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ニッケイ俳壇 (853)=富重久子 選

   ヴァルゼン・グランデ    馬場園かね

勝ち負けの戦の炎敗戦忌
【八月十五日はわが国の敗戦の忌日であっ­た。既にブラジルに移民していた人も、日本で敗戦を味わった人々もそれぞれに其の日のことは忘れることが出来ない。
 この句にあるように「戦の炎」は勝利を叫んだ国も、敗戦の汚名をかせられた国もお互いに戦の辛酸を蒙ったのであった。敗戦という難しい季語をもって、よく省略の利いた佳句である。】

マジナルのいつも渋滞木の芽吹く
【「マルジナル」は渋滞のひどい所で、作者は何時もそこを通って帰るが、バスの窓から見える並木に目をやると、緑の葉の間から伸びた枝々にはもう幾つも木の芽が膨らんで、そこはかとなく春を感じている優しい巻頭俳句である。】

通勤・帰宅時間に主要道路は渋滞となり、なかなか車が動かないことも。サンパウロ市の中心部では、月曜日から金曜日には車両ナンバーによる時間帯規制も行われているが、それでも渋滞緩和とはならない。

通勤・帰宅時間に主要道路は渋滞となり、なかなか車が動かないことも。サンパウロ市の中心部では、月曜日から金曜日には車両ナンバーによる時間帯規制も行われているが、それでも渋滞緩和とはならない。(Foto: Oswaldo Corneti/ Fotos Públicas)

立ち眠る仔馬は夢を声もらす
整はぬ街の広場や木の芽吹く
濁り川河畔に朱き木の芽吹く

   アチバイア         宮原 育子

予後の身に滋味と勧める寒卵
【「寒卵」と言えば最近殻の茶色の卵は、手に取っても重く割ると黄身が盛り上がっていかにも新鮮で、滋養がありそうである。
 暫く養生を重ねていた作者であろうか、そんな寒中の卵を進められている様子である。】

束髪を手櫛でさばく木の葉髪
【体調が悪い時は、中々髪の手入れも思うに任せず長い髪を束ねて括っていたが、床に座り束髪の結びを解き手で梳いている様子であろう。何と抜け毛の多い事、しみじみ手に余る木の葉髪を見て感慨に耽る作者像である。】

片耳にマスクを下げて薬剤師
呼吸するマスクの中の温かき

   ポンペイア         須賀吐句志

更衣男はネクタイ一つにも
【「更衣」(ころもがえ)は日本の古い習慣では、寒い冬が過ぎ春に季節が変わってくると、着るものや調度を替えたもので、それは春の季語となっていた。しかし今はただ夏への季節の変わり目として着る物を変える、と言うことで夏の季語となっている。
 この句は暖かくなってくると、男性達も自ずと背広のネクタイの色にも、優しい色を選び心弾ませて出掛けていく、というのが男心であろう。この作者らしい粋な佳句である。】

熱燗や肝胆照らす仲なれば
生き様は人夫々(それぞれ)よ寒の菊
冬帽子深目に本音秘めしまま

   リベイロン・ピーレス    中馬 淳一

野遊びや仰向けになり空仰ぐ
【和やかに春の太陽が現れると、野原に出て春光を浴びたい。所謂ピクニックであるが、我々のように歳をとると仰々しくピクニックとまではいかなくとも、近くの野原に出て芝生に座り思う存分陽射しを浴びながら歌でも歌いたい。
 この句の様に、仰向けになって限りない春の大空を眺め一句詠みたいところ、であろうか。和やかで清々しい作者像の見える佳句である。】

狭庭とて夢の花園春浅し
病み上り日向ぼっこや椅子にかけ
大根や土より首が抜きん出て

   パルマス          宇都宮好子

スーパーで焼き芋見つけ帰路急ぐ
【何んと懐かしい「焼き芋」と言う言葉の響きであろう。幼い頃から親しんできた焼き芋の香りは、一体何時頃から消えてしまったのであろうか。平和な頃は夕方やってくる焼き芋屋の笛をきいて駆けつけたこと、ブラジルに来てからもずっと前リベルダーデでおばさんが売っていたこと、などなど
思い出は多い。
 焼き芋を買って帰路を急いだこと、ほっこりとした温もり。こんな平凡で、何でもないような俳句の好きな私である。】

焼き芋を抱けばほっこり手にぬくし
湯豆腐に塩一つまみ浮くを待つ
逞しく芽吹く命や春近し

   サンパウロ         串間いつえ

見て呉れも良くて寒鰤横たはる
【今年は例年より寒かったからであろうか、娘が度々この「寒鰤」を買ってきた。新鮮な寒鰤の刺身は鮪よりうんと美味しいと思う。
 作者も朝市に生きの良い「寒鰤」の姿を見つけたのであろう。鰤の捌かれない前の其の横たわった「見て呉れ」は、確かに威風堂々として立派である。この作者らしいあるがままに詠んだ俳句が好ましい。】

朝市に蜜柑を買うてはぐれけり
池巡る緋寒桜や色淡し
緋寒桜枝を束ねて売られけり

   サンカルロス        富岡 絹子

枇杷の花咲けば淋しき妣(はは)の庭
【「枇杷の花」は花でなく主に果樹として植えられるが、其の花はやや黄色を帯びた白色で芳香があり、目立たない花である。
 「妣」(はは)は亡くなった母の事。最近亡くなった母親の庭に咲いている、「枇杷の花」の淋しい姿を見ての佳句である。】

蔓サンジョン角を曲れと教えられ
短日や早くも街灯一つ点き
亡き友の好みし庭の蟹サボテン

   ペレイラバレット      保田 渡南

故郷の雪踏み見たき当麻かな
遠き日の上川盆地雪深く
雪を着て故郷の山高かりし
雪深き故郷と疎遠も哀しかり

   アチバイア         東  抱水

着ぶくれて杖も重たく庭歩く
尋ね来し友も一緒に日向ぼこ
日向ぼこ携帯電話が鳴ってをり
マスクして登校バスの女学生

   アチバイア         吉田  繁

マスクして目で語り合ふ女学生
寒卵すき焼き料理を旨くして
梳きもせず農業移民の木の葉髪
マスクする人もまばらに国のどか

   アチバイア         菊池芙佐枝

山茶花の小道通れば歌が出て
妹らのままごと遊び蔓サンジョン
気品あり最南の地に黄水仙
行列で枯葉ころころ何処へ行く

   アチバイア         沢近 愛子

フェジョン煮る孫等は好きで元気かな
気に入りの日本みやげの冬帽子
冬ぬくし病も快癒して嬉し
思ひ出は家族総出の大焚火

   アチバイア         池田 洋子

風物となりしマスクの人の群
焼きいもの温もり胸にほっこりと
納豆に歓声あげる異国の子
マスクして触らぬ神に祟りなし

   イツー           関山 玲子

夜明けても音無き朝よ煙霧濃し
蟻行列寒波来るらし空暗く
蹄の音軽く近づく日脚伸ぶ
動物の出で来ぬシルコ冬休

   インダイアツーバ      若林 敦子

凍蝶の余命はいかと眺めをり
日脚伸ぶメモの予定は終りけり
冬ぬくし暦にしるす旅プラン
竜の玉知らずに詠める俳句かな

   ヴァルゼングランデ     飯田 正子

雨降って木芋掘る土柔らかし
人寄れば不景気話冬きびし
国士舘小雨の中の花見かな
冬いちご甘酸っぱくて飾り用

   サンパウロ         松井 明子

あの声は幼き鳥のベンテビー
桜草悲喜こもごもの若き日々
終戦日友失ひし事に泣き
【終戦の前日、八月十四日の光市の海軍工廠で女子挺身隊として働いていた作者は、大爆撃に逢い多くの女学生の友人を失ったと言う一句。
 毎年の終戦日には其の話をしてくれるが、胸に沁みる悲しい俳句である。】

終戦日ただ泣きぬれているばかり

   サンパウロ         近藤玖仁子

うららかや孫のあくびがうつる猫
花守やたたき撫でたり話しかけ
春めいて一雨ごとに春になる
再びの春の時雨はこまやかに

   サンパウロ         秋末 麗子

神風の勇士に涙終戦日
山荘の廊下蛙の置土産
暮れなづむ街路に開く暮鐘草
春雨や肩寄せ合ひて小さき傘

   サンパウロ         建本 芳枝

春風や自衛艦旗を靡かせて
仏間の供花かすかに揺れて春の風
終戦日戦争孤児の体験記
春菊も卵と巻けば子のお八つ

   サンパウロ         彭鄚 美智

音楽に合わせて踊る春の日に
春眠や日当たりのよき床もあり
父の日や最敬礼と頬ずりと
春風やリズム体操に救はれて

   サンパウロ         山口まさを

虫に更け感謝の祈りして寝まる
ロデイオに総立つ余興牛馬市
梟鳴き灯火のゆるる通夜を守る
パライバの見ゆる限りの冬田かな
※『パライバ』とは、ブラジル北東部の州 の名前

   ボツポランガ        青木 駿浪

春うららハイネの詩集携へて
童等に嬉々引潮の桜貝
連山を谺返して山笑ふ
タピライの花栗匂ふ夕べかな
※『タピライ』とは、サンパウロ州にある市の名前

   プ・プルデンテ       小松 八景

牧場に枝さし染める黄イペー
牧場にカンナを刻む牛舎かな
枯れ牧にとけて消えいゆく風木立
牧場に咲きて潤ふ黄イペー

   カンポス・ド・ジョルドン  鈴木 静林

触れるものどれも冷たし野菜畑
肩すぼめ猫背で歩く寒の内
桜祭神の恵みかよい天気 
【カンポスでは毎年桜祭がある。作者はかずまと同じ年であるから、かれこれ九十五歳であろうか。元気で祭のお手伝いをしている姿が目に見えるやうな、桜祭りの佳句である。】

桜祭逢ふが別れの旧き友

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