ホーム | 文芸 | 読者寄稿 | 生まり島の辺野古新基地建設に思う=サントアンドレー 大城栄子

生まり島の辺野古新基地建設に思う=サントアンドレー 大城栄子

 2月19日付ぷらっさ欄の、松本正雄さんの投稿文を読みました。沖縄県民の民意を無視した安倍政治への不信を訴えていることに私も同感です。国民主権の政治をしているのだろうか?何かに憑りつかれていて、暴走しているかのように窺えます。
 島を離れて海外に住み、年を重ねる毎に郷愁が深まり、故郷の現状を憂うようになっています。毎朝一番にインターネットで日本の情報を見、辺野古への新基地建設のニュースを見ています。
 地元の名護市長と翁長県知事が選挙で当選し、新基地建設反対を強く打ち出し、県民も70%から80%以上が反対しているにもかかわらず、日本政府が埋め立て工事を強行して県民と警備隊(県人含む)を対立させている光景をみると、胸が締め付けられ、情けなくなります。
 民主主義国家である日本は誰を防衛しているのか、「国民か米国か」と疑問が湧いてくるのです。民主主義の国では、選挙とか世論調査で示される『民意』を大変重視すると言います。しかし日本政府は、選挙で当選した翁長知事の『公約』や民意を無視して、辺野古への新基地建設を『唯一の解決策』と一方的に押しつけています。
 「国防のことは国の専権事項だから政府が決める」と言いますが、あまりにも高圧的で理不尽なやり方ではないでしょうか。これでは松本さんが言うように、益々沖縄県民の反発を招くばかりだと思います。
 子供の頃、私はどうして柵の中の米国人は芝生で広々とした住宅で暮らしているのに、沖縄の住民は密集地で暮らしているのか、と疑問をもちながら羨ましくも見ていました。当時の大人たちは、来る日も来る日も祖国への復帰デモを繰り返していました。
 1960年代の中頃ベトナム戦争真っ只中、B52爆撃機が頻繁に飛来し、爆弾倉庫のすぐ近くに落ち、『あわや』という大事件が起きたのです。当時高校生であった私は、同級生らと一緒に大型バスで抗議に参加し、「B52撤去、ベトナム戦争反対、早く祖国に復帰を」と大声で叫んだこともありました。
 しかし、1972年に念願の復帰は果たしたものの、何年たっても米軍基地は居座り、さらに増やそうとしています。米兵による婦女暴行・交通事故・強盗等の事件、米軍機の騒音・墜落、危険オスプレイの強制配備、ヤンバルの山での軍事演習による火災発生、数えきれない軍事被害が起きています。
 このような事故が発生しても、日米地位協定による治外法権のため県警の捜査権が認められず、自主解決する権利も認められていないのです。
 このように沖縄県民は、危ない基地環境の中での生活が続いているのです。沖縄の現状を充分に知らない本土の日本人の中には、多額の軍用地料で生活し、豊かであるから文句は贅沢だ、と言う者がいます。このような発言を聞いていると、本当に情けなくなります。
 しかしノーベル賞作家の大江健三郎さん、映画監督の宮崎駿さん、歌手の加藤登紀子さん、俳優の故菅原文太さん等の文化・芸術・芸能関係者の皆さん、北海道から鹿児島までの元県知事や市町村議員、主婦や若者グループなど色々な方たちが辺野古新基地反対の声を上げ、参加するようになっていると言います。沖縄は孤立していない、と勇気づけられます。
 先祖伝来のジュゴンの棲む美ら海が、基地建設で破壊されることに、「ニジララン ガッテンナラン」と心を痛める名護市長の言葉に強く共感します。ブラジルに住むウチナーンチュも、母県で起きている基地問題に無関心では居られないのではないでしょうか。

image_print