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『百年の水流』開発前線編 第三部=リベイラ流域を旅する=外山 脩=(20)

 下りた幕が、また上がる?

 昨今、何処へ行っても、その地の文協は精気を失いつつある。事実上、活動を停止しているところも、かなり多い。
 それも時の流れ‥‥というのが、大方の観方、諦め方であろう。文協の活動停止は、その地域の日系社会の終りを意味する。
 ところが、そうした中で、リベイラ流域の文協の活性化が、異彩を放っている。放ちぶりは、邦字新聞で詳しく報じられているので、ここでは略す。
 ただ、かつては他地方と同じだったという。が、21世紀に入った頃から息を吹き返した。それはレジストロから始まった。
 2003年、同地の文協は独特の和風様式の会館を完成させた。その数年後のことであるが、筆者が町の中を歩いていた時、突如、前方に、この会館が現れた。
 無意識に足が止まり、瞠目していた。独特の雰囲気を醸し出しており、人の気持ちを引き締め、落ち着かせる品位と風情があった。特に、その回廊が良かった。
 何故、他の、各地の文協は会館をつくる時、こういう事を発想しなかったのだろうか。「文協」とは「日本文化協会」の略であるが、何処も「日本文化」を感じさせるモノは殆どない。
 まず会館からして、ありふれた、ただの建物である。文協のポ語の名称に「CULTURAL JAPONESA」の文字を入れている以上、非日系人向けにも、それに相応しい何かが欲しい。
 そういう意味でも、まず会館は和風である方が望ましい。レジストロ文協の会館の様式は、設計者の高橋国彦氏、当時の会長の山村敏明氏、やはり当時の市長(非日系)が相談して決めたという。
 山村氏は、1954年、12歳の時、家族と共に移住してきた──というから、戦後移民である。
 普通「トシアキさん」で通っている。トシアキさん始め関係者が走り廻って、この会館の建設資金を募った。地元の日系社会から集めたが、力添えしてくれた非日系の市民も居た。(土地は市が提供)
 会館の完成を機に、文協は活性化した。それを見て、トシアキさんは会長職を卒業、同志と共に「リベイラ沿岸日系団体連合会」を2006年に発足させた。
 これには、この地方の文協10余団体が参加した。(沿岸は、この場合、流域と同意味)
 トシアキさんによると、2008年のブラジル日本移民100周年を前に、その10余の文協は総て風前の灯だった。活動は低調で、会館は無いか、あっても老朽化していた。
 それ以前の1990年代、コチアの解散、南銀の身売りがあって、この地方に在った事業所や支店も無くなっていた。リベイラの日系社会は最期を迎えようとしていた。そこでトシアキさんは同志と共に、その阻止を決意した。
 具体的には、各文協の会館を一カ所ずつ、他地域が協力して改・新築するというプロジェクトを作り、実現に取り組んだ。
 まずペドロ・トレードで改築、次にセッテ・バーラスで新築した。その後二カ所で同じことをし、計四カ所とした。2016年11月、電話で問い合わせると、さらに一カ所が、ほぼ決まっているとのことであった。
 トシアキさんがレジストロを、リベイラを、猛牛の様に牽引して来た感がある。
 牽引ぶりは、これに止まらない。
 この猛牛は「聖南西文化体育連盟」の会長も務めておる。これはリベイラを含むサンパウロ州南西地方の20数カ所の文協の連携組織である。邦字紙で何度も報じられている様に、基金づくりをしている。
 当初100万R$の目標であったが、すでに達成、数年後には300万の見込み‥‥という。その基金づくりは、サンミゲール・アルカンジョはコロニア・ピニャールの奇人、天野鉄人氏の提唱と協力によって始まった。
 天野氏は、かなり古くから、サンパウロその他で種々の──コロニアの団体やグループとの協力方式による──プロジェクトを企てて来た。
 が、実を結んだケースは、筆者は寡聞にして知らない。
 始めは皆、興味を寄せるのだが、結局、天野氏独特の思考法、話法、行動パターンに辟易、白けてしまい、プロジェクトは流れてしまうという。
 それを承知の上で、トシアキさんは、天野氏の話に乗り、行動に移した。これが瓢箪から駒となっている。
 この基金づくり、当初、世間は(成功はしない)と観ていた。が、こうなると、見直さざるを得まい。「奇人」が「貴人」に変わる可能性もある。無論、最終的結果を見た上で判断する必要があるが‥‥。
 ともあれ、トシアキさんは多忙である。毎週末には大抵──氏が会長を務める右の二組織に属している文協の──どこかで、催し事がある。それをチャンスと他の役員と共に出かけて行く。
 地元の人たちと呑みながら懇談する。泊まり込んで説得する。粘りに粘る。といっても、地理的に、その広さは日本の九州ほどある。そこを駆け回って東奔西走している。
 しかも成果を上げている。大したモノである。この国の日系社会に、久しぶりに傑物が現れている──のかもしれない。
 筆者の様な20世紀末に(日系社会は、進出企業は別として、コロニアは最後の舞台の幕が下りた)と見切り、その歴史を少しでも多く発掘、記録し、また間違った歴史観は正しておこうとしてきた者から観ると、幕の裾が床に届いた後、また上がり始めているような展開である。(こういう人が、他地方にも現れれば、幕は、さらに上がり、広範囲の日系社会が参加する新たなドラマが始るであろう。しかし難しかろう)とも思っていた。
 ところが、その後、トシアキさんたちは「サンパウロ州地方日系団体の集い」なるモノをつくったという。地方文協の共通の悩みや問題を話し合い、情報を交換するためで、すでに数回、会合を持ったそうである。それが、何らかの事業に結びついて行けば、面白いのだが‥‥。(第三部終了)

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