ホーム | 文芸 | 連載小説 | 花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香 | 花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=46

花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=46

 「そりゃ、承知しないわよね、そういう状態では。いくらなんでもね。出て行く出て行くを繰り返していたそうだけれどね、出て行く所がないし。青年にしてもせっかくの花嫁を逃がしたくはないし、誰かが知恵をつけたのでしょうよ、押さえ込んで孕まして、泣き寝入りをさせたと言うことよ。一つ屋根の下で寝てるわけだからね。ユリさんみたいに、親切に助けてくれる人が側にいなければそうなるわよ」と聞かされ、
 「現在はどうしているの、その花嫁」そう重ねて聞けば、
 「その後は、その青年はたいした出世もせず、一家で出稼ぎする家族の一つになったみたい」と答えが返った。
 夫になった青年の誠実さや優しさにより、共に家庭を築きあげて行こうと決心してやり抜いた花嫁たちの成功までの苦労話が、コチア青年移住五十周年史に明るく記されている陰には、このような話もあった。
 現在も県人会や他の会に集まって、活け花やダンスやカラオケや旅行など何かしらできる人は、成功者の夫人たちであり、現在も生活の苦労をつづけている人があり、時間的にも経済的にも余裕がなく、そこに参加することは難しく結局は自然と遠のくことになる。座談会には成功した花嫁ばかりが呼ばれている。これも当然であろうが、まだ苦労をしている花嫁を誘い連れて来られないのだろうか。無料で参加させてやることは出来ないのだろうか。共に出席していればもっと重厚な座談会になったのではあるまいか。 

 青年達すべてが成功したわけではなく、農業に従事してすぐ病気になり、他界した青年もいるようである。これが花嫁を呼び寄せて後のことであれば、青年ひとりの問題ではない。花嫁にも、あるいそのお胎にいたかも知れない子供にも、大きな不幸がなかったとは言えない。
 望み通りに大農場主になった青年が多数ある成功の表と裏に、ブラジルのハイパーインフレがあるのではあるまいか。コチア青年花嫁と私は、この国に着いた時期がほとんど同じであるが、着いて直ぐ一、〇〇〇クルゼイロスが一クルゼイロ・ノーボになるデノミネーションを体験した。初めてのときは、その日暮らしで銀行口座も持っていない私にはなんの影響もなく過ぎたが、このあと五回ものデノミネーションを体験した。一九九三年のインフレ率は年間二、五〇〇%余を記録し、大統領は九人も替わったのである。
 この時期には自己資金があり営業をしている企業では頗る有利な時代であったが、自己資金が無く銀行融資、またはその他の金融機関から融資を受けて営業をしている商、工、その他の企業では、毎月の金利の支払いに追われ続けた時代でもあった。そしてハイパーインフレで倒産した会社が沢山あった。北三男さんが、
 「あの八十年代にはカピタル(元金)さえあれば、銀行にオーバーナイト(一晩の投資)で、一晩でお金はバーンと増えるし、それをドルにして置けば、土地にしろ家にしろ、上手に財産を増やせたものですよ」と話してくれた。
 中央銀行で統制されている公定ドル以外に、当時は闇ドル市場の差が大きく、クルゼイロの価値が毎日の様に下落して行く為、クルゼイロ貨で所持していると、毎日四%程の目減りをするため当時は原料、商品、ドル等に換算して置けば置くほど、有利な時代であった。旅行者でなければ公定ドルを買えないこの頃は、闇ドルを買って置きさえすればドル値はどんどん値上がりしたから、箪笥貯金や貸し金庫に入れて置くだけでも儲けられたのである。

image_print