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一條直子・ルシアノ夫妻(右)と記者(西牟田さん提供)
一條直子・ルシアノ夫妻(右)と記者(西牟田さん提供)

3・11特別企画=原発事故をきっかけにゴイアス移住した日本人=西牟田靖(にしむたやすし)=(上)=震災直後、家族と猫2匹で=母「あの家で死にたい」

 ノンフィクション作家の西牟田靖さん(45、大阪)=東京在住=が放射能汚染の危険な事例や、ハイパーインフレ時代の生活観などを取材するため2月8日に来伯した折、本紙への寄稿を依頼すると心良く了解し、帰国後にこの原稿を書き送ってきた。『誰も国境を知らない 揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅』(08年、朝日文庫)等数々の話題作を発表している西牟田さんのブラジル緊迫レポートだ(編集部)。

 3月11日、東日本大震災が発生して丸4年が経過した。福島では原発が爆発し、東日本各地に放射能が拡散された。放射能汚染から逃れるため、西日本などへ自主的に避難する人たちが当時、相次いだ。その中には地球の反対側に位置するブラジルへ移住した人もいる。その人はなぜ、国内ではなく南米、なぜブラジルへの移住を決意したのか。当事者の家を訪問し、話を聞いた。
 「地震が起こったとき、とっさに気になったのは浜通りの原発のことでした。私は夫や母、友人たちとともに、3月11日のうちに車で西へと逃げました」
 そう話すのは福島県郡山市出身の一條直子(いちじょうなおこ)さんである。彼女がすぐに原発が危ないと察知できたのは、普段、原発反対の立場からいろいろと調べ、人一倍、問題意識と知識を持っていたからだ。
 「私たちが車で出発したとき、まだ誰も避難してはいませんでした。その後ですよ。ガソリンが不足するようになったのは」
 一條さんとその家族は、西へ西へと移動する。受け入れてくれた鳥取の民家で過ごし、5月にゴイアス州のリオ・ベルデに移住した。
 日本国内ではなく、地球の裏側に位置するブラジルに移り住んだのにはわけがある。
 「リオ・ベルデは私の主人であるルシアノのふるさとなんです。彼とは留学先のロンドンで知り合いました。東日本大震災が起こったのは、結婚し郡山で暮らし始めて10年目のことでした」
 郡山からゴイアス州へ移ってきたのは、一條さんとルシアノさん夫妻、一條さんの母親と猫二匹だった。ところが、移住してから3カ月たった8月、母親の観光ビザの延長をどうするかという話となった。
 「事故から、まだ半年もたっていない時点での福島での暮らしは、中通りといえども危険だなと思っていたので、私は、母に観光ビザの延長、そして、その後、永住ビザを取得することを勧め、説得しようとしました。その時、母が言った一言は、今でも忘れることが出来ません。母は泣きながら『家に帰りたい。お母さんは、あの家で死にたいんだよ』と言ったんです。私は、言葉を返すことが出来ませんでした。この言葉を聞いた時、この原発事故で母がどれほど傷ついていたのか知ったような気がします」
 一條さんの母親は3カ月の観光ビザの延長を納得し、11年11月下旬に帰国した。
 現在、ルシアノさんは塾の講師として子供たちに英語を教え、彼女は日本食のデリバリーの仕事をして、生計を立てている。
 「経験や思いを共有できる人がここにはいません。ルシアノは、地震やその後の混乱を体験しての恐怖や思いはあるけれど、私のように『故郷が汚染されてしまった』という感情はありません。福島では、低線量被ばくはするだろうけれど、脱原発で頑張っている友人が、まだたくさんいるし、心の傷も共有できる。だから、被ばくしても福島に帰ったほうが、精神的には健康に暮らせるなと思うんです。ここでは、自分の本当の心を押し殺して生きています。それが辛いです。だけど汚染された状況を考えると福島に戻るのは難しいし、不安なんです」
 望郷の念を募らせながらも、一條さんはゴイアス州での生活を続けている。彼女がこちらに移ってから5月で丸4年を迎える。(つづく)

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