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ニッケイ歌壇(517)=上妻博彦 選

      サンパウロ      梅崎 嘉明

自動車の自爆テロのたゆるなく中東の和平いつの日にくる
戦いの熄むなき国の難民は行方も知らずあわれさまよう
国のためその身ささぐはよけれども残りし民の苦衷はつきず
国のため生命捨つれば天国で美せを得るとかイスラム伝説
かつての日日本の兵士も国のため生命ささぐを神とたたえし

「評」時事詠。かつての日本もそうだったなあ!その蜜と蛹を欲しさに熊蜂の巣を襲撃した。働き蜂は全滅、巣の中には蜜と蛹と女王蜂が残った。戦後の飢餓の頃であったが、それっきり巣の襲撃は止めた。

      カンベ        湯山  洋

孫達の七月休みに思い出す吾にも在ったあの夏休み
蛙踏み蛍を追った田圃道泥足洗えば沁みる擦り傷
お使いの駄賃で買ったが夜を待てず押入に光る線香花火
水遊び谷の澱で素裸あの爽快さ今も夢見る
勉強も宿題もせず叱られた続きが今も短歌に残る

「評」少年期の回想、全作品に共感する。四、五首、まるで吾が事の様に。すっきりと鮮明な歌が佳。

      ソロカバ       新島  新

バスの中隣に座したご婦人がこれを見てよとスマホ差し出す
何ですかと目をやれば富士山その他名所の録画つぎつぎに
下町の浅草観音秋葉原彼の鳩バスで都内観光
出稼ぎですかと尋ねれば晩秋の日本へ友と観光の旅
それで合点彼女が隣に座した理由日本人に見せたかったと
オリンピック何が起こるかわからない桧舞台で悔いをのこすな

「評」自意識あってのこととは言えないが、叙景の中の言葉の流れに、阿国歌舞伎のような仄々しさをいつも感じさせる作者だ。

      バウルー       小坂 正光

祖父の代村では豪農、わが父は坊ちゃん育ちで家財を失う
渡伯時の父は五十歳パトロンの空地を借りて養豚をなす
祖母と母仲睦ましくブラジルまで共に来たりてこの世終りぬ
長子の姉美人で得意の民謡の安木節では優勝なしぬ
里帰りの義姉が連れ来し四歳女現在吾れの妻になるとは

「評」幼少で奥地に入植した人達の家庭での語り合いだけが、ルーツを知る手だてだった人達。姑と嫁の仲睦ましさこそが絆であった。逸早くそうしたことも感知したであろう。

      バウルー       酒井 祥造

この朝の四度を記す温度計霜の恐れある冬に入りゆく
重ね着の重き体にトラクター席にこの朝吐く息白し
寒けれど鍬に除草の上着ぬぐ力仕事に体ぬくもり
体力のおとろえを知る一時間の除草に疲れ鍬休め居り
トラクター作業はうれし三時間疲れおぼえぬ体力のあり

「評」この作品を読んでいる時、丁度NHK短歌の“評”がはじまって、その口誦に合せて読んで見ると、やっぱり現代短歌になっている。酒井氏も時にはこうした調子を試みるのだ。

      サンパウロ      大志田良子

初盆を迎えし親友(とも)の仏壇にかざられし写真あの日の笑顔
「光陰は矢の如し」とは云うものの半年を過ぐ夫逝きてより
新聞やテレビのニュース大にして東京都知事遂に退陣
三日前朝顔の種見つかりて蒔いては見たが発芽は如何に
NHK日本横断『心旅』偶然亡夫の故郷盛岡

「評」二首目の『月日も同じ』は『夫逝きてより』の事と感じとれる。そう思い、少々言葉を振り替えて見た。参考までに。どの作品も整っていて素直に伝わる。

   サンジョゼドスピンニャイス 梶田 きよ

珍しく快晴つヾく今日6月あと二ヶ月で生れるひ孫
双生児それも男ノ子と知らされて初のひ孫の誕生待たるる
短歌の他に何も出来ないおばあちゃん曽孫の歌を詠む日も近し
もうすぐに九十四歳何となく不思議な気持ちわたし戌年
五年生まで学びし日本ふと思う昭和九年渡伯せし吾

「評」初めての双子の曾孫、しかも男子ときた。今の世はその胎児の姿まで見せてくれる。『短歌の他になにも出来ない』九十四歳のばあちゃんは、待ちきれず前倒しで詠んでいる。戌年の人は安産と言う。婆ちゃんにあやかって安産を祈る。五年生まで日本で育った不思議なまでの婆ちゃん。

      グァルーリョス    長井エミ子

水平に山家の窓に並びいしトンボも消(う)せて冬に入りたる
やっとこさ狭霧を切りて顔を出す冬の太陽膨らむわたし
老犬の暮しの中に居る限り移転むつかし庭付きの家
箱庭を並べたような別荘地抜ければひそと山家静まる
思い切り駆けてみたいと思はぬか妻帯知らぬ半端な吾子よ

「評」何かにつけ、わあと膨らむ激情をそれとなく躱す言葉の術を心得ている作者。

      サンパウロ      武地 志津

公用車で別荘通い指摘され己れを“トップ”と云い募る知事
既にして知事失格は違うなし未だ居座る心算(つもり)の知事か
反省の色些かもなき知事の後味悪き引際とはなる
定まらぬ暗い視線に応答もしどろもどろの舛添都知事
肝心の釈明なさず数々の疑念その儘消えし都知事か

「評」一定の基準による、縦社会、階級身分などが否定されて久しい。都知事を取り巻く時代のプレッシャーみたいな物が見えかくれする様だ。

      サンパウロ      相部 聖花

赤き実の光る万両店先に街の時計屋日系人なり
ほつほつとつつじ咲き初む日当りのよき側からの花のほころび
緑濃き葉の間より立ち上がる純白のカラー園の主格なり
法要に集いし親族思い出の語らい盡きせず時を忘るる
四角スイカ装飾用に生産す祖国の食糧豊かさを知る

「評」叙景のなかに、ほのかな叙情を感じさせる一、二首。三首目、主観に傾きはしないか、下の句がひっかかる。

      サンパウロ      武田 知子

サンロッケ都心放れし此の人出日本の桜やはり恋しか
開け放つ茶席より花見おろせば根付きし桜小春日のなか
手作りの和菓子を添えて振まえる抹茶一碗席もなごみて
訪日に帰伯にと又おもむきの違ふ花見の人出さまざま
此の日頃寒波厳しき朝夕に桜まつりの日射しはうらら

「評」ブラジルでも花見の季節、ましてや、抹茶の席から桜。風雅をかもす作品。

      カッポン・ボニート  亀井 勇壮

俄雨につれにはぐれしひな鶏を子等は小箱に入れてあたたむ
秋となり柿がたわわに色づけば想い出さるるふるさとの母
此の雨の後は大霜来るらしと追肥の量に手加減をする
抱き上げてさほどに重さ感ぜねど計量器の吾子に納得しおり
足をけり喜声を上げる乳児を抱きて妻はしばらく語りかけおり

    サンミゲル・アルカンジョ 織田 真弓

紅色の花びら水に放ち遊ぶ子等の廻りに秋の日は満つ
雨晴れて軽き靴音運びくる風は葡萄の房を揺りいて
たわむ程下りし葡萄の下に立ち充足は静かに胸に広がる
装いし人等行き交う町中に濁水も静かに流れてやまず
坂道を歩調くずさず登りゆく若者の服は淡き水色

      サンパウロ      若杉  好

コヂンニャを只うろうろと歩きおり妻の留守なる来客なれば
黄ばみたるパパイヤの葉は動かざり雨雲遠く覆いたる空に
寝つかれず夜半に湧きくる妄想を断ち切らむとて雑誌をひらく
たてつづけにアルカショフラをよばれおり料理法等教えられつつ
様々な青き葉かげにうずもれて驕れる如き赤バラ咲く

      サンパウロ      上妻 泰子

漸やくにとどこほりいしすすぎ物干しひろぐれば青あらし吹く
うらら日の峠を行けば香りくるみかんの花は我をつつみぬ
めくるめくひと日の思い浮べいてゆたけき湯舟にひたりいる我
若どりの初鳴き聞けば今日の日は何か良き事あるがに思う
額に吹くやさしき風を追いゆくに合勸の若木のしなやかな揺れ

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