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ブラジル文学に登場する日系人像を探る 7…東洋街生まれの「フジエ」…中田 みちよ=第4回=深みのある男性像とは

ニッケイ新聞 2013年5月24日

 4つの出来事が偶然かさなった。最初の髯。18歳の誕生日。トシの結婚。俺の茶色の帯。トシの新婚旅行はどこかの温泉地だった。トシタロウは所帯持ちになり、おやじは肥りはじめ、俺の髯は濃くなり、2回目の髯そりを要求している。3週間もトシタロウに会わない。虚しかった。リベルダーデのまちを何かを探すようにうろついた。それなりの価値を見つけるには、誰かがそばに居なければならないのだ。すごい喪失感。雑草のように栄養分を吸い上げてしまう学校の物理と化学の時間のようだ。しんどい。自分はトシといてはじめて完結することに気づいた。はじめて充たされる。何にでもトシの意見を聞かなければ木偶なのだ。トシがいない散歩も同じだった。芝居も酒も柔道も味気ない。無味乾燥だった。トシが帰ってきた。親密さは旧倍した。節約をやめて、最高の結婚プレゼントをした。トシは結婚しても何も変わらなかった。あいかわらず一心同体。すべて順調に行く。
 こんなふうにつるんで歩くグループは最近では何もリベルダーデだけではなくなりました。なんか最近は「オリエンタル」がすべての面でハイライトを浴びる時代なんだそうです。ふーん、百年という時間の威力ね、とひとり頷いています。
 「なぜ、歴史には女性が登場するのだろう。目とは哀しいものだ。視線が彼女に向く。そのたびに震えがくる。どうしていいか分からない。何もせず、なにも求めなかった。俺はトシの友情がほしいだけだった。彼女にはそれが理解できないのだろうか。何か必要なものができるとベランダを通って暗室にいく。たとえばマッチ。すると彼女がやってくる。何とかかんとか言いつくろって近づく。俺の口からタバコを抜き、火をつけてまた押し込んでくる。その尊大な態度は横っ面をはりとばしてやりたいほどだ。窓をみると…そこには食い入るように見つめ、訴えている瞳がある。恐くなって私は目をそらす。彼女は、俺たちの何年もの堅固な男の友情をぶち壊すつもりだろうか。一人前の男を気取って俺は、そ知らぬふりをする。新婚旅行の不在のときの空虚感を思えば、賢明なやり方だった。しかし最悪の状況だ。我慢できない。トシとはうまくいっていないのだろうか。トシがもう一人要るのだろうか。頑健で、善良で、一生懸命やっているトシのような男は他に存在しないのに。俺に悪魔になれというのだろうか」
 トシは健康、快活で、スポーツマン。しかし、主人公と比較すると精神的な深みを持たない男として単純に描かれています。うじゃうじゃ悩む男は、男ではないというような感覚が日本人にはありますからねえ。竹を割ったような気性とかいうのが、男の褒め言葉でしたから。それを男らしさとして称えた…このあたりは、ブラジルでも共通していて、ジョルジ・アマードの描く男性像もこんな感じ。でも、あっさり、単細胞という言葉でカタがつくような気もしますけどね…。
 さて、「俺」はトシの父親の写真スタジオで働くようになります。「JUDO」の看板が街角に多かった時代は写真館も多かった記憶があり、調べてみると、1922年にはリンス市で西金蔵が写真屋を開いたのが嚆矢のようです。開拓に不向きな人間もいましたから。重労働から逃れた人たちが町に出て見よう見まねではじめたのでしょうか。例えば1932年当時の調査(サンパウロ州新報社年鑑)ではサンパウロ2、サントス3、リンス2、アラサツーバ1、プ・プルデンテ2、レジストロ1、プロミッソン1の写真館がありました。その当時、サントスは逃亡移民たちの溜まり場だったんですから、写真屋が多いのも頷けます。(つづく)



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