ホーム | 日系社会ニュース | 《ブラジル》海治さん「俺はまだ生きているぞ!」=先没者法要で死人扱いに=入力ミス、確認不足重なり

《ブラジル》海治さん「俺はまだ生きているぞ!」=先没者法要で死人扱いに=入力ミス、確認不足重なり

怒りを露わにする海治さん

怒りを露わにする海治さん

 2015年11月7日に開催されたイタチーバ日伯文化協会創立55周年式典で、先人の遺徳を偲ぶ仏式法要が行なわれたが、なんと海治一成さん(84、高知県土佐市)の名前が物故者リストにあった。出席していた本人が法要直前に気付いて受付に抗議したにも関わらず、修正されることなく式典は行われた。海治さんは「意図的に死人扱いされた」と怒りを露わにし、〃事件〃から1年余りたった先月、来社して憤りをぶちまけた。

 海治さんが式典当日、受付で署名を済ませ、なにげなくプログラムを見ていると、物故者名に自分の名があることに気付いた。「命日・1962年11月29日」とまである。受付に戻ると、式典責任者・鎌倉弘美第二副会長の夫人がいたので、抗議したところ「ウミジは二人いる」との返答だったので、海治さんはさらに激高した。
 そのとき坂東広会長(当時)に不満をぶつけると、「準備のとき私は入院していたので詳細は分からない。だが全責任は会長である自分にある」と謝罪を繰り返した。ところが海治さんは納得がいかず、その場で自宅へ帰ってしまい、会場ではそのまま法要が行なわれた。
 後日、坂東会長(当時)をはじめ顧問相談役や、鎌倉副会長らが直接、海治さん宅に謝罪に訪れたが、本人は対応を断った。さらに同年12月3日に現地のイタチーバ新聞に告発文を発表した。
 海治さんは今も「法要を行った日伯寺の稲葉ペドロさんは、私の名前があることを事前に忠告していたと聞いた。式典当日は物故者名簿を作成した鎌倉本人も、私を避けているかのようで意図的に死人にされた」と主張し、関係は修復されていない。
 海治さんが持参した書類を仔細にみると、事の発端は、埋葬台帳を管理する市営墓地側の手続きミスにあることが分かった。手書きの埋葬台帳には正しい情報が書き込まれていた。だが01年に市役所が埋葬台帳をデジタル化する際、担当者が間違えてコンピューターに「死亡」と入力してしまった。命日とされたのは、海治さんが一族の墓地を購入した日だった。
 日本人物故者リスト作成を、墓地管理人に依頼したのが鎌倉さんだった。墓地管理人から渡されたリストを深く確認せず、そのままプログラムに掲載した。鎌倉副会長に取材すると「稲場さんから事前の指摘は受けていない」と証言し、「市役所から埋葬台帳を取り寄せ、海治さんの名前があることは認識していた。だが市の埋葬台帳ではポ語表記だけ。同性同名の別の人物だと認識していた」と振り返った。
 海治さんは「どうして電話1本かけて本人に確認しなかったか」と怒りを爆発させる。事実確認が足りなかったようだ。式典後、坂東会長(当時)が市役所と掛け合い、海治さんの情報は訂正された。
 責任を感じた鎌倉さんは式典の10日後に副会長職の辞職と退会を表明した。「電話や自宅を訪問し、海治さんへの謝罪を試みたが、取り合ってもらえなかった。仕方なしに謝罪文を自宅に送らせてもらった」と語る。郵送された手紙には謝罪の言葉が綴られている。
 周囲から何とか留まってほしいという要請を受け、鎌倉さんは現在も副会長を務めるが「イタチーバ文協の恥になるようなことだけは…」と残念そうに声を落とした。坂東さんも「もう終わったものと思っていたのに」と言葉を濁らせた。

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