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駐在員をテーマーとするショート・ショート連作=「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋=(5)=地球の反対側の偶然

「写真素材ぱくたそ」より(モデル=大川竜弥 Lala)

「写真素材ぱくたそ」より(モデル=大川竜弥 Lala)

 「信じられない!」ママは彼がカウンターの席につくと、そんな事を口走っていた――。
 仕事が終わったのは七時に近い時間だった。彼はまだリベルダーデ界隈の飲み屋に行くのには、時間的的に早すぎると思ったが、今日は飲みに行くというより、ママからの用件を確かめに行くのが目的だと思い直して、早めにその店に向かっていた。
 店の中に入ると、すぐにカウンターの中にいたママが愛想を崩しながらやって来た。それは希望通りに、真一が現れてくれた事への感謝の言葉のようだった。
「何ですか、その『信じられない』ってのは?」彼は、彼女の顔を見ると微笑みながらそう言っていたが、店の中にいる客が、自分ひとりなのにも気付いていた。
「うん、悪かった。電話をかけたりして。後であなたが怒ってるんじゃないかと思って、心配していました」
「そんなに、気を使う事もないですよ、それより、また、水割もらえますか」
 ママの上を向いた陽気そうな鼻を見つめながら、彼はそう言った。
「でっ、なんですか、話って言うのは?」。彼は受け取った水割りを口の中で味わい、喉に通した。熱い充実感が喉を満たした。
「うん、本当はたいした事ではないのよ」
「いやだなあ、電話では一大事だなんて、言ってたくせに」
「それは、あなたにまたここにきてもらうための、嘘でした。怒った?」
「ひどいなあ、ママも」
「でも本当の、本当はこれ」
 そう言うと、ママはカウンターの裏側の引き出しから、一枚の写真を取り出し、それを手渡した。
「あまり、あなたに似ているもので…気になって」
「これは…」。真一はそれを一目見ただけで、その写真の人物が自分だと思った。
「似てるでしょう、これを、あなたに見てもらおうと思って」
「似てますね、でもどこで見つけたのですか、この写真?」
「見つけたんじゃなくて、本当は、私の大事な写真…」
「という事は…」
「つまり、この写真の人は、私の昔の彼氏って言う事なの」
「何か、いわくがありそうですね」
「あら、い・わ・く、だなんて、そんなふうに言わないでください」
「でも気になりますよ、この写真」
 ママが手渡した、彼女の昔の彼氏の写真には、白い壁をバックにした、セーター姿の青年は写っていた。柔らかい太陽の光が、青年の左側に影を作っていて、カメラのレンズを見つめるその目は、柔らかい光の中で幸せそうに微笑んでいる。青年は、その頃の年代の真一と瓜二つなのだが、決定的に違っているところがある。それは、彼の片足が無い事だった。この写真は…。
「私、この人と日本で結婚の約束をしていたのよ。でも、いつか彼とドライブで遠出した時に、夜の雨のせいで事故を起こして、彼、片足を切断しなくてはならなくなったの。私、それでも彼と結婚するつもりだったけど、この写真を撮ってしばらくしてから、なんとなく彼とうまくいかなくなって、彼とはそれっきりになってしまったのよ」
 ママは思いつめたように、ちょっとも間を置いた。「その痛手を忘れるために、私はブラジルでこんなお店をやっているのよ。もう一〇年以上も前の話だけど、今でもそれを思うと悲しく、悲しくて胸が痛くなるくらい…。彼にそっくりなあなたが、初めてこの店にやって来た時、私、何かの間違いじゃないかと思って、本当にびっくりしたわよ」
 ママの話を聞きながら、真一は全てが偶然だと感じていた。彼に瓜二つの双子の弟が、事故が原因で片足を失い、結婚を約束していた女性と別れる事にしたという手紙を、転勤になったばかりのブラジルで受け取ったのは、ちょうど今から一〇年ほど前の事。
 弟の悲痛な手紙には、婚約を解消する事になったのは、事故の後遺症で彼がインポになった事を、その婚約者から笑われたからだと確か書いてあったはずだった……。(「ブラジル諸人来たり」ブログより許可をえて抜粋)

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