ホーム | 食・音楽 | 音楽 | 日伯音楽交流のパイオニア=ドラマーのラッチーニョ氏逝く

日伯音楽交流のパイオニア=ドラマーのラッチーニョ氏逝く

ニッケイ新聞 2014年3月22日
日本でのブラジル音楽普及パイオニア4人(左より坂尾、ニルソン、小野、大島。1984年東京小野リサのアパートにて、写真提供=坂尾)

日本でのブラジル音楽普及パイオニア4人(左より坂尾、ニルソン、小野、大島。1984年東京小野リサのアパートにて、写真提供=坂尾)

日伯音楽交流に最も顕著な活動をしてきたブラジル人ドラマーが、サンパウロ市のマンダキ病院で17日に亡くなった。このニルソン・アルカンタラ・ペレイラ氏は「ラッチーニョ」の芸名で親しまれていた。日本のブラジル音楽評論家の故大島守、元在サンパウロ総領事館員坂尾英矩の両氏と親交が深かった関係で、日伯間交流事業に多くの業績を残してきた。

美空ひばり公演、東京でソーニャ・ローザの伴奏をしたコパ・トリオ、木村じゅん子クインテット、JALブラジル直行便記念トラベル・フェア、岐阜市ブラジル音楽祭など多くの本邦公演歴があった。

日系コミュニティーとも縁が深く、日本からの有名歌手の伴奏や二世クラブのカーニバル・パーティでもなじみであり、九州のデュエット「ハル」とも共演した。小野リサの父親、敏郎氏とはサンパウロのクラブ・イチバン以来50年の親交があり四ツ谷のレストラン「サシ・ペレレー」に招へいされたこともあった。

レコーディングは日本一のジャズ・オーケストラ「ニュー・ハード」のブラジル曲に参加し、大島守制作のCD「パトリシア・マルクス」にゲスト演奏している。日本のロス・インディオスのドラマー写楽氏にサンバの指導をしたり、訪伯する日本のミュージシャンたちにブラジル・リズムを教えた功績は大きい。

ブラジルではジャズ・ドラマーとしての評価が高く、米国のアート・ブレイキーからマイ・ブラザーと呼ばれていた。日本の帆足まり子、草葉ひかるなどジャズ、ラテン系の女性歌手の間で高い人気があった。日本商社マンが常連であったクラブ「モンブラン」のカゼ・クアルテットではブラジル人のジャズ・ファンにも知られていた。

晩年はミナス州グァシュぺ市文化センターで若者の指導に励んでいたが、SESC発行のベテラン・ミュージシャン20名記念アルバムにも選ばれている。ミナス州出身、享年81。知日音楽家の死は惜しまれるが、彼の蒔いた種は日本で着実に実を結んでいる。

image_print