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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=43

 もし店を買ったとしたら、兄弟4人と今の店員2人で当分はやっていけそうだ。山口さんの熱心な記帳には圧倒された。閉店間際になっても終えず、残りは明日に回すようになった。そこで近付きのための一夕として、商談が纏ります様にとセーミの奢りで御馳走になったが、こっちは田舎者。メーザの上に並べられた1ダースのビールを見てびっくり。
 田舎の家では酒類と言えばカマラーダ用に置いてあった下戸のピンガぐらいで、ビールと言えば、カザメント(結婚式)の時ぐらいにしか見ぬもので味わったこともなく、兄貴が少しと山口さんが少しいただき、グァラナとサルガジニョをつまみ、翌日の約束をして別れた。
 慣れない立づくめの一日であった。耕地では一日中汗まみれでほこりだらけになり、日中暑く真っ黒になって働いても、こんなに疲れないのに……2日がかりで調べた結果、靴類は、男用は合格。女用は7割が売り物にならない。反物類は2割なのでそのつもりで交渉をする。それが山口さんの見立てであった。
 翌日、山口さんを交えて、おやじを参考人とし、兄貴、僕そして弟の好明、5人で作戦会議を行った。先ず、山口さんから現在の店主の家族構成などを聞いた。トルコ人は賢く世渡りに長け、全体として資産家揃いで、この一家も長男はコーヒーで財を成した大耕主。三男は医者でこのドゥアルチーナのサンタ・カーザで評判の医師。今の店主は次男で、どこの家にでもいるドラ息子で、酒好きのうえ、商売熱心ではないために今のようになった。
 正直にやったら儲かる仕事なので、今の状況で始めることになったら、まず、できるだけ早く開店大売出しで在庫を処分する必要がある。町は小さいけど棉の豊作のお蔭で、北伯からの出稼ぎ人が多いのを利用して、捨て値で売り出せば整理がつくとの事。
 必要なのはその決断。今年一年は赤字を覚悟のうえ、女物の靴を捌き、2割と見積もった反物の中の利用価値が低いものも値引きをしてすぐに処分すること等々、何から何まで教えてもらった。大変参考になった。また、こうした話し合いは急ぐより、少し長引かして先方を焦らせるのが得策なので2~3日延ばすことも必要だという。それも一つの作戦かも知れない。
 商談に入る。交渉役は山口参謀。先ず、「場所は一等地で申し分ない。店の広さもよい。」と持ち上げた。「商品を見たところ、素人でも気がつくほど流行に取り残されてしまった商品があるように見られる。全面的な取引となると考えさせるが、8割方は値によっては交渉に入っても良いのだが」と切り出し、「商談は一方的なものではなく、双方が納得できるものでなければならない。」と説く。「どんなものだろうか。」と返事を促すと、店主は弱点を認めて話はすぐにまとまり、明日から商品調べをすることになった。
 ブラジルに来て10数年、鍬を握っていた手にメートルを持ち、反物を測り歩くようになるとは誰が想像しただろうか。鍬は重たく、メートルは軽い。だが、持って見て初めて、商売の重さを知った。全商品を調べ上げるのに三日三晩かかった。先立ってくれたのは、もちろん山口さんであったことは言うまでもない。
 そればかりではない。相手の手元にも目を光らせ、一寸の不審にも測り直させるという気配りが信頼の一念だった。全商品を調べ上げ、ノートと照らし合わせながら値を比べ、記帳するまでにはまたまた4日かかり、官庁に届けるための書類に商品名と値と個数を記入し、後日の為に記帳してくれたのも山口さんだった。

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