岐阜県人会=移住100周年、創立75周年式典=杉山社長「花火もう一度」

ニッケイ新聞 2013年9月4日

 岐阜県人ブラジル移住100周年と同県人会創立75周年を記念した式典が25日、サンパウロ市の広島県人会館で開催され、母県からの慶祝団40人余りを含めて、約200人が節目を祝った。式典に先立ち、仏教連盟の6僧侶が先亡者追悼法要を行い、全員が焼香した後、仏連会長の松峯慈晄導師(西本願寺)が法話をした。
 両国歌斉唱の後、山田彦次県人会長が挨拶し、1913年3月の若狭丸の11家族から始まり、戦前戦後を通して計629家族が移住し、現在までに1万人と推計されるとのべ、式典出席者に感謝した途端に言葉につまり、落涙した。
 高原剛副知事は「農業高校生や警察の語学研修生の受け入れなど、故郷岐阜県との様々な交流に深いご理解と献身的なご支援を長年にわたり戴いている」と礼をのべ、会の発展を祈念した。さらに渡辺真県議会議長、細江茂光岐阜市長が続いた。
 岐阜新聞の杉山幹夫会長は40年前の60周年式典で初めて来伯して感激した時以来の経緯をユーモアたっぷりに振返り、「何とかもう一度ドカンと花火をやりたいという夢を持っている」と語りかけると、会場から喝采が湧いた。
 在ブラジル日本国大使館の高杉優弘公使、県連の園田昭憲会長、安部順二下議らも祝辞をのべた。母県側と県人会で相互に感謝や記念品を交換し、岐阜県民歌を斉唱、なごやかに昼食を囲んだ。午後は母県からの歌手・山田かおりさんが故郷の歌をプレゼントした。