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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年10月26日付け

 昨朝のラジオで某政治コメンテーターはサンパウロ市長選で「アダジ当確」を公言していた。よほどの大スキャンダルでも噴出しない限り、アダジ優勢をひっくり返すことは困難との判断だろう▼セーラ陣営は「アダジは市長になる準備ができていない」と断言するテレビ宣伝を繰り返し攻撃する。アダジ陣営は「セーラが前回、任期半ばで市長を辞めた。どうして今回は信じられる?」とやり返す。日本ではありえない攻撃的なテレビ宣伝だ。悪意、憎悪すら感じさせる▼サンパウロ市決戦投票は「建設的な議論」から外れて、ただ中傷し合っている感が強い。でも一方がそれを始めたら〃お返し〃をする。今も「やられたらやり返す」という論理は厳然と生きている▼ブラジルのデバッチはその迫力が肝であり、見る側もそれに感動する。理論だけではフリオだ。どこでどう感情を爆発させるかも〃論陣を張る〃ための重要な要素といえる。そんなデバッチの巧拙を票という点数に換算するのが民主主義だ▼超高視聴率を記録したグローボ・ドラマ「アベニーダ・ブラジル」の悪役カルミーニャの魅力は徹底した嫌悪表現に他ならない。あの狂女が、最後にはつき物が落ちたように善人になる様にブラジル人はロマンを感じる▼日本外交に足りないのはこの〃言い合い〃の迫力だ。日本国内での言い合いと、外国相手のそれでは根本的にルールが異なる。相手によって切り替えることの重要性を日本国民はもっと自覚した方がいい▼デバッチの重要性は昔から日本でも言われている。問題は、それをただ「頭で知っている」だけではなく、「体験として分かっている」かどうか、本当の国際性の問題ではないか。(深)

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