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ニッケイ歌壇(499)=上妻博彦 選

      サンパウロ      武地 志津

目を凝らし見れば小いさき蟻たちの行きつ戻りつ忙しげなさま
風唸り冷えの厳しき今朝の市客引く声もおおかた聞かず
どんよりと肌寒き日は蟻たちの何処に潜むや突とし消ゆる
聞き馴れぬ音にキッチン見回せば壁のタイルが剥がれふくらむ
近頃の空気乾燥深刻に斯くなる現象起こり得るらし

  「評」温暖化による異常気象はいつ何が起こるかも知れない無気味さ。蟻の動きから更には無機物の収縮、膨張の音、研ぎ澄まされた歌人の神経がある。

      バウルー       酒井 祥造

捨牧にユーカリ植林望まれて荒草倒すトラクター作業
植林の整地作業に土固し古りし牧跡耕しなやむ
急ぐことなき植林に希望持ついつしか気力体に湧きくる
植付けの予定一万五千本ユーカリ植林終る日いつか
機械化の世に植え穴を鍬で掘る運動代りと朝の作業に

  「評」三首目、『急ぐことなき』と思いながらも『湧きくる気力』と言っている。もうすぐ卆寿の作者は、すでに農牧の地を子らに受けつがせている。全伯短歌大会に毎年欠かさない、寡黙な歌人である。

      アルトパラナ     白髭 ちよ

何故斯くも争い絶えぬかシリヤ国映像見る度心も凍る
まだかつて見た事も無き難民の数その苦しみは戦争故に
今日も又戦禍の様を写しおりシリヤの国の神は何処に
争いの絶えぬ地球は祈れどもいつの日来るか平和な世界
戦無きブラジルに住み平穏に暮らせる日日の有難きかな

  「評」心の底から短歌を好きな人、ぽつんと一人地方に住んでおられ、これほど詠みつづけることの出来る人、しかもこの国生れの高齢者、時事詠ながら作品の骨子が大きいし揺るぎがない。

      サンパウロ      坂上美代栄

沖縄に基地を押しつけ国引かぬあちら立つればこちらが立たず
国と県双方引かぬ押合いに如何なる決着つくるものかと
沖縄に同情すれど身代わりの勇気はあらず他県は黙す
七十年を守りて来たる不参戦異論出づれど憲法重し
反戦のデモ行進す若きらよ親の跌踏まず平和を守れ

  「評」時事詠、論ずるのは安い、そこの所を穏やかな心で詠み据えている。穏やかとは中庸の心である。『親の跌』と言うには決断を要する、それを敢えて『親』と書いた。世界の政治力学は動いている。

      サンパウロ      武田 知子

はるばると六百キロのバスの旅春泥の中弓場の土踏み
稚鴎師の百歳祝いにボーロ切る姿は凛々とまぶしかりけり
弓場の里稚鴎師迎え百歳も六歳の子もなごやかな句座
散策に果てなく続く鈴成りの垂れしマンガは未だ熟れかね
ふくろうも蛙も鳴きてカナブンの飛び交う弓場は田舎さながら

  「評」四、五首目の様なところを散策して、心落ちついてこそ、まろやかな歌も生れると言うもの、稚鴎(ちおう)氏を囲んでの句会も、また楽しからんや。

『弓場』とは、サンパウロ州ミランドポリス市にある日系コミュニティの弓場農場のこと。1935年に戦後移住者によって創立。日系人や日本人が共同生活をしながら自給自足の生活を送っている。また創立当初より「耕し、祈り、芸術する」をモットーとしており、テアトロ(劇場)もあり、恒例の年末公演では音楽や芝居、バレエなどが披露される。(写真は2014年の年末公演)

『弓場』とは、サンパウロ州ミランドポリス市にある日系コミュニティの弓場農場のこと。1935年に戦後移住者によって創立。日系人や日本人が共同生活をしながら自給自足の生活を送っている。また創立当初より「耕し、祈り、芸術する」をモットーとしており、テアトロ(劇場)もあり、恒例の年末公演では音楽や芝居、バレエなどが披露される。(写真は2014年の年末公演)

      グワルーリョス    長井エミ子

時々はふくろうおとなう山家にもつち音深し草木ほこりて
二人してジャムの一瓶開かぬ蓋外はたそがれもう星光る
どよめきを残し終りぬ大相撲焼けつく春の果てを知らねど
休日の君ひたすらに座りをるテレビの前の舟漕ぐ姿
遅遅として車進まぬ国道の脇の建物落書の数

  「評」一、二、三首、上の句につなぐ下句の意、ここに長井作品の詩心が感じとれる。そして四、五首はいくらか気をゆるめたと言うべきか。

      カンベ        湯山  洋

何年も遅々と伸びない蘇鉄の木気懸りなれど吾は越し行く
幹回り四米余のマンガの木陰で涼むも終りとなりぬ
ここに来て最初に植えし柿の木の根元の苔よ吾も老いたり
片方だけ枯れずに残る梅の木の小さな花が何故か気になる
七十歳の記念に植えし桜の木主居なくとも満開に咲け

  「評」生活周辺の樹木、いよいよ立ち去ろうとする作者の眼。大都市の人間共のまなことは歴然と異なる。何回読みかえしても、一首一首が心にしみる。

      バウルー       小坂 正光

二十世紀の文明の世に非道なる首切り裁判東京でなす
戦争は喧嘩両成敗者のみ横暴極まる戦犯になす
武士道の情けを知らぬ連合側人道無視の処刑を行う
敗戦の形取りしがわが祖国アジア解放の偉業をなしぬ
盤石の政権固めし安倍総理祖国本来の改憲をなせ

  「評」歴史には『もし』と言ふことはないと言われるが、仮に日本が勝って居たとすれば、両成敗の裁判がなされたか、玉音放送で『ぴたり』と戦意の鉾をおさめた民族であったことを世界が知った今、安倍総理の盤石の改憲と、国民は、今。

      サンパウロ      武田 知子

風邪癒えてふらつく足に力をとデナーのステーキやおらナイフを
釣り釜の揺れ動く度び春を呼ぶ炉中のあかり見え隠れして
茶の道を共に歩みし旧き友又の良縁心より祝ぎ
一度だけ彼岸の人に逢えるならいまわの夫の声聞きたしと
テレビより古里映る厳島青春の日々脳裏めぐりて

  「評」『デナーのステーキ』が詠まれるかと思いきや『炉中のあかり』が出てくる。世界中を踏破する、茶の道の師でもある、『宗知』の作品世界と言えよう。

      サンパウロ      遠藤  勇

二十年我の家族に嬰児(やや)は来ず赤子の匂いなつかしく思う
あどけなく母を見上げて乳を吸うこの愛しさを何にたとえん
春寒や膝のいたみのぶり返し足を温める日向が欲しい
妻不調無理をするなと口見舞い炊事洗濯代わりは出来ず
冬過ぎて日和続きの九月末春を飛び越え夏の日差しが

  「評」子を産まぬ世代となると尚のこと嬰児がなつかしくなる。一、二首に、はやく孫も子を産んでほしいのかも知れない、そう思わせる作品である。二首、膝は足、肘は腕のものなので『膝のいたみの』として無駄をはぶいて見た。妻の不調は困る、こんな時に限って夏の日差しが気にかかるのだが。小生も口見舞で通している。

      サンパウロ      相部 聖花

道の辺に桑の実ちぎり食む人あり懐かしき実を我も味わう
カトレアの花十二輪一時に咲きて豊けき心地するなり
アマリリス蕾をつんと立ち上げて春待つ姿勢幾日経しや
チャンコ着る犬見れば偲ぶ雪降れば喜び駈ける日本の犬を
愛の神如何に見給うや国境に難民阻止すと金網張るを
  「評」桑の実に唇を染めた日も遥かとなった、果物として食べた、ひだる神にとりつかれた様な時代もあった。一気に咲く花、『つんと』した蕾などに眼の向く世代と言いたい。

      グワルーリョス    長井エミ子

難民の映像流すをながめをる難民にあらぬ今のわたしが
風落ちて音なき山家昼下り体まるごと心に懈(たゆ)し
昨日今はカンタレイラはワフワフと雨雲被り春の足音
もう少し塩濃くしてと君の言ふ午後のテーブルはずまぬ会話
我家をさかさまにして掃除しておみな去りたる後のしずけさ

  「評」會ての大戦で我々は疎開をした。そして移民である我々は難民にあらず。しかし今、大戦が近ずいたら、自費難民が、あのユダヤの民の様にして移動する様な気がしてならない。その下準備も出来ているし、その情報も不足しない。不思議と一首目にそう思う。四、五首、この国の日本人の共通心理が感じとれる。

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