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メキシコ革命に関わった日本人移住者=1906年に数百人が入植=セルヒオ・エルナンデス・ガリンド(訳:アルベルト・松本)=(下)=武術教えたり、大尉に抜擢も

北部師団の奇兵隊第一大尉の野中金吾氏、1915年12月(野中ヘナロ氏所蔵コレクション)

北部師団の奇兵隊第一大尉の野中金吾氏、1915年12月(野中ヘナロ氏所蔵コレクション)

 しかし革命による闘争は激しくなる一方だったので、馬場氏はアメリカのカリフォルニア州カレシコ市へ数百人の移住者の受け入れを認めさせた。当時、カレシコ市の綿花農場は人手不足が深刻で多くの労働者を必要としていたのだ。
 一方、多数の日本人移住者はメキシコに留まり、各地で編成された革命軍に入隊する者もいた。例えば、西野ツルオ氏は、パンチョ・ビジャ将軍の個人コックになったと伝えられている。
 また、ディアス政権のときに柔道の指導員としてメキシコにやってきた原田シンゾウ氏は、ディアスの亡命後は、ベヌスティアノ・カランサ、エミリアノ・サパタ、そしてフランシスコ・ビジャの兵士らに武術を教えた。そして、ラ・オアハケーニャ農園から逃げ出したあの田中ゼンゾウ氏も北西部の軍隊に入隊して、奇兵隊の中尉にまで昇進した。
 革命後、彼らの活躍ぶりは誰もが認めるところとなった。例えば、中原エミリオ氏は二等軍曹として、そして山根アントニオ氏はカランサの護憲革命軍の一等大尉に抜擢された。
 パンチョ・ビジャ将軍の部隊にいた野中金吾氏の逸話は息子の野中ヘナロ氏によって記録されている(註3)。金吾氏が写真やメモをたくさん残してくれたおかげで、福岡出身の彼は1906年、叔父と一緒にメキシコに入国したことがわかっている。
 当時16歳で、叔父とともにラ・オアハケーニャ農園で働いた。しかし、あまりの過酷さと非衛生的な環境ゆえに叔父はマラリアで入植から数カ月後に亡くなってしまった。

普通の看護婦より高い技術もつ日本人も

 そんな中、野中氏と多数の日本人移住者はアメリカ入国を目指してメキシコ北部に向かうが、その目的は達成できず、チワワ州のシウダー・フアレス市に留まって定住することを決意し、種子と飼料の店を開店する。
 しかし、革命によって経済情勢が悪化し、山賊が多発したため、経営が成り立たなくなった。仕事をなくした野中氏は、地元の市民病院に採用され、のちに看護助手まで昇進する。各地が戦闘状態だったため、仕事が非常に多く、現場で多くのことを学ぶことができたため、野中氏の手術補助や医療処置技術は普通の看護師のスキルよりはるかに高かった。
 1911年3月、野中氏は同胞に会いにカサス・グランデスという村を訪れた。その時、連邦軍とフランシスコ・マデロ軍との闘争に遭遇した。マデロ将軍は敵の手榴弾の破片で負傷し、野中氏がその処置に当たった。その結果、マデロ軍に入隊することになり、その年の5月に展開したシウダー・フアレス市の奪還と占領に関わった。
 連邦軍は敗退し、その結果ポルフィリオ・ディアス大統領は辞任に追い込まれ、マデロ将軍が大統領になった。このシウダー・フアレス市の戦いが終わった後に、野中氏は市民病院の看護師部長になり、戦闘で負傷した多くの兵士の治療に当たった。

将軍との「伝説の写真」に写る野中金吾

北部師団を指揮しているフランシスコ・ビジャ将軍で、その右側の馬車にいるのが野中金吾氏。1914年4月、トレオンを奪還したとき

北部師団を指揮しているフランシスコ・ビジャ将軍で、その右側の馬車にいるのが野中金吾氏。1914年4月、トレオンを奪還したとき

 野中金吾氏は、病院の職員のことをよく把握していたため、パンチョ・ビジャ将軍に頼まれてより優れた医師や看護婦を引き連れチワワ州に向かった。
 そこで、ビジャ将軍の本体と合流し、「移動巡回医療班」として同将軍の北部遠征に同行した。これはマデロ大統領を殺害したビクトリアノ・ウエルタ将軍が支配していた地域を奪還するための軍事作戦だった。
 野中氏は一等大尉として、メキシコ革命を左右する北部師団による重要な戦いの数々を目にした。今日、伝説ともいうべき最も有名な写真の一つが、パンチョ・ビジャ将軍と一緒にいる野中金吾氏の写真である。二人とも馬に乗っており、金吾氏は多くの負傷者を運んでいる救急馬車にいる。
 日本人移住者は、メキシコ史における重要な時代の一部を担っており、彼らの活躍は少しずつ明るみになってきたばかりである。
【注釈】(1)田中氏と息子レネー田中博士の生涯は、セシリア・レイエスによる“La gallina azul(青い鶏)”(Editorial Itaca, 2014)を参照。
(2)“Kingo Nonaka, Andanzas Revolucionarias”(Editorial Artificios, 1914)に野中金吾氏のことが描かれている。

(※この記事は2016年11月7日に、全米日系人博物館のプロジェクトとして「ディスカバー・ニッケイ」サイトに最初に出展された。同サイトの仲介により、著者と訳者の許可をえて転載した)

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