度。父兄や教員も巻き込み3チーム出場した年もある。
 「大人も子どもも日系人は、始めは恥ずかしがる。でも力を出して歌って踊るうちに段々と変わる。ブラジル人は時間を守るようになるし、我慢強く行儀もよくなる。どちらにとってもいい効果」と教育的効果を実感する。
 様々な学校行事で忙しい中、浜崎校長に加え同校のバレエ教師二人が振り付け指導を行い、大会2カ月前から放課後や週末を返上して練習に励む。衣装は毎年校長自らがデザイン、近年は同校の音楽教師や外部の専門家に依頼しオリジナル曲を作成している。曲の制作や衣装代、教員への給与は入賞時の奨励金や学校の運営資金を充てる。
 「集団で踊るダンスのエネルギーは涙が出るくらいはすごくて、私自身がYOSAKOI大好き! もちろんこれからも続けていく」と一瞬の迷いもなく断言した。時間と資金とエネルギー、全て注いでまで打ち込むほどの魅力を、YOSAKOⅠに感じている。(つづく、児島阿佐美記者)

写真=会館に集まり練習に励む一心のメンバー

image_print