ホーム | 日系社会ニュース | 《ブラジル》移民110周年=皇族ご来訪に高まる期待=菊地実行委員長、ノロエステ訪問=(下)=上塚公園で移民の原点に回帰

《ブラジル》移民110周年=皇族ご来訪に高まる期待=菊地実行委員長、ノロエステ訪問=(下)=上塚公園で移民の原点に回帰

プロミッソン入植10周年記念碑を前に集合写真

プロミッソン入植10周年記念碑を前に集合写真

 ノロエステ沿線の中心地、アラサツーバ日伯文化協会での臨時総会を終え、ブラジル日本移民110周年祭典委員会の菊地義治実行委員長ら一行は、プロミッソンの上塚周平記念公園へと向かった。農業労働者として搾取された移民の窮状を見かね、自作農による自立を目指した上塚植民地の創立から来年で百周年。そんな移民史の〃原点〃だからこそ、皇族をお招きして110周年を祝うに相応しい場所と言えそうだ。

 「移民の父」上塚周平の晩年を直接に知り、〃上塚周平の墓守〃と呼ばれる当地の安永家一族の長老・忠邦さん(96、二世)。「子供の頃の話で詳しい事情は分かりませんが、上塚先生の御家には菊地さんという方が住まわれておりました。今回、菊地先生がおいで下さって上塚先生もどんなにお喜びになっていることか」と菊地実行委員長を温かく迎え、上塚公園内を案内した。
 菊地実行委員長は、忠邦さんの説明に傾聴し、終始感慨深げな様子で隈なく歩き、先亡者慰霊碑には深々と頭を下げて、祈りを捧げていた。開拓10周年記念碑を見上げては、「入植10年でこのような記念碑を建てた日本人は凄い。ここが移民の〃原点〃ですね」とぽつりと語った。
 足を止めて忠邦さんとしばらく話し込んでいたのが句碑の前―。そこには『夕ざれや木陰に泣いてコーヒーもぎ』と刻まれている。農業労働者の痛切な心情を詠んだ上塚翁の有名な俳句だ。
 援協の大恩人、故・神内良一さんが初来伯した際、移民史料館でこの句を見て思わずメモを取り、南米日系社会への福祉援助に対する決意を固めたとされる。
 菊池さんは「寒さの厳しいなかで珈琲の実を手で摘んだことがある。先人たちは手が痛みを我慢しながら、なぜこんな苦労をしなければならないのかと涙したに違いない」と初期移民を慮り、「どんなに時代が流れても決して忘れてはならない歴史がある」と想いを新たにしていた。
 同公園に集った安永一族や現地日系団体代表者らを前に、「何もしなければ歴史は消え去ってしまう。その歴史が守られてきたのは、先祖の土地を大切に守ってきたここにいる皆様のおかげ」と称え、「日本文化が定着したのも、地方日系社会が築いた成果。先駆者の撒いた種は花開いている」と続けた。
 混迷するブラジル政治経済情勢や今後の日伯関係にも触れ、「移民の原点に回帰し、先駆者の遺志を受継いで一人一人が努力を続けていけば、地域社会もブラジルも良い方向に変わっていく。そうすれば150年、200年と日系社会は続き、上塚先生も喜んでくださるはず」と激励した。
 最期に「皇室は必ず来てくださる。プロミッソンに足を運んで頂けるよう全力を尽くすことをお約束します」と語ると拍手が沸き起こった。

安永家で過去帳に感動

 安永家を訪れ、温かいもてなしを受けた菊地実行委員長。プロミッソンの過去帖を見ては、「入植当初は、一歳未満で数日や数カ月で亡くなっている赤子ばかり」と先駆者の苦難をひしひしと感じたよう。
 38年間も市議として市民に尽くした伯雄さんを始め、教育勅語を毎日清書して子孫に伝える忠邦さん。一族移住100周年に400人近くが集まり、5世までが日語を使う安永家―。菊地さんは「本当に感激。日本人の魂が脈々と受継がれている。まさに日本人の鏡ですね」と感無量といった様子で語った。
 今回の訪問を終え、「都会では希薄になった移住者の心を今でも持ち続けていた。我々も地方の人たちの気持ちを大切にし、真摯に耳を傾けそれを反映していかなければ」と語り、「皇室の御訪問を期待しているマリリアなど他の地方とも相談して、できる限りのことを協力して進めて行きたい」と、開催まで1年を切った次の大祭典を見据えた。(終わり、大澤航平記者)

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