ホーム | 文芸 | 読者寄稿 | 日伯外交120年の絆・日本祭り=サンパウロ 平間浩二

日伯外交120年の絆・日本祭り=サンパウロ 平間浩二

 26日は前日の豪雨と打って変わって雲一つない晴天に恵まれた。最終日の今日は、それにふさわしい最高の日本祭り日和となった。
 ジャバクァラ・メトロ駅からサンパウロ・エキスポセンター行きの無料送迎バスがピストン輸送している。そのバスに乗ろうとしている行列を見て驚いた。毎年乗っているが、今年ほどの長蛇の列はなかった。待つのは苦痛であったが、小春日であったのでそれ程気にならなかった。30分ほど並びバスに乗ったが、日本祭りに行く道路が又混雑しており、短い距離であったが大分時間が掛った。
 会場に入る前に、昨年までなかった大鳥居が建っていた。パビリオンを入った左側には、盆踊り用の櫓が設置されていた。入場券売り場は行列が出来ていたが、65歳以上は無料なので待つことなくすぐに入場できた。今年からは大きなパビリオン内に、郷土食ブースが設置されていた。

日本祭り会場入り口にて

日本祭り会場入り口にて

 11時が過ぎ、お腹がすいてきたので、まず昼食をすることにした。家内は天ぷらうどん、私は焼きそばを食べた。うどんの味は良かったと云った。焼きそばの具の多いのに驚いた。流石、大阪食い倒れ、名に恥じない大盛りであった。食事が終わってから会場内をゆっくり見て歩く。各ブースは充実していて、雰囲気は昨年よりも盛り上がっていた。郷土食では、何といっても和歌山のお好み焼である。今年も又も数十メートルの長蛇の列であり、半分以上がブラジル人である。  
『お好みの長蛇の列や郷土祭』
 舞台会場に行ったところ、7人の日系歌手が歌っていた。それが終わってから沖縄太鼓の演奏が始まった。沖縄の原色に近い独特な衣装と帽子、きびきびとした動作、大太鼓、中太鼓、抱え太鼓、一糸乱れなく踊りながらのばち捌きに感動し、観客は惜しみなく拍手を送っていた。演奏者の全てが小学生位から青年たちであった。
『小春日や沖縄太鼓のばち捌き』
 感動のうちに終了したあとに、歌手カレン・イトウが、ひばりの『愛燦燦』とキム・ヨンジャの『熱い川』を感情を込めて歌い上げた。また、鳥取県人会のメンバー6人が、赤のハッピを着て、手に飾り付けた棒を持って座ったままの踊りを披露した。
 次に国際交流基金が協力し、日本から武道芸能一座『舞楽一座』4名が、甲冑を着て能や歌舞伎を思わせる迫力のある舞台を演じた。
 演目は、鬼退治『ある花見の場所で、若い男女が出会い、何時しか相思相愛の仲となり、めでたく結ばれた。幸せな日々を過ごしている美しい人妻を見た鬼は、嫉妬に狂った。隙を狙って、その美しい妻を奪おうと現れた。最愛の妻を守ろうと戦ったが、鬼が指先から蜘蛛の糸を吹き出し、身体をからめられてしまい、妻を奪い去ってしまった。苦悩と悲嘆に暮れているところに忍者が現れ、とらわれの身になっている妻を救出するため、剣術を指南してもらった。腕も上達した頃、2人で協力し、悪戦苦闘の末に遂に鬼を退治した。そして夫婦は末長く幸せな生活を送った』という無言の踊りであった。
 その最後の戦いの場面は、想像を絶するほど俊敏な振る舞いが圧巻であった。観客からは感動の拍手が暫く続いた。
『歌舞伎あり日伯交流日本祭』
 いよいよ待ちに待った時間がやってきた。私がメイン・ステージに来た目的は、これから歌われる中平マリコさんの歌を聞くためである。昨年、ニッケイ新聞に『富士山とマリコさん』を書いた時のような感動を今一度味わいたかった。司会者の紹介の後、元気いっぱいに舞台に現れた。懐かしい1年ぶりの再会である。お元気な姿を見て嬉しくもあり安心した。
 挨拶は最初から全てブラジル語であった。話し方も昨年よりも流暢になったように思える。もともと英語を始めフランス語、スペイン語を話せる人なので、ブラジル語は親戚みたいなものであり、私のような語学音痴にとっては本当にうらやましい限りである。
 早速、皆が待ちに待っている童謡から歌が始まった。『さくらさくら』『ひな祭り』『こいのぼり』『七夕』『村祭り』『富士の山』をメドレーで歌われた。私も知っている限り一緒に歌った。次はブラジルの子供の歌『シランダ・シランダ』『ちこちこ』を歌った。これにはブラジル人の観客も一緒に歌い出し、終了と同時に盛大な拍手が起こった。
 次に『川の流れのように』を歌われ、最後に『Time to say goodby』(さようならをいう時)をイタリア語で歌われた。素晴らしい声量のある声に、観客はじーっと聞いていた。最後の一小節を歌った時、背筋に悪寒が走るような快感を味わった。私一人ではないと思った。歌い終わった時、会場いっぱいの観衆は総立ちとなり感動の拍手を送った。暫く拍手が鳴り止まなかった。特にブラジル人の観客からは、声をあげての感動の拍手が鳴り止まなかった。
 私にとっての今年の『日本祭り』は大満足のうちに幕を閉じた。
『小春日の再会果たし日本祭 浩二』

image_print