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乾杯の発声を待つ来場者の皆さん。左が山城勇・千枝子夫妻
乾杯の発声を待つ来場者の皆さん。左が山城勇・千枝子夫妻

沖縄県人会=米寿の祝いに450人参集=元会長の山城勇・千枝子夫妻

 山城勇(88歳)、千枝子(85歳)夫婦の「おしどり米寿」の会が22日夜6時から、サンパウロ市の沖縄県人会本部大サロンで開催された。会場いっぱいの約450人が慶祝に駆け付け、夫婦への信頼の厚さ、人脈の広さがうかがわれた。

家族全員が満面の笑みを浮かべる中でケーキカット

家族全員が満面の笑みを浮かべる中でケーキカット

 沖縄では88歳は「トーカチ」といわれ、97歳の「カジマヤー」に次ぐ重要な祝い。85歳も節目の「トシビー」(誕生日)だという。
 上原テリオさんの軽妙な司会で、「思い出のアルバム」スライドショーが投影された。山城家長男の一也さんが「家族にとって特別な日」と挨拶し、次男の達也さんが両親の経歴を紹介した。
 1928月12月に糸満市字米須で生まれた山城勇さんは、43年に満蒙開拓青少年義勇軍に入って満州大陸に渡り、終戦後も大連で2年間の避難生活を送ってから引き揚げるという多難な青年時代を送った。
 48年に南部農林学校に入学、地元の三和中学の代用教員になり、村の青年会長におされ、55年に結婚。58年に沖縄産業開発青年隊3期として渡伯し、翌年家族を呼び寄せ、サントアンドレー市郊外で野菜作りとフェイランテで生計を立て、64年から同地沖縄県人会支部の書記・会計として協力し始めて、うるま会館建設に尽力した。
 75年から県人会本部理事になり、87年から会長を3期4年間、90年の第1回ウチナーンチュ大会で「民間大使」に認証された。92年からはブラジル沖縄文化センター理事長を3期5年間務めるなど、移住初期から長年コミュニティに貢献してきた人生で、06年には日本政府から旭日双光章が授与された。
 千枝子さんは32年1月に米須に生まれ、米須小学校などで代用教員をし、59年に呼び寄せで移住。77年に同支部婦人会長におされ5期5年間務めた。
 宮城滋元会長が「サウーデ、乾杯、カリー!」と音頭を取り、来場者は仕出し料理を堪能した。島袋栄喜現会長は「山城さんは県人会の生き字引、宝です。温厚、篤実な性格だから慕う人が多く、こんな盛大な米寿になった」と讃えた。
 本紙取材に達也さんは「父はいつも県人会のことに一生懸命で、正直言って家族としては少し複雑な部分もあった。でも今日こんなに集まったのを見て、改めて父の偉大さが理解できた」としみじみ語った。
 沖縄青年隊2期生として57年に渡伯した山城弘さん(ひろむ、77、辺戸岬)は「50年前からの付き合い。県人会長で米寿の祝いを本部大サロンでやったのは山城さんが最初。会の集まりには常に率先して参加してきた山城さんだが、他人の悪口を言っているのを聞いた事がない。そんな人徳の高さが愛される理由では」と頷いた。

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