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結婚の今昔=サンパウロ 平間浩二 

 現在、NHKの朝の連続ドラマで『あさが来た』が放映されている。私は今までに放送された朝ドラの内、途中で見るのを止めてしまうことも何度かあった。しかし今回、第1回目の放送から度肝を抜かれ、ずっと見ている。
 主人公のあさは、木に登ってタコを背負い飛び降りたり、奇想天外な発想と行動を持ち合わせた好奇心の強いおてんばな娘である。それに着物を捲(まく)し上げて相撲を取る一場面に唖然となった。これが実在の人物『広岡浅子』である。
 実在の人物を描く場合、ノンフィクションだけではドラマにならない。視聴率を上げるためには、基本路線を保ちつつ、ある程度の創作や脚色もやむを得ないことは十分に理解できる。原作者及び脚本家は、実在人物に如何に近づけ脚色をほどこすか、重要な要素となってくるだろう。
 閑話休題はここまでとして、本題に入ることにする。古来、日本の結婚は、本人が生まれる前から家柄で決めてしまう風習があった。伝統ある京都の豪商の娘「あさ(浅子)」も年頃となり、大阪の豪商(両替屋)に嫁いだ。嫁ぐ前には、両親より厳しく戒めの言葉を受けた。「嫁ぎ先で問題が起こったとしても決して家に帰って来てならぬ。嫁ぎ先の家を守るのが、嫁の『大義』である。一度他家に嫁いだら二度と帰って来てはならぬ」と、厳しいまで言い含まされて嫁いで行ったのである。
 このような風習があったため、余程の問題がない限り離婚という最悪の状況にはならなかった。特に大名武家社会にとっての子女の婚姻は、政略結婚が殆どであった。江戸時代、徳川幕府が265年間続いたのも、親戚関係を結ぶことで政治の安定を計ったのである。それほど子女の婚姻が重要な位置を占めていた。
 時代は明治、大正、昭和となり、第2次世界大戦で連合国と戦い、1945年(昭和20年)8月15日、日本は未曾有の敗戦を被った。この敗戦で日本は軍国主義が瓦解し、民主主義の世となり、社会は全て一変した。自由が認められたことにより結婚の在り方も家柄同士の見合いから個人的恋愛結婚に移行していった。 
 戦後70年経った現在、結婚観はがらりと変わってしまった。私の生まれた世代(1940年代)は、女性は結婚前に処女であることが最も理想的であり尊重された。結婚式が終り初夜で初めて新郎新婦が契りを交わすことが一般的であり、それを社会は祝福していたのであった。婚前に子供が出来たとなれば、一大事で噂が一気に広がり社会から村八分され、その後の人生に悪影響を及ぼしたことは論を待たなかった。
 現在の男女間の恋愛は、結婚はともかく相思相愛になると性愛に走る傾向にある。今の子供達の性に関する考え方も大きく変わり、開けっ広げである。好きになるとすぐにセックスをする。それがスキンシップと単なる愛情の表現だと思っているような感がする。
 そのような風潮の社会環境で成長し、女性の社会的進出と地位が向上したため、以前のように男尊女卑というような封建的風潮は全く姿を消し、男女平等の世の中になった。
 かつて日本文化に根付いていた『家長』という考え方が夫に『絶対的権力』を与えていたため「妻は夫に従うものである」という風潮はあったが、現在では殆どなくなった。
 このような風習は常に時代の変遷に淘汰されてゆく宿命にあると思う。そのためかどうか判断はできないが、日本人の1年間の現在の離婚率は、3組に1組。年代的に言えば、19歳以下の若年層では60%、20~24歳でも40%以上、それに50歳から60歳までの熟年層の離婚も増えている。
 いとも簡単に結婚するが、離婚もそれと同じように若年層に多い。時間的に言えば、1分49秒に1組が離婚をしている勘定になる。世界的にみると1位ロシア、2位アメリカ、3位ドイツである。そして日本は6位であるが、19歳以下の離婚が増えてきている。想像を絶するほどのスピードだ。     
 好きになったら結婚、嫌になったら即離婚と、人間も『物』と同じように簡単に変えられるような薄っぺらな家庭社会になってしまった。封建時代には家同士の固い絆で結ばれていたが、民主主義の社会になり、早70年の歳月が流れ、全く想像できなかった現実的社会現象である。
 恋愛中は、空を飛んでいるようなふわふわとした理想を夢見ているが、結婚という現実的な生活になると、お互いの欠点が良く見えてくる。この時に互いが感情的になると、一気に夫婦間の溝が深まり家庭崩壊になってしまう。この時こそ、お互いの立場を認め合い、辛抱し合い、譲り合う共生の心が最も肝要になってくる。
 この一点がぶれない限り、『雨が降って地が固まる』如く夫婦愛の絆は盤石となり、生涯夫婦愛を貫き通せるのである。

「夏めくや相思相愛永遠(とこしな)へ 浩二」

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