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JICA=日系社会ボランティア30周年=リレーエッセイでたどる絆=第8回=「桃源郷」のような派遣先

中央で指導するのが森さん

中央で指導するのが森さん

 2016年7月19日いよいよ任地のコロニア・ピニャールに向かう。
 いくつかの町と整然と並ぶユーカリの林を抜けて、車は起伏のある赤い大地を走る。
 サンパウロ市内から3時間も走ると道路に突然、日系社会のトレードマーク大きな赤い鳥居が見える。陸の孤島と言われるコロニア・ピニャールは、そこから4キロ奥地の集落だ。果物生産が盛んでビワ畑、ブドウ畑が続く。
 その日はサンパウロ市内の子供たちと一部の保護者を招いて、デコポン狩りが催されていた。文協会館の前では年齢の違いを超えて一緒になって遊ぶ子供たち、それを見守るように取り囲む大人たち。日本がどこかに置き忘れたものがここには残っていた。
 きれいな空気と豊かな自然、ごみごみした大都会の喧騒から解放された思いとあいまって、涙がこみ上げてくる。
 見られてしまったのか「シニアの先生がとんでもない辺地に連れてこられたと泣いていた」と村の人たちが心配していたと後日耳にした。
 振り返ればほんの10カ月前は、太平洋の小さな島国、ミクロネシアにいた。JICAシニア海外ボランティアの栄養士として、どうにかして島の人々に野菜を食べてもらいたいと悪戦苦闘していた。
 太平洋戦争終結まで、日本の統治下で多くの日本人が住んでいたミクロネシアのポンペイ島では、今も残る日本人会に、JICAボランティアは生活面のアドバイスをもらい、精神的な支えになっていただいた。
 初めて海外に住む日本人の温かさに触れ、また彼らならではの苦労を知り、次は南米の日系社会で活動したいと思うようになった。
 そして今、新しいチャレンジが始まろうとしていた。発展途上国を対象とした支援とは違い、日系社会に対して日本の文化継承を目的として活動することは、ブラジルを元気にするだけでなく、日本も元気にすると考えると意欲も高まる。
 私の要請は日本食の普及と継承。40年間、病院の管理栄養士として、食をとおして医療にかかわってきた私は料理のプロではない。
「自分にできることを一生懸命やる」しかない。ここで入手できる食材を使い、日本の家庭で普通に食べられている家庭料理、かつ日系社会の家庭でとりいれてもらえそうな料理を紹介することにした。
 合わせて健康講座を実施するという企画で、日本語学校での食育授業と実習、婦人会、父母会対象の料理講習会と健康講話を実施した。
 今後はコロニア・ピニャールだけでなく聖南西文化体育連盟全体へと活動を広げていく予定だ。

森光子(もり・みつこ)

【略歴】滋賀県出身。64歳。日系社会シニアボランティアの料理専門家として聖南西のサンミゲル・アルカンジョ市のコロニア・ピニャール文化体育協会に、今年6月に派遣された。任期は2018年6月まで。

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