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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年12月14日付け

 正面玄関の大屋根が新装され、眩いばかりのサンパウロ市・日教寺で、9日夜行われた楠野秋葉なつみ7回忌、楠野隆夫没後11周年、楠野小川フェリシア没後15周年の法要には100人以上の親族友人が詰めかけた。わざわざ東京から駆けつけた友人までおり、故人の人望の厚さを感じさせた▼なつみさんは夫楠野裕司さんと共に、日本から多くの芸術家、劇団などを呼んで当地に紹介した。生前になつみさんは「毎年12月の初めに3千枚も年賀状を手書きするから忙しいのよ」と言っていた。葉書1枚出し渋るコラム子とは対極だ。つながりを大切にする彼女ならではの言葉だとこの時期になると思い出す▼画家の隆夫さんは当地に舞踏を紹介して根付かせ、その妻フェリシアさんも97年、舞踏家大野一雄の来伯公演の受入れをしている最中に亡くなった。3人とも50代半ば——短すぎる生涯ながらも日伯の文化交流史に輝かしい功績を残した。このような戦後の文化史もいずれ書き残されるべきだろう▼来年は戦後60周年。「移民に戦前も戦後もない」という批判はもっともだが、現実的に考えて、戦後に関する記録は今まで実に少ない。今年連載した「国家事業救った8人の侍」のような戦後独自の逸話は、まだたくさんあるに違いない。「戦後」という区切りの式典をすることで、そのような記録を掘り起こす気運を醸成することが重要ではないか▼60周年記念事業の方は、大震災被災青年招聘事業を県連と共同で行うなど、ぜひ「戦前、戦後関係ない」形でやったらどうか。戦後移民も平均年齢は70代後半に差し掛かった。今残さないと、戦後の貴重な移民史も失われてしまう。(深)

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