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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=54

 娘の日本語学校の関係しかないと和子は私に言ったことがあるが、今になって私に上村祥子夫婦に救われたと、その頃のことを思い出し話した。そんな和子ならこれからも永く交際したいと思える。私は古いと言われても、親の教えてくれた義理、人情をかなり大事に生き続けているからである。

 第十四章 タイムスリップ    

 夜ごと二十代、一九六七年へタイムスリップして書いていたためか、この朝は目を覚ますと天井が回っていた。どうにも眠い。「あ、そうですか、もう少し眠りなさいですか」と喜んでまた四十分ほど眠ったが、目を開けるとまだ頭が重く、まだ天井が回っていた。しかし、さっきより緩やかな回り方であった。「よしよし、もう起きる時間ですよ、甘えるんじゃありません」いつものバタバタした動きは止めてゆっくり起き上がった。
 階下にきて血圧を測ると、上が一七七で下が一〇四だった。そんなの低いと言われても、いつもは一二三と七一だから、いくら気にしない私でもこれは高いと不安になり、へたへたと座り込み、どうするかと考えているところへ、ちょっと遠いサンターナ区に住んでいる次男が来た。
 もう少しの間二十代の私にタイムスリップしょうかなと思っていたが、くるりくるりと目が回わって何んともイヤな気分。二十代の私に戻るどころか残念ながら少しややこしいことになり、ラッシュアワーの時間帯の渋滞する高速道を使って救急病院へ私を連れて行く次男は、
 「もっと血圧が上がるから、病院に着くまで目をつぶってたらいいよ、ママ」といつになく優しかった。それを不思議には感じたが、賢い方法だと思って、言われるままに目を閉じていた。これを船乗り病というそうだが、救急病院で注射をして症状が軽いから薬をつづけるように言われ落ちついた。

 ふるい古い日本の良さについて、大宅壮一氏は「明治はブラジルに生きている」と表現したそうだが、これもその一つと言えるだろう。日系コロニアは実に温かいふところで、数日後たまたまかかってきた電話の、八十二歳の方から「元気かな」と問われて、私の良くない体調を言えば、
 「よし、家で作った銀杏のジンコビローバを、街へ行くついでがあるから持って行ってやるよ」という言葉に、タダでくれるならと大喜びした貧乏未亡人は指定された地下鉄の駅へ出て行った。久しぶりに出会ったことでもあり、また軽いものでも食べたいなとお腹が鳴る時間帯でもあり、駅前のピツッア店にはいり、長い話を聞くことになった。
 二〇〇八年六月一八日の移民百年祭に向かい、「私の人生最後のお勤め」と言って、日夜八十二歳とは思えない活躍をしている方だが、
 「いやいや、私はまだ二八歳ですよ」と数字を逆さまにして笑う。
 現在も四十キロ離れた近郊で農業をしているが、まだ若い頃に創立者の故渡辺マルガリーダ女史に見込まれて依頼されたという移民救済会理事を、家業を投げ打ち手弁当で長く務めている。大浦文雄氏の面白いのは、そのスカウトのされ方で、
 「私は、救済会を手伝えるような、立派な人間ではないですよ」と、断ったら、
 「確かに、あなたは良いことをしそうな、顔をしていませんね、ですから私が道を踏み間違えないように守ってあげますから、私について来なさい」マルガリーダさんが言われたそうで、
 「こう言われてはね」と、邦字新聞の最近のインタビューにマルガリーダ女史との思い出話が出たばかりである。

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