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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第140回

ニッケイ新聞 2013年8月17日

 しかし、小宮には試着した二十着近いドレスの違いなどまったく記憶にはなかった。それでもドレスについて話し続ける叫子の表情は幸福感に満ちていた。
 日曜日の夜、パウロが戻ってきた。
「カルトリオの保証人は従姉夫婦と伯父夫婦に頼んだ。日付が決まったら連絡すれば、時間は都合つけるというから心配しないで進めてくれ」
「それで教会の方はどうだった」小宮が聞いた。
「ウェディングドレスを着た叫子を見てみたいよ。教会はピラチニンガのセントラル教会のパードレに頼んだ。こちらもブッディスタでもカトリコ式の結婚式を挙げてくれるそうだ」
 それを聞くと、叫子はパウロを相手にウェディングドレスの説明を始めた。ブラジル人の男というのは、日本人とは比較しようもなくやさしいのか自分の結婚相手でもない女性の話に耳を傾けている。見てもいないドレスのデザインに相槌を打ったり批判をしたりしている。小宮が寝ようと言わなければ、二人は翌朝まで話をしているような勢いだった。

 カーニバルも終わり、サンパウロは雨季の真っ最中だった。金曜日の午前十一時、日伯文化協会の近くにあるカルトリオで、婚姻届にサインをした。パウロももちろん立ち会ってくれたが、伯父夫婦、従姉夫婦が保証人欄にサインし、二人は夫婦として認められた。そこで結婚証明書が発行された。この結婚証明書のコピーをサンパウロ総領事館に提出すると、日本の戸籍にも二人が結婚した事実が記載される。
 皆で昼食を済ませた後、パウロに案内されたセントラル教会に向かった。打ち合わせと簡単な予行演習がパードレ立ち会いのもとで行われた。
 次の日曜日、午後二時からセントラル教会で結婚式が行われるように、パウロはパードレと交渉してくれた。挙式には、竹沢所長を招待した。叫子の方は仲のよかったトパーズのホステス三人だけだった。
 その日は朝から小宮のアパートでは式の準備に追われていた。叫子は朝早くから美容院に入り、髪をセットしてきた。戻るといちばん仲のよかったホステスのミサキがウェディングの着つけを手伝った。
 小宮の方は簡単なもので、デパートでこの日のためにオーダーメイドでスーツを一着仕立てだけだった。
 竹沢所長が小宮の結婚を知り、二十人が乗れるレンタルのマイクロバスを準備してくれた。アパートに集まった招待客は全員乗れるので交通手段の心配はなかったが、ソファに座っていても小宮は落ち着かなかった。
 いつものんびり構えているパウロも、まるで姉が結婚するかのように自分の部屋に入ったり、サーラに戻ったりで慌ただしい。
「少し座って休め」
 小宮が言うと、「シェッフェの準備はもういいのか」とせわしない。
 もうそろそろ出発しなければならないという時間になって、叫子が寝室から出てきた。ウェディングドレスの裾が汚れないように、ミサキが託しあげて後に続いている。一階に降りると、玄関前にはマイクロバスが横付けされていた。
 運転手の他に竹沢所長も車内にいた。
「ご結婚、おめでとう」
「ありがとうございます」と答えながら小宮が先に乗った。叫子がその後に続くと、「きれいなお嫁さんだ。おめでとう」と竹沢が言った。
 日本なら黒い肌の花嫁に驚く参列者もいるだろうが、ブラジルでは誰も何も思わない。
 叫子は二人用の席にドレスが着崩れしないように静かに腰かけた。「失礼します」
「お相手は二世なんだ。日本語がお上手ですね」
 ブラジルでの生活が三年目になった竹沢所長は叫子をミスチッサの二世と思ったようだ。
 玄関でトパーズのホステス二人も合流し、車内は華やいだ雰囲気に包まれた。しかし、竹沢は叫子の親族がいないことに気づいたのか、小宮に尋ねた。 (つづく)


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