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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=40

 何事に対しても忍耐を第一とし、同じ日本人として相争うことなく、国体を信じ、皇室を尊び、「敗戦認識派」を無視し日本の勝利を信じ、結束を固める。思想の善導を第一義とする従来の研究会はもっと飛躍すべきだとの説に従い、その具体的な説明には今後の大きな課題としてお互いに勉強し、日本人としての自覚のもと、今の自分を「これで良いのか」と見つめなおそうという結論が出た。

 当然日本人としては戦争には勝たねばならないと信じていた。神州日本の不敗を信じ、第一義として「万世一系の天皇3千年に及ぶ我が国体」を明義し、今までの日本人の信を問い、その運動に迷いはなかった。

 臣道に徹し、飽くまで忠良な臣民であらねばならないが、一歩退いて、今までの行動について冷静に考えてみよう。我々は日本人として間違った行動をとって来たかも知れないが、相手方「敗戦認識派」も同じ血を持つ、立派な日本人であるとお互いに理解し合っていれば、避けられた争いかも知れない。

 が、今となっては歴史の波に翻弄されて「勝ち組」も「負け組」も無く、その渦中にある人達ばかりでもなく、多くの家族の者にも災いがのしかかり、日本人全体が苦しんでいるのが現状ではないか。こうして歴史の巨大な無情な歯車は、人々の情を知らぬげに今日も、明日も、無限に踏みにじっていく。悲しいかな、悲しいかな。

 「勝ち組」、「負け組」の同胞、相争う悲惨な日々の中、おやじは「勝ち組」に加わり、幸か不幸か、ドゥアルチーナの頭と祭り上げられる。争いに明け暮れる内に、様々な理由で獄に繋がれ、1946年4月2日の「臣道連盟関係の大検挙」の12日間という記録を最大に、またかと呆れるほど度重なり、結局20数回も獄舎に繋がれた強者。一介の田舎おやじでも大したものだ。

 先に述べたように、戦争が始まった頃はバーラ・ボニータで棉作をしていたが、戦争半ば迫害から逃れるため、全財産を捨てて裸一貫で再出発し、救いの神によって人様並みの生活が出来るようになり、戦争が終わった。

 おやじは先祖代々の筋金入りの百姓。それだけに魂のこもった作物作りの故か、何を植えても人様以上の成績で、食うに困ったことはなく、長兄の熱心な研究と努力のお蔭で古いコーヒー園を再生させ、近所の人達に「奇跡だ」と言わしめる程だった。「勝ち組」のおやじの後押しも、熱の入れ方も思いは一つ。満ソ国境ヴラジオストック対岸の東寧県石門子の守備隊、極寒地で熱愛する祖国の為、ロシア軍との激烈な戦闘にて天皇の忠実なる防人として散華したであろう、次兄中野誠上等兵を敬する気持ちがあったに違いない。年老いた両親を中心に、一族火の玉となって勝ち抜かねばならない。

 時局も人の心も流れゆき、今までの世論に懐疑的になった州統領以下の民間人、とりわけ新聞記者やその他の知識人達が、従来の世論であった「臣道連盟、その他に関する日本人間にある係争」に疑問を持ち、真相究明に乗り出した。いわゆる「勝ち組」、「負け組」たるグループを構成する人物調査の結果、不審な点が多々現れた。例えば、信心家で情が深く、指図して人を殺させるような者では無いような人が牢獄に繋がれている、という様な件が数多くあった。

 戦争前の、日本人の対立がなかった頃から日本人を知っている一部のブラジル人は日本人の事を「穏やかで、勤勉で、争いを知らない人種」と信じていただけに、相次いだ事件や骨肉の紛争を不思議に感じ、此の真相究明の発足となったとある新聞記者が語った。

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