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新年占う編集部座談会1=ざっくばらんに語ろう!《コロニア編》=秋篠宮ご夫妻来伯の内幕?!=移民110年に向けて準備始めよう

神妙な面持ちで慰霊碑の説明を聞かれる両殿下(イビラプエラ公園)

神妙な面持ちで慰霊碑の説明を聞かれる両殿下(イビラプエラ公園)

 深沢正雪(編集長)=それでは、久々に「ざっくばらんに行こう」座談会を始めましょうか。まずは秋篠宮殿下と紀子さまのご来伯記念について、記者それぞれが取材した場所での印象を語ってもらいましょうか。
久保将視(記者)=最初のイビラプエラ公園の慰霊碑では、凄く神妙な顔をされてましたね。県連の本橋会長から先没者についての説明を聞かれていて、眉毛を八の字に曲げるような表情で、本当に神妙な感じで聞かれていた。
小倉祐貴(記者)=先没者の想いを真剣に聞き入っていたと言う感じですかね。
久保=まあ、前回来られた1988年の時も聞いていると思うんですけどね。
小倉=たしかに、初めてではないですよね。

日本館を訪れ関係者と談笑するご夫妻

日本館を訪れ関係者と談笑するご夫妻

深沢=でも前回は27年前。本橋さんの話を聞きながら「ああ、そうだった、そうだった」と内心、思い出しながら聞かれていたかも。
桃園嵩一(記者)=前回は初の外遊でしたから、結構印象深いんじゃないですかね。
小倉=そう思いますね。ご夫妻のブラジル訪問のすぐあとには、ご長女の眞子さまがエルサルバドルとホンジュラスを初外遊で訪問された。佳子さまが大学卒業されたら、ぜひブラジルに初外遊してくれませんかね、きっと皆喜びますよ。
久保=僕は取材しながら、皇室と言うのは大変だと思いましたね。こうシュッとしとかないといけないでしょ。
 常にメディアに囲まれてるわけじゃないですか、だから、痒い痒いってお尻を掻いたら、もうえらい事になるじゃないですか。
 そういう意味でも精神力というか、耐える力は相当なレベルにあるんだろうなぁと。日本一プレッシャーがきつい世襲なんじゃないかと。
小倉=そういうのが弾けたパンタナールだったかも。
深沢=あそこは記者が立ち入りできなかったからねぇ。その他はどう、サンパウロの文協とかはどうだったの?
桃園=僕が行ったんですよね。やっぱり人から説明聞いてる時は真面目な感じで聞かれてたんですけど、少し子供が出てくると一気に表情が変わったなというのがありました。出迎えの子供たちの所とか。あと舞台上で子供たちが花を渡したんですよ。その時の笑顔はめちゃくちゃいい表情をされてました。特に紀子様の時は満面の笑みでしたね。
小倉=それは梅田大使が事前に「子供たちへの声かけをよろしくお願いします」みたいな要望をしたということを言ってましたね。日本館の出入りの時も二つ日系の学校ありましたし、よく声をかけてましたね。

大車輪で活躍する〃熱血大使〃梅田さんの巻

深沢=いきなり殿下ご来伯から脱線しちゃって悪いんだけど、梅田大使のブラジリア日系社会での評判がすこぶる良いんだってね。「去年の4月頃のブラジリア老人会に大使夫妻が姿を現して、手土産に全員分(100人以上)のシュークリームを持ってきて参加者がみんな驚いた」って、ある戦後移民から電話が掛かってきた。
 「そんな大使は初めてだ」って感心してたね。しかも、最後まで残って、カラオケの時間になったら積極的に参加して『津軽海峡冬景色』を歌ったって。かなり熱い、熱唱系の曲だよね、アレ。日本サッカー協会国際理事をしているだけあって、さすが熱血大使だね。
小倉=ただ、力こぶでやった120周年の花火大会の人出はいま一つ、二つという感じでしたね。梅田さんはすごく宣伝、頑張ってましたけどね。ただし、大使の影響力というのはサンパウロの日系社会では今一なのかな。普段、顔を会わすことがないから。

外交120周年の目玉企画だった花火祭りだが集客は不発気味だった

外交120周年の目玉企画だった花火祭りだが集客は不発気味だった

深沢=そうそう。折角、大部総領事、福嶌総領事と二代にわたって、任期中にそれぞれ百カ所以上もの集団地を巡り回って固い繋がりを作ったのが、結果的に活かされていなかったのが、すごく残念だったね。
 サンパウロ総領事館管轄の日系団体では、あまり大使に直接会う機会がないから、やっぱり〃総領事〃の方にはるかに親しみを感じる。しかも二代にわたって自分たちの地域まで足を運んでくれている存在だから。
 大使と在聖総領事の連名で花火大会のコンビッチを全日系団体に出し、総領事館員総がかりで電話攻撃したら、何万人あつまったか分からないよね。
桃園=10月のビラカロン区の「沖縄祭り」だってBEGIN公演に1万人も来てましたからね。120周年の花火大会だったら、ポテンシャル(潜在能力)的には4万でも5万でも集まっていてもおかしくなかったと思いますね。
深沢=そのへん一生懸命やっているんだけど、噛み合ってない部分を感じたよね。新年に設置される「ジャパンハウス」でまたそういうズレが生じない様に、日系社会とがっちりとかみ合ったものにして欲しいとお願いしたいね。


殿下がホッとした表情を見せた瞬間の巻

深沢=おっと、そろそろ本題の殿下ご来伯に戻ろうか。
桃園=お二人が一緒に動くわけじゃないので結構、写真を撮りづらかったですね。やっぱり二人一緒に撮りたいじゃないですか。
小倉=二人並んで歩かないんだよね。
深沢=アマゾン河のベレン市、ヴェル・オ・ペーゾ市場でもそうだったよ。本当はお二人でトメアスー移住地まで足を運ばれるという噂もあったんだけど、いろいろな事情でダメになったらしい。その代わりといってはなんだが、アマゾン産品が溢れたあの市場を端から端までじっくり視察されたようだ。
小倉=そういえば、サンパウロ市のブタンタン毒蛇研究所では、殿下が蛇を持って我々のカメラにポーズをとっていました。毒を抜いた蛇を手に持ってニコっと。紀子様と「持ってご覧」「いやいや、いいわ」とか、わいわいやっておられましたね。テンションが上がってたんでしょうね。

ブタンタン毒蛇研究所で蛇をお持ちになる殿下

ブタンタン毒蛇研究所で蛇をお持ちになる殿下

深沢=ベレンの市場でも鶏を売っている所が五軒くらい並んでいて、「インディオ・グランジ」とかいう大きな鶏に興味をもたれていたようだったね。羽も普通の鶏より逞しい結構原始的な感じ。殿下が凄い関心を持たれて、店の中に1人でグイグイ入って行って写真撮ったり、姿が見えなくなったりしちゃって。店のおやじに色々聞いていた。その内、おやじが一羽だしてきて、殿下が「これは食用ですか」とか聞かれて、そのおやじは「ベレンじゃあ、煮込んでトゥクピー味で食べるんだ」と得意げに説明したといっていたね。
 市場では秋篠宮さまの周りを外務省の人間がグルッと囲んで、お団子のような一団になって歩き、その少し後ろを紀子さまが女性の外務省の通訳と共に歩いている感じ。紀子さまが、マンジョッカの皮を剥いていたブラジル人に気軽に声かけて写真を撮ったりとかされているときは、ほぼノーマーク状態だったね。
小倉=紀子さまはマイペースなんですかね?
深沢=秋篠宮さまは時々、心配そうな表情で振り返って、「何処に居るんだろう」って探してるような視線だったね。
桃園=そうそう、パラナでもそうでした。
小倉=クリチバの日本庭園の時も子供たちから歓迎を受けたんですけど、その時にグローボがカメラ回すじゃないですか。その映像をサイトで見たら、紀子さまが子供たちと喋っているのを見ていた秋篠宮が声をかけて「早く次に行くよ」って催促をしている映像が出ていましたね。
深沢=やっぱり、紀子さまの方があんまりマークされて無くて、割と自由に振るまわれていたね。いわば秋篠宮さまがネイマール状態で敵のDFの一手に引き寄せ、紀子さまはマークから外れて自由に動く、みたいな。
小倉=セレソンのオスカルみたいですね。
深沢=だから紀子さまと話をしたって人は結構いるんじゃないかな。特に女の人には声をお掛けになっていたようにみえた。でも紀子さまは衣装替えとか大変だったろうね。ブラジリアなんて1日で3、4回も変えてた。連邦議会なんて着物だよ、びっくりした。
久保=五木ひろし並みですね。
深沢=五木ひろしは2時間のステージで衣替え4回だった。幕に入ったと思ったらすぐに別の衣装で出てきて、すごかったね。

殿下と会って思いっきり泣きだす人もいたの巻

ロンドリーナ文協の歓迎式典で笑顔をみせられた

ロンドリーナ文協の歓迎式典で笑顔をみせられた

久保=はい、はい、では本題に戻しますよ。殿下を目の前に見て泣いている人って多かったですか? 僕はサンタクルス病院のボランティアグループの合唱隊がとても印象に残りました。
 合唱でお見送りしたんですが、一回出た後で秋篠宮さまがコーラスにありがとうって伝えたかったみたいで、戻ってきたんですよ。その時、コーラスの真ん中で歌っていた小池さんという男性が、もう涙ダーって感じで泣きだして。
小倉=その人が隊長だったんですか?
久保=それは知らないんですが、直前に事故に遭ってるんです。その人は前々日に梯子から落ちて集中治療室に運ばれたそうなんですね。4時間以上意識を失ってたんですけど、意識が戻った後に「なんとしてもコーラスに出たいから早く出してくれ!」って医者に無理言って、翌日に退院して、やっと間に合った人なんですよ。
 だからもう、間に合ったっていうのでダーって泣いて。76歳の一世の男性でした。
小倉=あと憩の園ですかね。
久保=憩の園は、最初に大きな花束を紀子様が車いすの人に渡したんですよ。受け取ったおばあちゃんも凄く良い笑顔になった。その時、入居者の方は二つの大きな翼みたいになってホールに並んで座ってたんですよ。そこを右から秋篠宮様、左から紀子様が回って行かれた。
 最初に秋篠宮様が話しかけたられたお爺さんが、すこしボケが入っていたのかもしれませんが、状況が分かっていない口調で「日本から来たの?」と殿下に言いまして。一瞬びっくりした表情をされていたのが印象的でしたね。
 それでも、伝え聞いたところでは「はい、日本から来ました」と笑顔でお返事されたそうです。ああ、もうちょっと見たいと思っていたところで、僕ら記者は「プレスは退出して下さい」って言われたんですけど。
 その後で、おじいちゃんおばあちゃんにインタビューすると、思いっきり泣いている人がいましたね。殿下が「何歳でこちらにいらしたんですか」って聞いてくださいましたって、泣きながら言うおばあちゃんとか。やっぱりうれしいんでしょうね。

百鬼夜行のブラジリアで殿下巻き込まれるの巻

コーラス隊に手を振られる殿下(サンタクルス病院)

コーラス隊に手を振られる殿下(サンタクルス病院)

深沢=思えば、殿下がブラジリアを訪問されたすぐ後から、大変なことが続々と起きた。ラヴァ・ジャット作戦の捜査を邪魔したとデウシジオ上院議員が史上初の現役逮捕、その余波でジウマ大統領の訪日どたんばでキャンセルに、さらにクーニャ下院議長による大統領罷免審議受理、インピーチメント支持抗議行動の不発と、毎週のように大事件が立て続けに起きた。訪日ドタキャンは大変失礼なことだと思うけど、上議逮捕の時点で「とても大統領が訪日できる状態じゃない」と思っていたね。
 実際、殿下が首都訪問された時から、すでに、かなりきな臭い動きがあった。ご夫妻が連邦議会の正面玄関からご入場された時も、議会前広場にテント張ってジウマの罷免運動をする一派数十人が、殿下の出迎えに出てきたクーニャ下院議長を見つけて、「アコーレ・クーニャ!(罷免審議を受理しろ!)」って大合唱を始めた。殿下は「なにが起きているんだ…」って感じで、こわごわ、しずしずとご入場された。
 まるでフリーメイソンの儀式みたいな槍を左右から突き出した花道を、ご夫妻が入ってくると、クーニャに先導されて貴賓室で懇談された。で、連邦議会の本会議場に行く途中、クーニャのお友達の議員から「我々は大統領の罷免を求めている」と英語で書いた紙を、殿下に見せられて、それがブラジルのメディアの記事になった。
 僕らは、議会の通路に立ち止まることを許されず、すでに本会議場に入っていたから、その瞬間を見ていないんだよね。残念…。でも、うちのサイトでもそれの翻訳記事がトップ級のアクセス数になって、11月中でもっとも読まれている記事の一つに。
 で翌日、ご夫妻は、失礼なことに今度はジウマ大統領から20分もの待ちぼうけを食わされた。まったくブラジリアは百鬼夜行、魑魅魍魎という感じだったね。
小倉=ブラジリアはネタが豊富でしたね。
深沢=でも、大使公邸で日系社会の皆さん200人と懇談をされたときは、さすがに、ほっとした表情をされていたね。レシフェとかバイーアなど遠方からも集まって、7、8人ごとにテーブルが分けられ、ご夫妻と数分ずつの懇談をされた。
 その最初がブラジリアの老人クラブだったんだけど、ご夫妻の表情がパーッと明るくなって、ニコーッとした。連邦議会の本会議場での緊張されていた様子とは、ぜんぜん違っていたね。「これこれ」っていう感じだったね。
久保=そうですか、ブラジリアはそんな百鬼夜行なんですか。さぞや、ほっとされたでしょうね。
小倉=そういえば北パラナはどうだったの?
深沢=北パラナの人たちは今年、入植100周年だったから熱かったでしょ?
桃園=熱いハズだったんですけどね…。百周年のローランジアの写真を見てから、こっちを見ちゃうとね。現地の人からは「2千人くらいだろう」と言われたけど、さすがに無理ですよね。「600人以上」って書いたんですけど。
深沢=600人! そんなもんだったの?
桃園=600人ですね。テント張って、はみ出る様な人いなかったですから。でも雨が降って、天気に恵まれなかったというのはありますね。日系団体の主催者側も「ちょっと天気がね。これがなければもうちょっと」みたいに悔しそうにしてましたね。
深沢=100周年(2008年)の時は「7万人」だった、2ケタ違うね。あの時、実際に取材に行ったから憶えているけど、凄く熱い雰囲気だったよ。「こりゃ、サンパウロはかなわないな」と思った。今回はだいぶ違っていたんだね。
桃園=まあ「すごく熱い」って感じでは無かったですね。
深沢=それは意外だ。
桃園=もちろん、熱心な方はいましたけどね。涙ぐんだりして。


移民110周年に向けて準備を始めようの巻

何かを思いつめたような表情のクーニャ下院議長。もしかして「俺の華やかな登場場面もこれが最後か」とでも思っていた?! 秋篠宮殿下は緊張されたような表情

何かを思いつめたような表情のクーニャ下院議長。もしかして「俺の華やかな登場場面もこれが最後か」とでも思っていた?! 秋篠宮殿下は緊張されたような表情

深沢=それじゃあ、いよいよ2018年の移民110周年について話しましょう。3年後だから、そんな先の話じゃないよね。その時もぜひ皇室に来て頂いて、今度はサンパウロ州のインテリオールにも足を運んで頂きたいという声が高まっているよね。
 もしかして雅子さまが公務に復帰されていて、初来伯されるとか。ブラジルの日系社会の皇室に対する尊敬の念の篤さに触れたら、きっと癒されるんじゃないかという期待感は昔から聴くよね。2008年に皇太子殿下が来られた時から、待望論は出ていたからね。お忍びで、しばらくご滞在されるとかね。
小倉=もしくは、さっきの話にも出てましたけど、眞子さまの初ご来伯になるかも。もしかして佳子さまは! ああ、まだ大学卒業してないかな、その時は。
深沢=移民50周年、1958年の時に三笠宮殿下ご夫妻はスザノ、モジ、ロンドリーナ、リンス、マリリア、プレジデンテ・プルデンテ訪問された。これが、サンパウロ州の奥地を訪れられた最初で最後の機会。移民110周年では、それから、なんと60年になる。
桃園=1958年といえば、ボクは平成生まれなんで、僕の親すらまだ生まれていないときですね。
深沢=そう、サンパウロ州には全日系人の7割以上が集中していると言われる。州全体の日系人の半分ぐらいは大サンパウロ都市圏に集住しているかもしれないが、残りはインテリオールに住んでいるから、それでも全日系の3、4割に相当する。
 パラナ州の日系人は全体の1割、16、7万人でしょ。比率から言ったら、サンパウロ州はもっと地方にご訪問の機会に恵まれても良いような気がするよね。
久保=だって今回パラナは入植百周年ということで4都市(クリチバ、ロンドリーナ、ローランジャ、マリンガ)も回られたけど、サンパウロは市内だけだったですよね。

大使公邸で日系社会の皆さんと、緊張のほぐれた表情でご懇談されるご夫妻

大使公邸で日系社会の皆さんと、緊張のほぐれた表情でご懇談されるご夫妻

深沢=実際、パウリスタ線、ノロエステ線、ソロカバナ線、あと聖南西、レジストロとかコロニアはたくさんあるし、700人どころか何万人も集まるんじゃないかと思うよね。確かにパラナは百周年を祝ったが、サンパウロ州においても2013年は日系初の桂植民地に始まるレジストロ地方の百周年、昨年は南麻州カンポ・グランデの百周年、2015年はノロエステ線の平野植民地やアグア・リンパの入植百周年でもあった。昨年なんかはノロエステ百周年というくくりの大きなお祝いにしておけば、皇室に来て頂くのにも絶好の理由になった。
 2018年の時は、3線全体のほぼ真ん中にあるマリリアとかに集まってもらって、地方勢が総力を結集して歓迎会を企画するのもいいんじゃないだろうか。できれば、それに加えて聖南海岸地方を代表してレジストロとか、もう1カ所ご訪問してもらえれば、さらにありがたい。

ジャパン・ハウスと協力して日系社会活性化の巻

深沢=ここ10年ぐらいで皇室に対する篤い想いをもっている戦前の子供移民の方や、戦前の二世の人がみるみる減ってしまっている。古いレジストロや、プロミッソン、リンスなどのノロエステなんか二世が90代だからね。彼らが持っている皇室に対する敬意の念、姿勢を、今のうちに三世、四世、五世に見せてほしいですね。
小倉=地方に住んでいるブラジル人にしたって、自分の町に日本の皇室が来たらびっくりするし、それは「自分達が普段友達付き合いしているジャポネーズがいるから来たんだ」となれば、その存在が地域にとってさらに重要になる。
深沢=そうしてこそ若い世代に「自分は日系人、日本につながるルーツをもっている。日系人としての誇り」という自覚が覚醒するんじゃないかと思うよね。そうなれば、地方の日系社会が再活性化する機会になるじゃないかという気がする。
小倉=大きくやるなら、準備は前もって今年2016年、17年からやった方がいいですよね。

コンゴーニャス空港に到着された三笠宮ご夫妻(1958年、『文協50年史』より)

コンゴーニャス空港に到着された三笠宮ご夫妻(1958年、『文協50年史』より)

深沢=三笠宮ご夫妻がマリリアをご訪問された時に開所式をした公園があると聞いたけど、今はどうなっているんだろう。もし御来訪をお願いするなら、ちゃんと整備をしておかないとね。
 移民110周年のちょうど一年前、17年6月にプレフェスタをやって、「自分たちは皇室に来て頂きたい。そのための前夜祭としてやっています。来年はもっと人が来ますからぜひきてください」ってアピールした方がいいんじゃないかな。
久保=一世の想いを、今のうちにどう子孫に伝えるか、ですよね。
深沢=そうそう。今まではあまりに日本語に拘り過ぎた部分があったと思うね。もちろん、日本語は最も大事な部分ではあるけど、時代の変化に合わせて、ポルトガル語で日本文化や歴史を分かりやすく三世、四世に伝える努力を怠ってしまった部分があると思うね。
 「日本語が分からないと日本の思想や歴史が理解できない」と高い敷居を作ってしまっていたから、どんどん敷居を跨げる人が減ってしまった。これからは、敷居を極力低くして、まずは跨いでもらう。その後に、徐々に高い目標にむかって段階的に日本文化理解を深められるステップを作っていった方が容易に広まる時代のような気がする。
 そこで必要なのが、ポルトガル語で日本文化や歴史、移民史に触れられるような本、しかもある程度、種類がないといけない。そうでないと、コロニアから離れてしまった三世、四世世代を引き寄せることはもちろん、大人の日本語学習者が多いブラジル人を取り込めない。
小倉=そのへん、外務省が2016年度にサンパウロ市に開設すると言っている「ジャパンハウス」で、日本から世界的に有名な知識人の講演者を呼んでもらってブラジ社会全体の興味を呼び起こしてもらったり、翻訳出版助成をしてもらったりしたら、有機的な協力関係が築けるんでしょうね。
深沢=いいこと言うね。その通りだよね。日系の若い世代のルーツ意識を高めることで、親日的態度の思想的な足腰を鍛える。その過程で自然に、周囲のブラジル人を巻き込んで日本への関心が高まり、結果的に日本語学習者も増える。そんな努力の最終的な目標として、サンパウロ州のインテリオールへの皇室ご訪問がある。
桃園=唐突ですが、今年はリオ五輪でしたね。この話題も。
深沢=おっと、大事なことを忘れていたね。でも、もう時間切れ。次回の座談会に回そうか。
一同=えっ――!(唖然)そっ、それを次回っすか。(終わり)

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