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ブラジル岡田茂吉財団創立45周年=創始者の思想、普及一筋に=さまざまな文化事業を展開

 ブラジル岡田茂吉財団(FMO=Fundação Mokiti Okada)は、世界救世教(以下、教団)の創始者・岡田茂吉の思想である「真、善、美」による地上天国を実現するために、当地で1971年1月19日に設立され、45周年の節目を迎えた。同教団同様に、日本発祥の団体ながらも現在は非日系人がトップとして率いる珍しいケースだ。ブラジル社会に日本的な思想や哲学を広める発信拠点として、半世紀近い年月を重ねてきた。同財団の活動は多岐にわたるが、今まであまり表に出ることはなかった。45周年を機に、その成果の一端を聞いてみた。

 財団理事長を努めるのは非日系人のミゲル・ボンフィンさん(60)=6月30日既報=。教団の留学制度によって日本で2年間勉強した後、さらに同志社大学の社会学科社会学部に入学して4年間も磨きをかけた。
 日本滞在中は言葉の不自由さもあり、「勉強は難しくて厳しかった」という。一生懸命に授業についていく苦しい毎日。そんな中、テレビでの野球や相撲の観戦、カラオケなどが数少ない気晴らしだったそう。
 40年前といえば70年代、デカセギ開始10年も前であり、いくらまわりを探してもブラジル人は皆無。そんな環境の中、体当たりで日本文化を吸収して行った。卒業後に帰伯。日伯両国の思想を理解できる人材だからこそ、信者の99%が非日系人といわれる同教団と並び、「両輪」とも言える財団の運営を任されるようになった。
 同氏はもちろん、教団や財団の関係者はカラオケやお酒の席が好きな人が多く、親しみやすく明るい。そんな堅苦しくなさが、非日系人にも受け入れられる秘訣かもしれない。

 

大学運営、文化、福祉まで=多彩な財団の活動内容

社会福祉・支援運動
 福祉施設への物資支援だけでなく、コーラスが訪問して歌を披露して触れ合いを深めている。また、災害で公共施設、例えば橋が壊れた際の再建費用を市や州へ支援する活動もしている。

大学・大学院
 連邦政府の認可を受け「神学科」の大学として設立された。現在では「乳児教育学科」を増設。さらに今年10月には大学院が設立され、芸術を通した人間形成を目指す「芸術学」、自然農法を実践しながら学ぶ「自然農法学」などのクラスがある。

子ども達に善行推進
 7~13歳の子供が『自分が実際に行った善行』を投稿し、その中から選抜された内容をマンガ雑誌にして学校で配布している。善行が良い事だとこのマンガ雑誌を通して教えていくことで、同級生に対するイジメの減少や、家族だけでなく他人への思いやりを持ったりと、実際に子ども達が変わっていった例もある。

自然農法の普及・推進
 農薬や化学肥料を一切使わず、土をきれいにするという岡田茂吉が唱えた農法の普及や、農家へのアドバイスを行っている。教団の聖地「グァラピランガ」では、信者がこの農法を実践し、栽培された野菜は聖地内食堂で消費されるという。
 また同財団はサンパウロ州イペウーナ市に「研究所」を持っており、大農場などでその農法を活かす方法などを研究している。

自然食品の普及・推進
 健康に良い食品を広めるため、レシピを紹介したり、栄養学士による講演などを行っている。この分野は当地でも関心が高く、例年『ビオフェア』や『栄養食品市』など自然食や栄養食に関するイベントが多く開催されており、その主催者側から講演やブース出店の依頼があるほど同財団の信頼度は高い。

美術・芸術活動
 教団聖地「グァラピランガ」には、お茶室や絵画の展示室が備わっている。毎年9月には「美の月次祭」が教団聖地にて盛大に催される。。
 今年も9月4日に開催され、芸術的感性を養うためのワークショップや絵画の展示、生け花・山月、陶芸教室の生徒による作品の展示、コーラスの合唱などで盛り上がり、野村アウレリオ、サロモン・ペレイラ両サンパウロ市議も訪れ魅了されたという。

 

生徒6千人、生け花・山月=「心癒す花をすべての家庭に」

エリソン・トプソン・デ・リマ・ジュニオールさん

エリソン・トプソン・デ・リマ・ジュニオールさん

 財団活動の中で、特に目立つのは『生け花・山月』の存在だ。生徒数は全伯でなんと約6千人。当地では色んな流派が生け花を教えているが、突出して生徒数が多い。そのトップに立つのが非日系エリソン・トンプソン・デ・リマ・ジュニオールさん(58)だ。
 エリソンさんは2012年、非日系人初の「ブラジル生け花協会」会長に就任。昨年11月に秋篠宮同妃両殿下がご来伯された際には、両殿下との懇談会にも出席した唯一の非日系人だったため、両殿下も興味を持たれ、生け花の事などを彼に尋ねられたという。
 『山月』は1972年、世界救世教の開祖・岡田茂吉が「いかなる場所にも花があるようになれば、人々の心を癒すうえで大きな効果がある」と説いたことから始まった。すべての家庭に花を飾ることを奨励し、生活の中に花を取り入れることの重要性を説き、日本で設立した。
 エリソンさんはペルナンブコ州レシーフェ生まれだが、幼い頃にリオデジャネイロ市へ移った。同教団の信者であったエリソンさんは、18歳の時、生け花の風流さに魅せられ、早々と山月の教室に通い始めた。
 日本人の先生に指導を受けたが、「ブラジルでも日本文化は学べるが、もっと本物に心と身体で触れたい」と願うようになり、同教団の留学制度6期生として1980年に日本へ渡った。
 日本では岡田茂吉の教えを学びながら、華道だけでなく、裏千家で茶道も学んだ。日本語はすでに日常会話に困らない程度に上達していたが、実際には戸惑いの連続だったという。
 例えば、生け花で「心持ち枝を切って下さい」と指導された際、『心持ち』の意味が分からず、「心は入れているんですが、どうしたらいいんですか」と先生に尋ねたことがあったという。
 また茶道では『三手(みて)』を『見て』だと勘違いし、恥ずかしい思いをしたというエピソードも。「三手」とは、例えば箸を持ち上げる場合、「右手でいっぺんに持ち上げるのでなく、丁寧に三回の所作に分ける」こと。右手でまず箸の中央を持ち上げ、左手で支え、右手を持ちなすの三所作に分けることにより、より美しく、物を大切にする心も伝えるようにすること。
 2年後に帰伯、財団で生け花を教え始めた。当時、生け花用の花はサンパウロ市でしか手に入らず、サルバドール、マナウス、レシーフェなどへ教えに行く時は、サンパウロから持って行ったという。「切ってから時間が経つので、せっかく生けてもすぐに枯れてしまう」との苦労も。
 今ではエリソンさんが指導した非日系人が、全伯で指導者として活躍している。ここまで当地で生け花が広まった影には、温和でユーモアたっぷり、お茶目な彼の人柄が関係しているに違いない。

 

ブラジル唯一の陶芸学校=人間味溢れる指導者が魅力

 ブラジル岡田茂吉財団は1982年、芸術を通した人間形成を目的として、リオデジャネイロ市とサンパウロ市に陶芸学校を設立した。陶芸家による「教室」は多々あるが、常設の施設をもち、週6日間も教える本格的な「学校」は同財団だけだろう。現在はサンパウロ市のみが活動しており、平均毎週110人の生徒が通っている。そのほとんどが非日系人だ。
 開校当初、陶芸を指導していたのは、戦前移民で画家の間部学(熊本、1997年没)氏の妹レジーナ・ツチモトさん。彼女はサンパウロ市とリオ市を行き来しながら教えていた。現在、同校の教師は3人。責任者はマルコ・メスキッタさん(48)で、レジーナさんに直接指導を受けた一人。

 マルコさんはリオ市出身。母親が熱心な世界救世教の信者で、生け花・山月の教室へ通っていた。母親と一緒に教団に出入りしている時、レジーナさんが始めた陶芸教室の事を知り、興味を持ったという。
 レジーナさんに学んだ後、サンパウロ市の美術学校に入学。卒業後はこの陶芸学校で教師をしながら、上薬の専門学校へも通った。そんな話をしながら、教室内に設置された「ろくろ」を回し、アッと言う間にキレイな花瓶の形を作った。その所要時間3分足らず。
 そんなマルコさんも、当地のテレビ番組の企画で、目が不自由なお笑い芸人ジェラルド・マジェーラさんと『目隠しをしてろくろを回す対戦』を受けた際には、冷や汗をかくほど緊張したそうだ。
 彼の指導理念は、まず「粘土を尊重する」ことと「クラスの仲間との関係を大切にする」ことだという。「何を目的として学びに来たか、各々違う。一対一で接する経験が自分にも勉強になる」と笑顔で語る。
 かつて、産婦人科医で大学教師でもある女性が発話障害の息子を連れてきたことがあった。その息子が学校を気に入り、5年間も通ったとか。「ここでは誰も自分のことを差別しない」と母親に伝えた。その母親も通い続け、大学の授業で使うために『出産する母体』という陶芸作品を作り、マルコさんは「今までにない斬新な発想!」と驚いた。
 彼が11歳の頃からの付き合いだというミゲル会長は、「彼が責任者になってから、生徒数は増えている。彼の人柄と受け入れる器の大きさが生徒を引きつけるのだろう」と穏やかに語った。
 学校内に作られた三つの釜では、作品を最初は800度、2度目は1千度で8時間焼く。ゆっくり丹精を込めて仕上げる陶芸作品のように、財団の目的である人間形成も、熱意を込めてじっくりと行なわれているようだ。

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