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伯人初のディズニーアニメ監督=夢叶えた松田レオナルドさん=母はデカセギで学費仕送り

日系伯人のディズニーアニメ映画監督松田さん

日系伯人のディズニーアニメ映画監督松田さん

 伯国で1月5日に公開されたディズニー映画『モアナ(邦題:モアナと伝説の海)』の同時上映作品『トラバーリョ・インテルノ(インナー・ワーキング、以下IW)』。安定志向の主人公が人生の楽しみを求め葛藤する様子を描いた約6分の短編アニメだ。伯人初のディズニーアニメ映画の監督となった日系伯人の松田レオナルドさん(35、二世)=米国カリフォルニア州在住=の影には、日本で働いて学費を稼いだ母の姿があった。ひたむきに夢を追いかける松田さんに話を聞いた。

 聖州サンジョゼ・ドス・カンポス市で生まれた松田さんは幼い頃から絵を描くことが好きだった。父は戦後移民、母は三世だった。10歳頃に母が訪日就労し、その後は祖母と暮らした。「祖母は僕の第二の母。文協の野球クラブの練習に連れて行かれることもあった」と振り返った。
 松田さんは宮崎駿監督の作品や「ダンボ」などディズニー映画の魅力に取り付かれ、15歳でアニメーターを目指し始めた。99年にマッケンジー大学の製品デザイン科に入学し、さらにマウリシオ・デ・ソウザのアニメスタジオでアシスタントとして3年働いた。

映画の一場面(©2016 Disney "Inner Workings"  from "Inner Workings" Official Trailer)

映画の一場面(©2016 Disney “Inner Workings” from “Inner Workings” Official Trailer)

 大学卒業後すぐに「世界のアニメが知りたい」と米国のカリフォルニア州サンディエゴ市の語学学校に留学した。同地の豊かなアニメ文化に触れ、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオで働くことを志すようになった。そしてアニメーションを一から学ぶため、カリフォルニア芸術大学(CalArts)に入学した。
 松田さんは2002年当時を振り返り、「本当に大変だった。言葉も文化も違うし、前年にアメリカ同時多発テロがあり、当時は『外国人』に対する風当たりの強さに悩んだ」と語った。
 1961年にウォルト・ディズニーと兄のロイが関わり設立された同大学は、ディズニースタジオで働く著名なアニメーターを多く輩出している。松田さんは同大学卒業後、ピクサーなどのアニメ制作会社で働き、2008年末にディズニーから仕事を打診されようやく入社した。
 「目標達成のためには多くの代償が必要だ。簡単な道のりではなかった。CalArtsの学費は日本で再婚をしていた母と義父が借金して支えてくれた。そのおかげで入学が叶った」と感謝した。母は埼玉県などで工場労働からはじめ、現在も英会話教師をして働いているという。
 松田さんはストーリー課に所属しており、普段は助監督を行っている。今までにも「ズートピア(2016)」「オペラソン・ビッグ・ヒーロー(2014、ベイマックス)」「デトナ・ラルフ(2012、シュガー・ラッシュ)」などの制作に携わったそう。2014年に短編アニメの監督に選ばれたことを振り返り、「自分の可能性に期待してくれたジョン・ラセター製作総指揮はじめ周りの人全てに感謝している」と述べた。
 およそ2年間の初監督業は困難の連続だったようだ。「脚本を準備した状態でスタートしたけど、監督として40人からのチームを動かすのは簡単なことではなかった。目標を見失いそうになることもあった」と振り返った。IWの物語は自身が持つ「日伯の性質」から発案したそう。「規律的な日本人の性質、冒険好きで活発な伯人的気質。IWの中でも同様の悩みを抱える主人公が描かれている」とのこと。日系人らしさが結晶化されている作品だ。


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 松田レオナルドさんによると、伯国のアニメ業界は「成長しにくい状況」だそうだ。その理由として「アニメ制作のための資金がなく、パソコンやソフトの使い方を学ぶ機会も少ないため、制作する人が増えない」とのこと。言われてみれば伯国産のアニメといえば「モニカ」ほか、わずかしか思いつかない。伯国のアニメ業界を盛り上げるためにもアニメーター志望の日語学習希望者を募り「日本アニメ研修・留学」など行ってみては? 二国間をつなぐ文化交流活動として盛り上がるかも。

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