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花嫁移民=海を渡った花嫁たちは=滝 友梨香=75・最終回

 目が見えないのは目の前の蛇に怯えないという諺と同じく、私の低能さは怖さをしらず前に進み生きてきてそのぶん失敗も多く、その失敗により現在の生き様があることにようやく気がついたことはあまりにも遅すぎである。
 「目に見えぬ赤い靴はき生れし子が養母に抱かれしごめんとう名の駅」と歌ったが、目に見えない赤い靴を履いて生まれたゆえとは言え、次々目の前に出てくる艱難を清く正しく美しく対処し逃れたとは言えない。
 擁護されずに生きている娘は、傷つけられれば恨みぬいて相手を傷つけて生きてきたのだ。その結果、人は誰でも恵まれた環境で育つ方が良いと、親に擁護されて育ち、結婚して夫に擁護されて暮らしている友人知人を見ると、心のゆとり差を知ることになる。
 「ゆりさん、ええかっこばかり書くな。丸裸になっていないよ」と親しい友人が笑いながら言うが、恨んで生きた時期から出てこれが現在の心境である。
 この劣書を読み直し書き直している私は、ペンを取り書き始めたときから六年を経て、七四歳になった。歳を知れば少しは精神的に育ったものがなければなるまい。
 私にだけと思わないが、その恵まれた友人の一人が他人から羨まれることを非常に警戒して、言いたいのに良いことは言おうとしなかった。
 「バカバカしい、なぜ貴女を羨むのよ。それくらいの良いことを羨ましいとは思わないわよ。羨むのは最高に良い思いをしている人を羨むべきものよ。目下の対象はダイアナ妃よ。私」その最高の女性はお亡くなりになったが、真実そう思うことを友人は信じ、その後は警戒を解いた。

 たびたび、ウルグアイへ旅行者として訪問して感じるトランキーロな(静かなゆるりとした言う意味のスペイン語)あの国に住み着いていれば静かで、はんなりとしたまた別の私になっていたかも知れないが、しかし私にはブラジルが似合いだったのではないかと歳を得るごとに深く思うようになったし、苦労させられた夫にめぐりあったことも私という人間を鍛えるためによかったかと思えるようになった。
 訪日してふるさとの庭々に曲線を描く松を見、そのえも言われぬ美しさを素直に感じても、しかし古い枝を自ら落としながら真っ直ぐ空に伸びて、大空を受け取るごとく強い枝を四方へ張り、ブラジルの大地に立っているパラナ松を見るたび、私の気性に合うこの松に力を貰っているような気がし好きだなあと眺めてしまう。
 部屋に掛けてある日捲りのカレンダーは二四日から二〇年以上経ても動かず、その御言葉、
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。テサロニケ第一の手 紙 第五章一六~一八」を守りたい。
 夫がせっかく最高の形見として遺してくれた自由を多いに生かし、遣れるだけやってみよう生きてみよう、曲がりそうな生き方を正なくてはと、御言葉を読みパラナ松を見ています。(終わり)

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