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パナマを越えて=本間剛夫=76

 その情報の中で、日本人の海外旅行が二十年間禁止されるという私にとって暗いニュースもあったが、私は感情の乱れを抑えるように努めた。上司や戦友たちを刺激したくなかった。司令部からは毎日命令が出され、それは連合軍命令として各隊に伝達された。師団糧秣(りょうまつ)庫の解放、銃火器の集積、軍用建物の破壊と全島の清掃などが次々と命令された。
 その間にも英語の受講者がふえ続けた。これからは英語の時代だと感じているらしかった。それよりもアバイアン二人の日本語を話す若い女性との対話が魅力なのかも知れない。何れにしても会話教室となった庶務室前の広場は盛況を呈した。
 私たちがテキストの作成をして居ると広場から遠回きにして眺めていた兵隊たちが、いつの間にか窓近く寄って来て作業を妨げた。そんなときエリカとアンナは広場に出て行って英語で話しかけて困らせたりした。そのたびに広場に爆笑が湧いた。
 平和な日が続いたが、その和やかな時の流れの中で私は日ごとに沈んでいった。エリカが、現在自分をどう思っているのか。エリカはアメリカへ帰り、それからメキシコに落ちつくのだろうか。再びサンパウロの銀行に勤めるのだろうか。私もサンパウロへ帰りたい。しかし、ブラジル政府は連合軍に敵対した帰化人の再入国を許すはずはない。その上、日本人の二十年間の海外旅行禁止。
 エリカは将来の計画について何を考えているのか。それに意識的に触れないのか。四年前までの愛の語らいは遠い過ぎ去った夢だというのだろうか。私から問い質すのは躊(ため)らわれた。私にはその資格がないのだ。アンナとの一瞬の交わりが重くのしかかっていた。楽しく話し合いながらおたがいに核心に触れないのが苛立たしかった。
 降服調印が二日後に追っていた。
 夜の点呼のあと偶然、私とエリカが二人きりになった。
「エリカ、君が収容されたとき、英語が分らないそぶりをみせたそうだね。そして今は英語を教えてるんだ。僕はまだ君があれほど日本語を上手に話すとは知らなかった……」
 やはり核心に触れるのは恐ろしかった。
「……英語の分らない米兵、それは相手の敵愾心を削ぐでしょう。いくぶんか……。日本語を話したら、却って警戒されるわ。状況を正しく判断するための、そういう訓練を受けて来たのよ……虚構と実像をはっきり区別しなければ仕事は出来ないわ」
 「君は面会のとき、捕虜ではないと大見得を切ったね。あのときはびっくりしたよ。どうなることかと思った……」
「あれも虚構よ。相手の機先を制したの……。相手が強いときにはもっと強く、弱いときにはもっと弱くね。臨機応変だわ」
「……じゃ、君が墜落した時、僕が蘇生させたんだが、あのとき、ぼくだと分っていたのか?」
「分ったわ、すぐ。でも、驚いたわ……あなたに会うなんて」
「それは虚構じゃなかったのかね……それから、サンパウロで僕たちは同じくらい愛し合っていたと、今でも僕は信じてるんだ。あれも虚構じゃなかっただろうか……」
 遂に私は核心を衡いてエリカの表情を見守った。エリカはミナミ氏と共謀して私にダイアを運ばせたのだと自分の迂闊さ加減に嫌気がさしていたのだ。
「それは違うわ。ミナミさんもわたしも開戦までにはあなたが帰って来ると信じていたし、祈ってもいたわ」

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