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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第141回

ニッケイ新聞 2013年8月20日

「新婦の親戚は直接教会に行っているのかい。どちらの出身なんだい」
「私も彼女も家族はブラジルにいません」
 小宮の返事には竹沢は訝る表情をした。
 すぐに叫子が自分の境遇を説明した。聞いてはいけないことを聞いてしまったと思ったのか、すまなそうに言った。
「晴れやかな日なのに、余計なことを聞いてしまった」
「そんなことはありません。今日は私に家族ができる日で、それを皆さんに祝福してもらい、こんなに幸福なことはありません」
 叫子からは喜びに満ち溢れた笑みがこぼれた。
 パウロが運転手に道順を説明している。渋滞もなく、一時間もしないでセントラル教会に着いた。教会の入り口付近には、見慣れた顔が待ち受けていた。ホンダのディーラーで働く整備士見習いとその恋人たちだった。それにカルトリオに立ち会ってくれたパウロの伯父夫婦もいた。
 招待状は一通も出していない。竹沢の計らいかと思ったが、竹沢本人が驚いた顔をしている。運転手のすぐ横に座っているパウロが、「俺が皆に知らせた」と後部座席の方を振り返りながら言った。
 マイクロバスは教会の前に止まった。五、六段ほど階段を上ったところに入口がある。整備士とその恋人たちが階段の両側に並び、二人が手を組み階段を上ると、一斉に紙吹雪が舞った。
「皆、ありがとう」
 パウロの妹セシリアが花のブーケを叫子に渡した。パウロの母親マリアが歩み寄ってきて、叫子の頬にキスをした。
 小宮はリハーサル通り祭壇の前に立った。
「さあ、皆も教会の中に入ってくれ」
 パウロの声に参列者たちが教会の席に着いた。同時にパイプオルガンの演奏で結婚行進曲が流れた。叫子の父親役はパウロの伯父が務めた。伯父と腕を組みながら叫子が祭壇に向かって歩き始めた。祭壇の前で神父が静かに微笑みながら二人がヴァージンロードを歩いてくるのを見つめている。
 小宮のところまでやってくると、伯父は腕をほどき、叫子を小宮に託した。小宮と叫子は二人並んで神父の前に立った。演奏が止んだ。
「小宮清一さん、あなたは東駅叫子さんを妻とすることを望みますか」
「はい」小宮が緊張した面持ちで答えた。
「順境にあっても逆境にあっても、病気のときも健康のときも、夫として生涯、愛と忠実を尽くすことを誓いますか」
「はい、誓います」
 神父は同じ質問を叫子にもした。
「はい」
 叫子は震えるような声で答えた。
 神父が二人に祝福の祈りを捧げた。
「さあ、これで二人は夫婦となりました」
 小宮は妻となった叫子の顔にかかるベールをそっと持ち上げた。叫子の瞳から涙がこぼれ落ちていた。
 小宮は叫子にキスをした。
 参列者から拍手が沸き起こった。神父は続いて指輪に聖水をかけ、指輪の交換を二人に促した。
 神父から指輪を受け取り、叫子の薬指にはめた。叫子の手は微かに震えていた。叫子も小宮の指に指輪をはめた。
 パイプオルガンの演奏が再び流れ、参列者が聖歌を歌い始めた。カトリックの信仰にはまつたく無縁の二人にはどんな意味の聖歌なのか理解できなかったが、心なごむ思いだった。
 聖歌が終わると、神父は十字架を切って二人と参列者一同を祝福した後、結婚式終了を宣言した。
 二人は腕を組み、出口に向かって歩き出した。その後に参列者が続いた。教会を出たところで叫子は女性たちに囲まれた。叫子には何故囲まれたのかわからない様子だった。パウロが近づき早くブーケを投げるように促した。それでも叫子は戸惑っていた。
 マリアが説明してくれた。
「後ろを向いてブーケを投げなさい。そのブーケを受け取った女性が次に結婚できるのよ」
 叫子が後ろを向くと、女性たちが一斉に構えた。
 パウロが大きな声で叫んだ。「ウン、ドイス、トレース」(つづく)


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