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宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(14)

 これで自分らの縁はおわりだと思うと、足もとに亀裂がはしり深淵に転落してゆく気持ちになった。
 ところが、それは太一の思い違いで、彼は女性には月経のあるのもしらなかったが、はなもそのことは言わなかった。このように為すことすべてがちぐはぐな夫婦であった。いく日かたって女のほうから、男の手をもとめてきたので、太一は嬉しくなり不安がうすらぐと、今夜こそはと自信がわいてきた。はなも自分なりに考えたのであろうか、柔らかく男をむかえる姿勢になっていたので、太一が接するとアツーとみじかい叫び声をあげた。
 行為がすんでみると、失敗をしていた後だけに、ーなんだ、こんなことだったのかーと一時に馬鹿くさくなり、これからのながい生涯におなじ行為の繰り返しかと思うと、太一は結婚などなんのためにするのかと疑問にした。
 ところが破局は意外なところからやってきた。ある朝、はなが床にうずくまって泣いているので、訳をきくと、体調がわるいと言う、それでは実家に帰って養生するかと、送っていったのがそのままになったのである。
 なんとか男女が共に暮らしてゆくうえの、条件がととのったところで、太一らの縁は砂の城のようにくずれてしまった。日をおいて、先方から仲人をつうじて、感情的な抗議があった。短気な父は怒ってしまったので、二人の縁は望みのないものになった。
 太一は中年になって、千恵の気質の影響もあずかって、人柄もいくらかは軽くなり、ときには下手な冗談も言うようになったが、若いころはむっつりだんまり屋で、後日になって想いだしてみるに、はなとはまとまった会話さえしたことは一度もなかったので、はなはとてもこんな男とは一生添えられないと決めたのかもしれなかった。しかし、太一はこと良かれと妻の望みをきいてやったのが裏目にでたのであった。もし、あの時しらぬ顔でほっておいたなら事態はどうなっていたか。
 事にあたって積極的にでるか、消極的にじっくりと構えて、自然の成りゆきをみるかについて、折につけ太一は考慮するところがあった。
 太一が老境にはいり知ったある友人と雑談をかわしているうちに、結婚まえの素行に話がおよんだ。友人は熱心なキリスト教徒の母より、子供のころから薫陶をうけて育ち、生涯かけての信者であった。太一は興味をわかして、友人の婚前の素行についてたずねたところ、ー女は家内がはじめてで、おわりでしょうーと笑って答えられた。もう故人になられた奥さんに、結婚を申し込まれたときの面白い挿話をきかしてくれたが、友人は太一とおなじで異性しらずで、ある感情をもって若い女の手はにぎったことはないとも言われた。
 婚約がなっておなじ信仰の家の娘だったので、教会で挙式して夫婦になったが、なん日かは奥さんが嫌がりはしないかと、男女の交わりは差しひかえていたと言われた。すると奥さんがーわたしたちはご夫婦になったのですから、お勤めをいたします。ーと誘ってきたと言われ、はじめての交接の模様をきかしてくれた。人によっては幼稚な男と女と冷笑するむきもあろうが、どうしてその知人は家業を興し、子弟にも大学をおえさせている。立派な人格者であった。日ごろ尊敬している友の告白だけに、太一はガンーと頭に一発くわされた衝撃をうけた。
 太一は小心者のくせに、見栄張りで、他者には良く見せたいというくせがあり、思ったとおりに事がゆかない場合は、あわてて落ち着きを失う性格なのは自認しているが、彼は肉体の関係は家庭をなしてゆくうえで、試験にすれば初日にあたり、ぜひにも難なくとおりたかったのに、それにつまづいたのが破談のもとになったと考えた。

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