ニッケイ歌壇(525)=上妻博彦 選

サンパウロ      武地 志津

チッチッチチと微かに啼くは何鳥や炊事の手を止め耳澄ませ聞く
洗濯場そっと覗けば小燕のあらぬ場所より不意に飛び立つ
吾が影に怯えしならむ小燕の狭き空間ぱたぱたと飛ぶ
久々に迷い入り来し小燕のいじらしきさま暫し見て佇つ
小燕の囀りやめば片隅に親を恋うらむじっと動かず

「評」この繰り返えす気温の変化に小燕までが居場所を狭められている様子が丹念に描き出された一連。一首のオノマトペに始まるその動きを捉える作者の姿までが読む者に直に伝わる。

カンベ        湯山  洋

移り住む国の言葉も学ばずに親を扶けて過ぎし若き日
独学の困難挫折に意も怯み行方を憂いて悩んだ青春
乾きたる頭や胸を紛らわす古い書籍を夜の友とし
商談を言葉の壁に阻まれて悔しい思いで泣いた夜もある
この国に半世紀余も住み続け本や新聞読めぬ悲しさ

「評」ニ、三首に、作者の信念が語られていると思う、『古い書籍を友とした』。古代ギリシャの哲学者エピキュロスのたどりついた頂点は、満足すること、足りることを知ることだったと。小さな庭に数本のイチジクの木、少しばかりのチーズ、三、四人の真の友人、それだけだった。(『ニーチェの言葉』より)

グァルーリョス    長井エミ子

リオ五輪世界に名をば知らしめし我ら見つめんテメルの背なを
おばちゃんが手招きすれど我輩は木蔭大好きホームレス犬(わん)
被写体の貧しかりしを写し撮り手紙送らん初夏の朝
地底より湧き上ぐようなひぐらしの声に追はるる老の日日(にちにち)
忘却の振幅太くなってます煙のごとく消えゆく日日の

「評」心して目を向けて見ると、この国の政界の動向に常に関心を示す一首目、時宜を得た作品が説得力をなしている。やはり長州の血を引く人ではある。

サンパウロ      相部 聖花

暴風雨に交通信号遮断され交通まひの大都市哀れ
停電にも発電機あれば助かるにと店主は商品眺めつつ言う
あじさいの蕾日ごとにふくらみて色付きてゆくせり合いて伸ぶ
二か月半の庭の主役のカトレアが今年の花を終えて散りゆく
日中の強き日射しにうなだれし菊の葉朝は生き返るごとし

「評」大都市文明から電力を奪われた人類の哀れ、そんな時でも見いだす物と、それを実行に移す力を備えなければならない。自然の仕組を仔細に観察する目も日常の習慣なのかも、紫陽花の蕾は小さな花弁の競り合いが開花しながら色を変へながら、伸びあがりながら玉を太くして行く。『ふくらみて』『色付きて』『せり合いて』と接続助詞でゆく周到さは、聖花ならではの作品。それにくらべ四首目の落ちつきはカトレアの品格でもある。

サンパウロ      水野 昌之

父母はじめ兄弟その他露の世へ灯篭流しの花火に見入る
灯篭舟の「先祖代々」の文字を読みわだかまるもの胸に残れり
亡き妻の御霊を流す灯篭に入り日も雲も大河も金色
灯篭舟を流す僧侶の勤行に誘われ唱う南無阿弥陀仏
灯篭流し終えてホテルに横たわり安らぐような寂しいような

「評」どの作品にもどこかにひと処、未完結を残すところに、人間水野の重みを感じる。一生をかけて人間は完成を追いかけているのであるが、そしてその完結は自覚でしかないのだと。『先祖代々の文字』であり『誘われてとなう南無阿弥陀仏』なのだろう。五首の『安らぐような寂しいような』は実感として凡夫にも伝わる。

バウルー       酒井 祥造

今の世は一人一人に車持つ生活きびしと声はあれども
日曜の街に歩く人少なけれどゴミあさる人車に山を
不景気の声はあれどもメルカード客はひしめく吾もその中
春旱りきびしき十月南伯の洪水を聞く北上中と
災害のきびしき年か全世界洪水の報絶え間なく聞く

「評」倹約質素を旨として生きた世代の眼は厳しい。そう意識しながらも、いつしかそちらに視線は向いて行くのである。だからこそ、三首目の五句『吾もその中』と、振り返り見るのである。その眼は季節の動きにも常に向けられている。

サンパウロ      坂上美代栄

三叉路でトラックに接触せし車、車輪なきがに宙を飛び来る
着地せし車の両扉反動で開き男女が目前に転ぶ
現代はドアはロックされベルトあり事故よりよほど銃撃恐る
友の住む隣のアパートへ電話してベランダと窓で顔出し話す
鰯雲声かけ合いて生きたればやがて来る日も忘れ勝ちなる

「評」今頃の都市生活者の突として目にする光景は、張りめぐらされたカメラの捉えた映像のごときもある。人間の生の身がいかに飼い馴らされて行くかを思わせる様な作品である。

サンパウロ      大志田良子

夫逝きて早や一年を目の前に初盆だよと遺影と語る
一年間納骨堂に住みし夫初盆の供養よろこびていん
年老いた母を残して帰れぬと娘は訪日の手続きはじむ
手続きを始めたものの紙不足二ヶ月待ちてパスポート受く
里がえり数えて見れば十年ぶり思いはつのる想像あらたに

「評」老齢の母を思う娘と今、いち度はとの作者が亡夫への思いの一年間を語る。卆寿と聞く、折角の墓参訪日を無事終えて元気で帰伯されたい。

サンジョゼドスピンニャイス 梶田 きよ

久々に逢いし妹も耳遠く何かとひまどりまた大笑い
聞きとりにくい電話よりもお手紙の方がうれしいですねほんとに
ぼんやりと覚えているは花もなきさくらの若木校門の外
日本生れと言えど儚ない記憶にて桜のことは教科書のみにて
バストスもオ・クルースもわが歌の始まりし町感慨無量
朱雀校の庭隅にありしはポプラにて桜にあらず何かさみしい

「評」とおい記憶をたどる『子供移民』の一人、『花もなき桜若木』に続く『校門の外』、胸に痛む様な思いが伝わって来る。そして、移り住んだバストス、オズワルド・クルースは、少女に初めての短歌への道を、そして日本人としての自覚が芽吹いて行ったのだった。京都の朱雀校の庭隅の桜にあらぬポプラを記憶にたどる作者の思いがひしひしと伝わる。

バウルー       小坂 正光

夕餉終え憩いておれば珍しく夏蝉一匹鳴きて過ぎたり
住宅街の吾が家の巡り樹々多く夏蝉の鳴く季節となりぬ
入口の郵便箱の其の下にタンポポひと本咲きて愛らし
七十年前、移住地で学びし同胞(はらから)らサントス厚生ホームに入居と
サントスの厚生ホームに入居せし友ら海を視て祖国しのばむ

「評」一、四首など、少し無駄を省いて整えて見た。近頃の小生の作品にも言えることだが、焦点を捉えるレンズが、ずれたりボヤケたりする。ひらめきが一番、それを逃さぬ様、単純化する。三首目、タンポポの歌、純粋叙景佳。

カッポン・ボニート  故・上妻久雄

寄り合いて綱引く船が朝もやに三つ見えたり我が立つ浜ゆ
太陽の出でし朝空くれないに今日の倖せ告ぐるがに燃ゆ
東雲(しののめ)に早くも海はひらけつつ港へ急ぐ漁船が二つ
さわやかな朝の潮風肌に沁みそびらの町はまだ眠りおり
山頂は早や明けたるに中腹は朝靄の中未だ眠りいて
幾年か寄せ打つ波に運ばれし砂紋ひろがる浜に下り立つ
渡し場を愛車と共に河二つ越え来て浜の一夜明けたり

「評」何と落ちついた、整った作品であろうか。当時四十歳を越したばかりだった様に記憶する。氏の風貌を詠んだ歌がある。(大兵の久雄が踊る祝いの座、膳皿の間を踏ん張りおどる)繊細な大工であり、涙もろい義侠な人だった。一世二世と六人成人の子をのこしている。

カッポン・ボニート  故・菅原文代

夕風に警笛真似しかえりくる吾子まだ四つ顔の泥あと
ふりむかず幼ない友等と走り行く吾子の世界に輝く夏陽
夫と吾子連れ立ち出れば唯一人耳すませ居り夜の風にも
軒雫吾子の玩具に奏でいるその空鑵にみどり映して
夏の日に家事を忘れて谷川の流れに吾子と石拾いおり
石筍の積り育ちし深山より夏も冷たき湧水流る
夕茜美しと見し束の間に留守居の暮を暗き雲たつ
いつしかに蜜柑色づく季節きて爪たてみれば秋が匂いぬ

「評」康雄氏婦人、義弟達を守り農をつづけた。『吾子』は養子。愛をそそぎ、農をつがせた。康雄氏はコチア農協や地域社会の指導者でもあった。短期間であったが、短歌の灯をともした同志達だった。