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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=39

 その話が伝わり始めた頃、マリリア、オズヴァルド・クルス、トゥッパン、バストス方面で養蚕小家の焼打ちの噂が、口から口へと広がり、真偽の程はわからないが、次から次へと伝わる噂に人々は脅え、抑えることはできなかった。だが、ここドゥアルチーナでは、勝ち組は心を一つにして警戒に当たっている故か、今まで皆無事だった。
 今後もそう続けてほしいと願うばかりだ。今の日本人社会は、真暗闇の中を彷徨っている。噂は噂を呼び、何を信じていいのか分からないでいる為だ。
 時は流れ、人々は噂に惑わされる。あらゆる迫害にも耐え、祖国の勝利を信ずる人、日本は英米に負かされたらしいと半信半疑の人。いや、日本は完全に負けました、と喜んでいる非日本人といろいろな思想の持ち主がいた。
 結局不明なままに、三人三様に彷徨っている様に見えるが、「負け組」と「勝ち組」との対立は深まるばかりだった。「負け組」は官憲の力を利用して「勝ち組」を迫害するが、圧力が強ければ強いほどその抵抗力も強まる。オズヴァルド・クルス、トゥッパン、バストス、サンパウロ各地で、起きてはならない悲惨な事件が引き起こされる度に無罪の人々が巻き添えにされ、監獄に入れられる災いが相次いだ。当事者は覚悟の上ではあっても、残された家族の人々にとっては、耐えがたい重荷。何とかして手を差し伸べるのが人の道ではあるまいか。
 日本国民としてやむにやまれず犠牲となった勇士のため、残された家族にはいくばくかの誠を尽くすのも国民の真心だと思える。時局はなお混乱として明るさは見えない。「負け組」の国体や天皇家に対する悪質な誹謗は聞きがたく、「勝ち組」の隠忍自重にも限度があり、今正にその極、若く赤き血潮は沸騰せんとする。しかし、ここが大事。大勢の人に災いが及ばぬよう、何としても説き伏せねばならぬのが長老の責任。その苦衷はいかばかりか。弾圧は覚悟の上とは言え、家族への配慮もあり、度重なる収監に心身消耗も甚だしい。
 そんな末期的な時期に、サンパウロより臣道連盟の報道員が来て、当ドゥアルチーナに支部を組織したいと言う。以前ここに居られた下石一郎さんが強いて支部設置を推進しているという。支部を結成したら、何かと過激な人たちの気勢が上がる。それを避ける為、会は作らぬ方針だったが、ここまで世論が沸騰し爆発しそうな時、何らかの解決策はあるまいかと、藁にも縋る様な思いで誘いに乗ったのだそうだ。
 支部結成となれば、その長として人物的にも、社会的地位もそれ相応の人でなければならない。ドゥアルチーナでは三坂嘉蔵さんなら、軍人出身で、財力、地位、人格と申し分なく、この人が最適だと満場一致で解決した。が、ある種の疑懼(ぎく、「疑って不安に思うこと」の意)はある。三坂さんは今まで「勝ち組」として何の意思表明もなく、大方の人には不満があったのは確かだ。だが、ことが事だけに表面に出るのは社会的に躊躇(ためら)われただけであって、本心は「勝ち組」だとほとんどが信じ、納得していた。
 しかし、最終的に本部からは、「三坂さんを支部長にすることは連盟の趣旨に反するもので、三坂支部長は認められない。よって外に人選していただきたい」との返事が来た。
 それでは適当な人が見当たらないので支部の話はなかった事にして貰い、今まで通り、同じ思想の持ち主の集いとしていく事になった。

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